山 崎 泰(やまざき たい)のデイリーブログ
新宿区のTFS国際税理士法人理事長 山崎 泰が、「心に残る出来事」「忘れられない想い」をホンネで綴る、ズッコケ珍道中!
 



日頃は、あまり信心深くない私も、

齢を重ねてきたせいか・・・彼岸のこの時期になると、妙に信心深くなる。

 

昨日に続き、『今日の言葉』2017年版4月号より

中島義亮・奥羽教区願成寺住職の執筆にかかる一文。。。

 

 「親の意見(小言)と冷酒は後で効く」ということわざがある。

 確かに私も、父の小言は、ただの煩わしいだけのものとしか受け止めてこなかった。

 父は、私がどこかに出かけようとすると、いつも「どこに行くのか?」と、しつこく聞いてきた。

 私は当時、そのことがたまらなく嫌で仕方がなかった。

 

 時がたち、現在、私も父親の立場になった。

 長女が今年から中学生となり、自転車通学をするようになった。

 今まで、自転車で公道を走ったことのない長女が、

 突然、学校までの道のりを、自転車で通学するようになったものだから、

 親としては、やはり心配である。

 帰宅時間になると、いつ帰ってくるのだろうかとそわそわしながら、窓から外を覗いたり、

 時にはわざわざ帰宅時間に合わせて、犬の散歩に出かけたりすることもある。

 そういう親の気持ちになってみて、あらためて気づかされた。


 当時、ただ煩わしいとして感じられていなかった、

 父の「どこに行くのか」ということ賀には、

 「どうか、無事で帰ってきてくれよ」という、深い願いが託されていたのだと。

 その願いに気づいてみれば、何とも有難い父の言葉であったのだと、今更ながら思うのである。


 言葉に込められた願いを聞きとった時、その言葉は

 生きた教えとして、私の上に響いてくる。

 そして、その言葉や願いを通じて教えを示してくださった存在を

 「諸仏」と親鸞聖人は仰がれたのである。


そういえば、昨晩も。。。

塾講師のアルバイトに出かける息子を見送りながら、

「今日も頑張って、無事に帰って来いよ」と、心の中で呟いていたような。。。

地方にアルバイトに出かけた娘の帰る時間を、それとなく、

何度となく(しつこ過ぎて怒られないように)、妻に尋ねていたような。。。

 

再度、心に残った上文の引用の続き・・・

 生前中は、居てくれるのが当たり前と思いがあったからでろうか。

 あらためて、父の存在に思いを寄せるということは、あまりなかった。

 しかし父なき今、ことあるごとに「親父なら、こんな時どうしているのだろう」と、

 父について思いを馳せている。

 思えば、生前中は、毎日顔をつきあわせていても、

 本当の意味で、父と出会えていなかったのだろう。

 むしろ父を失った今、より確かな存在として、父と出会えているのかもしれない。

 そして今、父が私に託してくれた願いを、この身に感じながら生きている。


 親として、我が子に託す思い・・・

 本当の意味で、父子として出会う意味・・・

 果たして、生前に伝えられるだろうか。

 

 

 

 

  


 






 



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