矢嶋武弘の部屋

日一日の命
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放送事故で「始末書」を書かされた!

2017年12月13日 05時31分52秒 | フジテレビ関係

<2008年8月に書いた以下の記事を復刻します。>

誰だって「始末書」なんか書きたくない。事故を起こした場合、その当事者が事故の経緯を上司に報告する文書だからだ。しかし、私にはその嫌な経験が1回だけある。実に不名誉なことだ。
私の場合は、いつものようにテレビ放送に関するものだが、もう20年近く前になるだろうか、昼ニュースのデスクを担当していた時に不祥事が起きた。ニュースというものはしばしば“追い込み”で入ってくるのだが、放送時間の5分ほど前に原稿を仕上げておけば全く問題はない。後はアナウンサーに原稿を渡して放送するだけなのだ。
ある日のこと、ニュースが追い込みになった。現場からの原稿が2~3本だったか遅れて入ってきた。しかし、そんなことはよくあることで、手際良く原稿をチェックして放送時間(オンエアタイム)までにアナウンサーに手渡すところが、職人芸と言うか、ニュース担当デスクの“醍醐味”なのである。
ところが、その日は魔が差したのか、メドとなる原稿「5分前」の意識が漠然としていたらしい。5分を割っても2~3分あれば、放送時間にギリギリ間に合う。私は複数の原稿をチェックしている間に、まだ2~3分はあると誤認していたのだ。
その時、誰かが「おい! もう放送時間だぞ!!」と叫んだ。その直後、男のアナウンサーが席を立つと一目散にスタジオへと走っていった。送り出し担当のディレクターも必死にその後を追う。
しかし、その数秒後だろうか無情にも昼ニュースが始まった。誰もいないスタジオがテレビ画面に映っている。空白の中に沈黙が続く・・・すると、息せき切ったアナウンサーが飛び込んできた。放送開始時間から30秒近く経っていただろうか、彼はトップニュースから原稿を読むのだが、息が切れて思うように“ろれつ”が回らない。
そのうち、ようやく正常にアナウンスできるようになったが、それまでの1秒1秒は、私にとって“精神的拷問”以外の何ものでもなかった。「やっちゃったか・・・」という思いだ。30秒も空白をつくるというのは、相当な放送事故である。私はガックリと意気消沈した。
昼ニュースが終わると、私はアナウンサーを始め関係者に謝った。しかし、放送が終了して間もなく、ニュース・ネットを組んでいる地方局から次々と苦情と抗議が寄せられた。これは担当の地方デスクが謝り続けたが、そのデスクの指示で事故のてん末を書いた「説明書」を各局に送る羽目となった。

翌日になると、何人もの報道局員から「どうして、あんな事故になったの?」などと聞かれたが、そのうち、N報道局長が私の所にやって来た。ふだんは厳しいN局長だが、その時はなぜか穏やかに、にこやかに語りかけてきた。「矢嶋君、昨日の放送事故について始末書を書いてほしいのだ」と言う。
始末書・・・今まで一度も書いたことがないのに、とうとう書かなくてはならないのか。もとより、事故は私の責任なのですぐに書くことにした。そして、始末書を報道局長に提出すると、かえってスッキリした気分になった。
思い返すと、あの放送事故の時は魔が差していたのか、少し油断していたのは間違いない。ふだん、放送時間が迫ってくると、だいたい誰かが気が付いて「あと4分だよ」などと声を掛け合うのだが、あの時は追い込みの原稿で忙殺されていたのか、誰も気が付かなかったようだ。その点は運も悪かったが、いずれにしろ放送事故の責任はニュース担当デスクの私にある。
あの「始末書」の件があったからか、勿論それだけの理由ではないが、私は報道局に“未練”が無くなったようだ。翌年の人事異動で、私は自分から願い出て、28年もいた報道局を後にして他の部署に移ることになった。(2008年8月29日)

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