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「称念寺」(しょうねんじ)

2011年07月15日 18時37分26秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 称念寺(山号:今井山)は入母屋造、本瓦葺の江戸時代初期頃の建築で、浄土真宗本願寺派の寺院で今井御坊とも称されている。本尊は阿弥陀如来。
 天文年間(1532年~55)石山本願寺の家衆であった今井豊寿(河瀬入道兵部房)が立てた念仏道場に始まり、川井氏(後の今西氏)と共に周辺に濠と土塁を形成し寺内町の体裁を整えていった。織田信長により武装解除されてからは、自治都市として栄えた。重要文化財に指定されている「本堂」は、後に大規模な改修が行われたようだがかなり荒れ寺と化している。しかし、初期の浄土真宗の建築様式をよく残している貴重な建物です。

 隣接する住居部分には、「丸に三つ葉葵」という徳川家の紋を印してあり、こんなことが許されたのはごく一部の寺院のみである。明治10年(1877)には、明治天皇が立ち寄った所で、それを記念する石碑も建っている。

 表門とその脇にある太鼓楼が寂れた寺内の中にあって、古き良き時代をしのばせている。表門は明治天皇が立ち寄った際に談山神社から移築されたものだそうだ。

 現在の称念寺は崩壊寸前というというか哀れな姿で、本堂も少し傾いて見える。門のところには2006年10月31日の朝日新聞の記事が貼ってあった。それを要約して紹介すると。
 「修復費用は20億円前後と見積もられたが、戦後の農地解放で田畑を手放した称念寺にはその資金は無い。
 2002年に重文指定を受け補助金はあるが、それでも修復には1億円以上の負担が発生。檀家の積み立てだけではどうにもならず、昭和8年の絵葉書(8枚組:500円)を復刻して販売することで修繕費を捻出しようとしている。2011年に修理を行う予定。」とあった。
 絵葉書には、往年の称念寺の姿が残されている。しかし、お寺にはひと気が無く、どこで絵葉書が売っているのかもよく分からない。由緒あるお寺、ぜひ復興して欲しいと合掌して立ち去った。
 現在、壁などの修復が行われている。
 所在地:奈良県橿原市今井町3-2-29。
 交通:近鉄橿原線で八木西口駅下車、徒歩10分。
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