矢嶋武弘の部屋

われ「記す者」なり
言葉は命、そして弾丸にもなる
もし勇気去らば、全てのもの汝より去る(ゲーテ)

青春流転(12)

2017年10月01日 03時17分47秒 | 小説・『青春流転』と『青春の苦しみ』

10)アナーキズム

 六月二三日。 日米新安保条約が、両国の批准書交換によって発効した。同じその日、岸信介首相も臨時閣議で「人心を一新し、政局を転換するため」退陣の決意を表明した。 これを機に、史上空前の規模で行なわれた安保反対闘争は、ようやく収束されていくのである。

 七月に入ると初旬に、全学連の第十六回全国大会が東京で開かれたが、日共系の反主流派は大会をボイコットし、独自に全自連(全国自治会連絡会議)を結成、全学連は事実上分裂した。

 また主流派内部でも安保闘争の総括をめぐって、闘争を高く評価するグループと、これを敗北と見るグループに分かれ、総括論争は混迷を深めていった。 そして、安保闘争を終始リードしてきたブント(共産主義者同盟)は三つの派に分裂し、事実上“解体”していくことになる。

 こうした左翼学生戦線の混迷の中で、行雄はむしろ解放感に包まれながら、マルクス主義とアナーキズムの研究に没頭していくことができた。 一方、彼が属するマル学同(革共同系)は、社学同(ブント系)のことを“プチブル急進主義”とか一揆主義(ブランキズム)と批判してきたから、ブントの解体は歓迎すべきことであった。

 連日の集会やデモから解放されて、行雄はゆとりを持って革命思想を勉強していくことができた。 彼にとっては、安保闘争が勝利だったか敗北だったかという議論は、どうでもいいように思われた。 むしろ、これからの日本社会主義革命への展望を、どのように切り開いていけるかということに関心があったのである。

 

 梅雨も終り夏休みに入ると、全学連の学生達は「ふるさとでの民主主義」を合言葉にして、安保反対の決意も新たに“帰郷運動”を始めた。 夏休みの大学キャンパスは、日ごとに蒸し暑くなる中で、一ヵ月前のあの安保闘争の熱気がまるでウソのように、けだるい静けさに包まれていた。

 行雄はマル学同派の勉強会や集会に絶えず出席していたが、マルクス主義かアナーキズムかという重大な選択を迫られていた。 従って、笹塚健一や瀬戸山史子とも毎日のように会って、アナーキズムについても議論を交わしていた。

 ある時、瀬戸山が「村上さん、せっかくの夏休みだから、少し旅行でもしてみません?」と誘いをかけてきた。 笹塚も「村上君、彼女は君とちょっとした旅行をしたがっているようだよ」と鎌を掛けてきたが、行雄は断った。

「僕は、安保闘争で高校の修学旅行もボイコットしたくらいなんだ。 いまはマルクス主義かアナーキズムかで、頭の中が一杯なんだよ。 旅行なんか、とても行く気になれないね」 行雄がそう答えると、二人は笑い出した。「村上さんは真面目なのね。どうして、そんなに真面目なんでしょう」瀬戸山が半ば呆れたような顔付きをして言い添えた。

 そのうちに、笹塚らが「反逆の砦」というパンフレットを作るから、行雄にも協力して欲しいと言ってきた。 このパンフレットは、アナーキズムだけを唱道するものではないというので、行雄も彼等と一緒にそれを作ることになった。

 何を書いても良いというので、「反逆の砦」第一号に行雄は、ロジェ・マルタン・デュ・ガールの小説「チボー家の人々」に登場してくる、ジャック・チボーを批判する小論を書いた。

 社会民主主義者で、第二インターナショナルを信奉していた誠実な青年・ジャックが、第一次世界大戦を前に最後まで反戦を訴えながら死んでいく姿は、極めて崇高で感動的なのだが、彼の限界は暴力革命主義者になりえなかった所にあると論じた。

 行雄はジャックのような青年が好きだったから、彼の人道主義的限界だけを指摘することで満足していたが、笹塚は、こんな小論では少しも面白くないと不満を漏らした。 なぜ不満なのか行雄がいろいろ質してみると、要するに笹塚は、マルクス主義を真っ向から批判して欲しいと望んでいることが分かった。

 彼はアナーキストだからそう思っているのだろうが、マルクス主義を越える魅力が果たしてアナーキズムにあるのだろうか、と行雄は疑問を感じた。 無政府共産主義だとか無政府集産主義だとか、ユートピア社会の理想像はマルクス主義とほとんど変わらないではないか。

 ただ、アナーキズムの場合は、革命を通しての自由の尊重、前衛党の否定、労働組合を母体とする自由連合の思想があるだけだ。 そうした思想が、革命を遂行していく段階で本当に有効なのだろうか。 鉄の規律を持つ前衛党こそ、ロシア革命の成功でも分かるように必要なのではなかろうか。

 自由の名のもとに、自然発生的な無原則な組織体で、果たして反動の攻撃から革命を守ることができるのだろうか。労働組合の直接行動、つまりゼネストだけで革命の展望を切り開くことができるのだろうか。 

 確かにプロレタリアートの独裁という思想は、前衛党の独裁にすり替えられる危険性が十分にある。 ソ連においては正に共産党の独裁となり、スターリンの独裁に転化してしまったのだ。 しかし、それを防ぐためには、まず前衛党のあり方を問題にしていくべきであり、いきなり前衛党そのものを否定してしまって良いのだろうか。 行雄にはいろいろな疑問が湧いてくるのだった。

 革命を推進していく主体は自由連合組織か、それとも前衛党なのか。 いくら考えても、行雄には正しい答えは分からないのだ。 結局、この問題は、革命を行なう者の“価値判断”にかかってくるのではないだろうか。

 あくまでも自由を尊重する者はアナーキズムを掲げれば良いし、革命のために手段を選ばないとする者は、前衛党による規律ある行動の方が、革命の達成のために有効だと考えるだろう。 目指す社会の理想像については、マルクス主義もアナーキズムも大して変わりはないのである。 究極的には、双方とも国家の廃絶を目指しているのだ。

 行雄には問題が多くあり過ぎて、どちらの思想や革命理論の方が正しいのか、にわかに結論を下せる状況ではなかった。 双方の思想や理論をじっくりと研究していくしかないと思った。

 夏休みに入って、マル学同などの各セクトは夏季理論研修会を始めたが、行雄は、マルクス主義かアナーキズムかの選択を客観的な見地から行ないたいと思い、マル学同の研修会への参加を取り止めた。

 

 八月の上旬になって、森戸敦子がアメリカでの一年間の留学を終えて帰国した。 久しぶりに敦子に会えると思うと、行雄は懐かしさに胸が弾んだ。 一年前の彼女とのやるせない別れの思い出が、彼の脳裏に鮮やかに蘇ってくる。敦子の憂いを漂わせた青白い顔が、行雄の目頭にこびりついて離れない。 早く彼女に会いたいという気持で一杯になった。

 今は横浜に転居している森戸敏子が、娘の敦子を連れて行雄の家に帰国の挨拶にやって来た。 敦子を一目見て行雄は驚いた。色白でやや神経質な感じだった彼女が、日焼けした顔をほころばせて健康そうな様子をしていた。 それに、膝頭が見えるほど短いスカートをはいており、小麦色に焼けた彼女の両脚が妙に肉感的に見えて彼を戸惑わせた。

「やあ、しばらく。日焼けして元気そうだね」「ええ、水泳をしていたので黒くなってしまったわ」 敦子が生き生きとした表情で答えるので、行雄は青白い顔をした自分を意識して、彼女が“まばゆく”見えて仕方がなかった。

 行雄は早速、この一年間の自分の体験、全学連や安保闘争のことなどを一気に話し始めた。 すると、敦子は面白くなさそうに顔を伏せて黙り込んでしまった。いかにも詰まらない話しだといわんばかりに、彼女はろくに行雄の方に顔を向けなかった。 一年前の敦子とは、あまりに違っているのだ。

 彼女は大儀そうに脚を組んだり、指先を小刻みに動かしている。 そのうちに、彼女の膝から奥へと日に焼けた太股がチラリと見えたりすると、行雄は一瞬、心臓がちじみ上がるほど気持が動転した。

 敦子は、彼の話しにまったく関心を示さなかった。興味を示すどころか、もううんざりという素振りであった。 これがあの敦子なのだろうか。アメリカへ行くと、こうも変わってしまうのだろうか。 以前の彼女なら、行雄が政治問題のことを話していても、澄んだ瞳をまじろぎもせずに聞き入っていたというのに、まるで別人のようではないか。 行雄はがっかりした。彼はもう“むき”になって、革命の理想に生き、そのために死んでいく自分の使命を一方的にしゃべりまくった。

 話しを続けているうちに、行雄は空しさを感じた。 敦子はもう、彼が心に描いていたような“少女”ではなくなっていたのだ。純真で無垢なイメージの敦子は、今ここにいる女性とはまったく別人の過去の存在になってしまったのだ。 やがて彼女はようやく口を開いた。

「私はあなたの言うことが、全然分からないわ。 あなたはマルクス主義やアナーキズムのことなどを随分勉強しているようだけど、私はそうしたことには関心がないの。 私はアメリカに一年間行って、自分でもとても変わったと思うわ。それはいろいろな人に会ったからなの。

 あなたも、もっと多くの人と付き合っていかなければならないと思うわ。あなたの話しを聞いていると、ごく限られた人達とだけ交際しているみたい。それも、学生運動をしている人達だけという感じね。 世の中には、もっといろいろな考えを持っている人が大勢いるはずだわ。そうした人達とも、もっと率直に話し合っていかないと過ちを犯すと思うの。

 私達はまだ未成年だし、社会や外国のことなど、まだ分からないことが沢山あると思うわ。 あなたはさっきから、革命、革命と言っているだけで、とても限られた立場にしか立っていないみたい。もっと多くのことを勉強していかないと、本当に社会を良くすることも、他人を幸せにすることもできないと思うわ」

 敦子にお説教をされた形になり、行雄は反論するしかなかった。「僕は僕なりに勉強してきたんだ。 そして、今の社会は良くないという結論に達したんだ。この社会を変革するかしないかは、人それぞれの立場で違ってくるだろう。

 君が今の資本主義社会でいいと言うなら、もう君とは話し合っても無駄なことになる。君は君の好きなようにすればいい。 僕はあくまでも、革命の道を進んでいくだけだ。 もうこれ以上、話すのは止めよう!」 行雄は不愉快になって話しを打ち切った。一年間の別離が、二人の間にこんなにも深い溝をつくってしまったのだろうか。

 敦子は暫く黙っていたが、低い声で話しを継いだ。「私は、みんなより一年遅れているの。 アメリカへ行ったことは勉強になったけれど、来年の春には、大学に入らなければならないわ。そのために、これから受験勉強もしなければならないし・・・」

 留学はしたけれど、一年遅れてしまったことを告げられて、行雄は敦子の立場を少しは理解する気持になった。 「横浜に引っ越したので、これからあまり会えなくなるね。でも、東京あたりでたまには会って欲しいな」 行雄がそう言うと、敦子はこれには素直にうなずいた。

 この後、行雄はいくらか気持を変えて、できるだけ敦子の気分を害さないように話しを進めていった。 アメリカ留学の話しを聞いたり、お互いに家族のその後を語り合ったりして、差し障りのない会話を続けた。

 ふと、一年前の今頃、この部屋で敦子の手を握り、ぎごちなく抱いた時のことを思い出した。 それが脳裏に浮かぶと、行雄はやはり彼女に魅力を感じるのだった。アメリカナイズされたような所が少し癪に障るが、敦子は一年前より、確かに女らしく成長している。

 彼女は変わってしまったが、自分の方ももっと変わってしまったのではないか。革命や全学連を語ることなくして、今の自分はありえない。 敦子の方こそ、こちらの変貌ぶりに驚いているのではないか。そう思えばお互いさまではないかと、行雄は自分に言い聞かせた。

 敦子母子が、行雄の家族と夕食を共にしてから帰宅すると、彼は何か空しい気持に襲われ虚脱感に浸っていた。暫くは彼女とお別れだという思いが募った。寂しい気もするが、これは仕方がない。 自分には革命がある。いや、革命しかない。革命の大義に生きていくことが自分の道であると、悲壮な思いになるのだった。

 

 敦子に再会した後、行雄は気を取り直して革命思想の研究に没頭した。 特にアナーキズムについては、手当りしだいに文献を読んでいったが、ある日のこと、笹塚に勧められて大杉栄の著作を何冊か買ってきて読むことになった。

 最初に読んだのが、大杉の「自叙伝」と「正義を求める心」だったが、特に「自叙伝」に行雄は非常な感動と驚嘆を覚えた。 大杉栄の自由奔放な生き方、何ものにも拘束されない革命精神、自由な恋愛遍歴などが彼に衝撃を与えた。

 大杉の“生の拡充”と“生の闘い”を基本とする生き方は、正に人間精神の讃歌であり、またその精神の歌声でもあった。 そこには生の人間の叫び声があり、これほど“肉声”が伝わってくる革命家を行雄は他に知らなかった。

 個性豊かな大杉にとっては、前衛党の鉄の規律も小うるさい組織論も必要ではないのだ。 そんなものは、彼の燃えるような革命と反逆の精神にとって、むしろ邪魔なものになってくるのだ。 彼は一個の自由な人間として、その全生涯を革命のために捧げたのだが、それよりも、その自由で反逆的な生き方そのものが、結果的に社会革命運動へつながっていったように感じられた。 そういう意味で、大杉は天成の革命家であり、稀有の革命家であると思われた。

 また、彼の“人となり”は極めて魅力に富んでいたようで、女性に持てただけでなく、六カ国語以上の外国語を理解し、ファーブルの「昆虫記」を初めて邦訳したり、ダーウィンの「種の起源」などを翻訳していることも分かった。 幾たびも投獄されながら、これほどの文化的業績をあげていることは驚異であった。 行雄はたった半日で、大杉の熱烈な心酔者になってしまった。

 このように絶えず生を拡充していった大杉栄。 もし彼が、三十八歳で軍部に虐殺されずに長生きしていれば、こういう人間は自分の思想を絶えず乗り越え、アナーキズムにこれまでにない新境地を切り開いていたかもしれない。 行雄は大杉にそのような姿を見たのであった。 こんな革命家が日本にいたのかという鮮烈な思いが、行雄のその後の活動に大きな影響を与えることになる。

 一方、アナーキズム史などを調べていくうちに、行雄はロシア革命でアナーキスト達が数多く弾圧されたことを知った。 特に衝撃を受けたのは、一九二一年に起きたクロンシュタットの反乱にまつわるものである。

“ロシア革命の華”と言われたクロンシュタットの水兵達が、その年、ボルシェビキ政権に対し民主化や自由を求めて立ち上がったところ、トロツキーが指導する赤軍によって圧殺された事件だった。 クロンシュタットの水兵、労働者、市民達は自由コミューンを創って立ち上がったが、トロツキーらはこれを“山鳥の雛”を撃ち殺すように虐殺していったという。 この反乱事件に、アナーキストは直接関与していなかったと言われるが、事件後、数百人のアナーキストが逮捕され、何人かが銃殺された。

 この事実を知った時、行雄は大きなショックを受けた。 それまで偉大な革命家と思い尊敬していたトロツキーが、どうしてこのような弾圧を実行したのだろうか。 クロンシュタットの正当な要求をなぜ銃で圧殺したのだろうか。 彼等の活動をどうして「反革命」と断罪したのだろうか。いろいろな疑問が行雄の心に湧いてきた。

 当時、ロシアでは国内での反革命や経済破綻などで、誕生して数年のボルシェビキ政権が苦境に立っていたことは十分に分かる。 しかし、だからと言って、民衆の正当な要求を、反革命や西欧干渉勢力の共犯行為と断定して圧殺して良いものだろうか。 ボルシェビキは、自分の政権の安泰だけを望んでいたのではないのか。どう考えてもおかしいと、行雄は思った。

 レーニン、トロツキーらは革命の名において、真に革命的な民衆の運動を、ボルシェビキ独裁を守るために弾圧したと理解するしかなかった。 こうして、ツァーやケレンスキーを倒して勝ち取った偉大な革命の成果は、すでにボルシェビキ・共産党の手中に独占され、共産党だけが絶対に正しいという風にすり替えられていったのだ。

 共産党を守ることが革命を守ることだという、この決定的な“すり替え”はどこから生じたのだろうか。 それは、ボルシェビキ・共産党が国家権力を独占したからに他ならない。 これはプロレタリアートの独裁ではなく、ボルシェビキ・共産党の独裁だったのである。

 ボルシェビキ政権が赤軍の武力を必要としたのは、反革命や列強資本主義国家の干渉から革命を守るためであって、労働者、市民らの正当な民主的要求を圧殺するためのものではなかったはずだ。 プロレタリアート独裁ではなく、こうした共産党独裁が、後に革命を利用し、それを食いものにするスターリニズム官僚支配へと継承されていったのである。

 やがて、トロツキーがソ連から追放され、レーニンが夢想もしていなかった巨大な「社会帝国主義」の怪物が生まれてきたのは、レーニン、トロツキーらが自ら種をまいた共産党独裁の当然の帰結なのである。

 独裁は腐敗する。 民主的な分派活動も認めないような独裁体制の中から、スターリニズム官僚支配と一国社会主義理論が生まれてきたのであれば、ボルシェビキ・共産党の独裁に固執したレーニンやトロツキーは、もって瞑すべきである。 後にトロツキーは、スターリンによってロシア革命が裏切られたと言ったが、そうではなく、ボルシェビキ独裁によって、すでに革命は裏切られていたのだ。 行雄はそのように理解した。

 ロシアではアナーキズムの伝統が弱かったから、マフノー運動を除いて、アナーキストはそれほど力を発揮することができなかったようだ。 しかし、クロンシュタットの反乱後に、何百人ものアナーキストが弾圧されたことは、ボルシェビキが民主的で革命的なアナーキズムを、いかに恐れていたかという証しである。

 もっと自由が尊重され、民主主義が浸透していたロシアであったならば、またアナーキズムが根強く生きていたならば、革命はあのような結果にはならなかっただろう。 ツァーの独裁から、一転してボルシェビキの独裁、そしてスターリンの独裁へと革命が変質、歪曲されていくことはなかっただろう。

 わずか数日の研究ではあったが、行雄ははっきりとアナーキズムに傾倒していった。 もう騙されるものかと、心に誓った。そして、自分が一個のアナーキストになっていくことを自覚したのである。

  二、三日後に、行雄は高田馬場駅近くの喫茶店で、笹塚と瀬戸山に会った。今度は初めて、行雄の方から誘って二人に話しをすることになった。 彼はこのところのアナーキズム研究などの話しをした後、次のように自分の考えを述べた。

「人間の、個人の自由をあくまでも尊重しながら、革命を達成しようというアナーキズムの思想に、僕は心を打たれるものがあった。 これからは、完全に君達と一緒に行動していきたい。マル学同も近く辞めようと思っている」 行雄がそう言うと、二人は嬉しそうに微笑んだ。

「僕達はもう、アナ連と言って、日本アナキスト連盟に加入しているんだ。 今月の下旬にアナ連の大会があるから、君も良かったらぜひ参加してみないか?」 笹塚がすぐに誘ってきたので、行雄はそれに同意した。

「それは結構だ。早稲田にもこれからアナ連の支部を創るし、機関紙の『クロハタ』を配布していかなければならない。 君と一緒に作っている『反逆の砦』もどんどん出していこう。 九月になれば、全学連の池田内閣打倒闘争も始まる。そういう闘争に参加しながら、僕らはアナーキズムを広めていこう」 笹塚が張り切った口調で続けた。

 すると、瀬戸山も“どんぐり眼”を輝かせながら声を弾ませた。「嬉しいわ、村上さんが私達の運動に入ってくれるなんて。 安保闘争が終って、学生達はどこへ行けばいいのか、方向を見失っている感じよ。 ブントは、安保闘争の総括をめぐってガタガタになってしまったし、全学連は事実上分裂してしまったもの。

 私達がここで、アナーキズムの旗を高く掲げていけば、進歩的な学生達はきっと共鳴してくれると思うわ。 現に村上さんが私達の運動に参加してくれるんだから。新しい時代が始まるのよ、素晴らしいじゃない」

「いや、どうも。僕なんかにできることは小さいかもしれないが、一所懸命やるつもりだ。 安保の後、なにか白けた虚脱感のようなものがあったけれど、こうして無政府主義に目覚めることができて良かった。 また、やる気になってきたよ」 行雄は二人が喜んでいるのを見て、満足げに答えた。

 笹塚と瀬戸山はこの後、アナーキズム運動の中心になっている、某出版社の梅沢正之氏の所へ行こうと誘ってきた。 もとより行雄に異論はないので、その日の夕方、新宿区市ヶ谷にある梅沢の家を三人で訪れることになった。

 梅沢は三十歳を少し超えたばかりで、長身で眼鏡をかけており学究肌の人間に見えた。 物静かな語り口で話すのだが、アナーキズムへの信念には確固たるものを感じさせる何かがあった。派手さはないが、地味で誠実な人柄を忍ばせている。 日頃、なんでも知っているような態度を示す笹塚も、梅沢の前では謙虚な一学徒という素振りになっているのが、端から見ていて行雄にはおかしかった。

 そのうちに梅沢と笹塚は、近く開かれる日本アナキスト連盟の大会について事務的な運営の話しを始めたが、梅沢も行雄に対して、ぜひ出席して欲しいと言ってきたので、彼は大会に出ることを約束した。

 

 八月下旬のある日、横浜市内の某所で日本アナキスト連盟の大会が開かれた。 行雄は笹塚や瀬戸山と連れ立ってそこに出席したが、参加者は二十人程度の極めて小規模な大会であった。 大半は中高年の人達で、若い人といえば行雄達三人の学生と、他に在日韓国人の青年労働者が一人いるだけであった。

 こんなに若さに乏しい雰囲気ではあったが、行雄にとっては、新しい革命運動の原点がこの大会にあるような気がして、終始心地よい緊張感を持って議事の進行を注目していた。 大会の議長役を務めたのは梅沢で、彼が理路整然と、今後のアナーキズム運動の展望や課題を述べていった。

 しかし、アナ連の組織が微弱であるため、学生運動や労働運動の中にアナーキズムをいかに浸透させていくかという点については、明確な指針が示されていなかった。 要するに、この集いは“大会”と言うよりも、アナーキズム研究の“サロン”の延長みたいなものであった。

 今後、現実の運動の中にアナーキズムを浸透させていくのは、正に若い学生達に与えられた使命ということになり、行雄は九月の新学期から始まる全学連の行動の中で、アナーキズム運動を実践していこうという決意を新たにしたのである。

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4 コメント

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アナーキズムですか・・・ (ヒロシ)
2016-02-27 11:13:01
エンゲルスの「空想から科学へ」に書かれている資本主義没落論、国家は廃止されるのではなく死滅する。という命題は今日もなお有効だと思っていますが、この小説の主人公はそういう方向とは反対の方へ行くのですね。
それがアナーキズムですか・・主人公の思想的彷徨がこれから始まるのでしょうか、ますます興味深いです。
国家の死滅 (矢嶋武弘)
2016-02-27 13:27:47
マルクス主義は「国家の死滅」を言いますね。スターリンでさえそれを言っています。
しかし、現実はむしろ国家が強大化していったのが歴史です。
アナーキズムもそれを言いますが、人間社会の現実は失敗の連続ではないでしょうか。
民族とか人種とか、宗教などの価値観がある限り、それは難しいと見るのが正直なところだと思います。国家の死滅は理想ですが・・・
性善説と性悪説 (ヒロシ)
2016-02-27 17:47:18
国家の問題は結局のところ表題にある説のどちら側にその人が立っているかによって決まってくると思います。有史以来並び立っている見解ですから、どちらが正しいとか間違っているとか結論の出ないテーマですよね。確かに今は性悪説に説得力があるように思います。テロとの闘い北朝鮮や中国の脅威を持ち出されると反論の舌鋒は鈍ります。この問題にあまり深入りしても埒のないことですから、小説のほうをおしまいまで読ませていただきたいです。感想はその後に申し上げます。
個人と国家 (矢嶋武弘)
2016-02-28 05:48:03
了解しました。
個人と国家の問題は半永久的だと思います。また機会があれば、大いに論じ合いましょう。

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