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「修学院離宮」(しゅうがくいんりきゅう)

2006年02月12日 00時48分39秒 | 古都逍遥「京都篇」

 けやき並木に覆われた白川通りを北上し、北山通りとの交差点を過ぎると、比叡山中から流れいずる、かつて歌枕として知られた音羽の滝があった音羽川に差し掛かる、それを右折すると市中の様相から一変したのびやかな田園風景が広がり、その先にうっそうとした杜が見えてくる、それが修学院離宮である。

 修学院の名は10世紀後半、僧勝算の営んだ寺・修学院寺が建立されたのが始まりで、南北朝時代以降この寺は廃絶したが、地名は修学院村として残った。
 初期の江戸幕府は日本の支配固めに「禁中並公家諸法度」を発令し、朝廷、天皇の権力と権威を縛りつけたことに端を発し「紫衣事件」が起こった。「紫衣」とは、高い徳を持った僧のみが身につけることのできる法衣・袈裟で、従来は朝廷がそれにふさわしい人に与えていた。ところが徳川幕府は、僧侶がその勅許を得る前に、幕府の承認が必要だという「禁中並公家諸法度」を作った。これに対して後水尾天皇は激怒し、寛永6年(1629)幕府に対し抗議するというかたちで退位してしまった。
 退位した後、後水尾天皇は「後水尾院」となり、隠居地として選んだ地が修学院寺の跡地で、比叡山、音羽山の山麓54万平㍍の広大な敷地内に「御茶屋」と呼ばれる庭園を3つも配した巨大な山荘を造営、1659年に完成、修学院離宮とした。造営費は朝廷懐柔の目的で将軍徳川家光が援助したが、離宮内の庭園は枯山水庭園や回遊式庭園の名園・名勝が広がる。

 隠居地離宮(別荘)の候補地の選定を始めたのが1641年、候補地を決定する迄、実に14年の歳月を要し、完成に4年あまりの歳月がかかっている。
 離宮は、上御茶屋・中御茶屋・下御茶屋と、3つのゾーンによって構成され、中でも目が奪われ絶景は上御茶屋である。隣雲亭(りんうんてい)と名付けられた離宮最上部から見る景色は、そのスケールの大きさと美しさは、しばし我を忘れるかのごときである。まさしく日本の宝、国の名庭というにふさわしい。
 そして手前に大きく横たわる、11、500平方㍍の浴龍池は、龍が水浴びをするというほどに広い池だ。ほとりには、松や楓が植えられ宮廷庭園の特長をなす優しい造形が施されている。池の水は、比叡山からの伏流水と音羽川のを引いてある。その奥は借景。京都の北、岩倉からさらに北山の山並を借景とし、借景庭園の代表格と言うべき見事さで、深延に続く奥行きを表現し、その優美さに心が洗われる。また離宮の趣向の素晴らしさは、田園風景をそのまま離宮の景色として取り込んでいるところであろう。おそらく後水尾院は、田圃の四季折々を感じながら、心穏やかに上御茶屋までそぞろ歩いたのではなかろうか。離宮内には棚田様式の水田風景もあり、現在でも地元の農家の人たちによって作物が作られ、収穫物は農家の人たちが得て、その小作料を宮内庁に納めている。
 中御茶屋は、歴史の途中から林丘寺(りんきゅうじ)の境内に組み入れられた。
其処には楽只軒(らくしけん)と客殿が立つ。楽只軒と客殿は宮内庁に、明治19年返されたという。楽只軒は素朴な茶屋である。客殿の床の間の壁が、現代的デザインで妙に溶け込んでいて面白い。
 床の間は本床で畳が敷かれてある。40㎝どの高さ迄、紺色をした和紙が千鳥に貼られ、1本、横に帯を流し、上部は斑な壁になり、中段上部には、金箔が互い違いに貼ってある。 客殿床の間に進んで、一間半の横幅で霞(かすみ)棚がある。棚が連続的に右上がりにつけられ、下部は地袋となっている。桂離宮の桂棚、醍醐寺三宝院の醍醐棚と共に天下の三棚と称されている霞棚である。
 上御茶屋への入口にも板戸があり、上御茶屋隣雲亭に至る細い石段の両脇は円く刈り込まれた灌木が葺き、下りた先に、浴龍池の水面(みなも)が煌いていみえる。浴龍池へと降ると、池に浮かぶ2つの島に架かる中国風の千歳橋が、木立ちの間にま見える。千歳橋の基部は切石で積み上げられいて、西側の島に四阿風(あずまや)の方形の屋根がのせられている。池の西浜に進むと、さきほど見た隣雲亭が遠く丘陵に浮んで見える。

 宮内庁職員の案内役に導かれ、ところどころに監視官が見つめる中、1時間40分ほどの取材拝観であったが、疲れもなく歴史の重さと優美さを味わうことができた。
 所在地:京都市左京区修学院藪添
 交通:市バス5・31・35系。叡山電鉄「修学院離宮道」下車、徒歩約20分。
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