武弘・Takehiroの部屋

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靖国神社よ、御霊(みたま)を拉致・監禁するな!

2014年01月05日 06時49分20秒 | 社会・事件・事故

<以下の記事を、一部修正して復刻します。>

1) 靖国神社は、いわゆるA級戦犯の祭神からの撤去はもとより、分祀する事もできないという。 私は靖国神社の“将来”をおもんぱかって、前項(「靖国神社から“A級戦犯”を撤去せよ」⇒末尾にリンク)を書いたつもりだが、いかなる宗教上の理由があろうとも、まことに残念である。
靖国神社の見解によれば、神道の信仰上、“分祀”自体があり得ないというのだ。 つまり、一つの神霊が分霊されても、元の神霊も分霊した神霊も、それぞれ全神格を有しており、一つの神霊を分霊したとしても、元の神霊は存在するというのだ。(神道上の分祀とは、神社の中に“別の座”を設けて祭るという意味だそうだ。)
しかし、分祀とは一般に「分けて祀ること」で、本社と同じ祭神を別の新しい神社に祀ることだ。分霊された神社は「分霊社」と呼ばれる。 それならば、分祀は簡単に出来そうなものだが、靖国神社によればそれは不可能だというのである。

いずれにしろ、仮に“A級戦犯”の分祀が一般的な意味で行なわれたとしても、元の神霊は靖国神社にそのまま残るわけだから、靖国に参拝すれば、A級戦犯も含めて追悼したということになる。 だから、分祀すること自体には全く意味がなく、御霊(みたま)を撤去・除去できるかということが問題になる。
われわれ一般人の常識では、霊璽簿(れいじぼ)に記載された名前を取り除けば、それで御霊は撤去されると思いがちだが、靖国神社の見解によれば、御霊が鎮座する「座」から、個別の御霊を抜き出す(取り除く)ことはできないというのだ。 つまり、コップの水を水槽に注いだ後、同じ水をコップに戻せないのと同じ理屈だという。
従って、いったん合祀された“A級戦犯”の御霊は、靖国神社が消滅しない限り、永久に靖国に祀られるということだ。そういう意味で、仮に全てのご遺族が分祀に賛成しようとも、分祀することはあり得ないと靖国神社は説明している。“A級戦犯”は永久に靖国に残るのだ!

2) 以上、靖国神社の見解を紹介したが、われわれの常識でどれほど理解できるだろうか。正直言って、私にはよく理解できない。まるで「屁理屈」ではないか。 それが神道であり、それが日本人の伝統的な神霊観念だと言われても、残念ながら理解できない。
そこには、越えることのできない宗教の厚い壁がある。 神道という宗教が、私には死霊か妖怪か魔物のように思え、靖国自体が伏魔殿のように見えてくる。まるで「バカの壁」(養老孟司氏の著作名を借りれば)に阻まれているようだ。 こうなると、分祀か撤去かなどと真面目に考えることが、馬鹿馬鹿しくなってくる。国民も政治家も、真面目に議論する方が馬鹿を見るのではないか。
靖国神社が以上のような姿勢でいる限り、いわゆる「靖国問題」は全く解決されないだろう。解決しようと思っても、それは無駄な努力である。 われわれ国民は、もっと前向きな議論をしていこう。頑迷固陋な靖国を相手にせず、もっと実のある「追悼施設」のあり方を検討していこうではないか。

政治と宗教の峻別、「政教分離」の原則は確固たるものだ。これを否定する者はいないだろう。その原点に立てば、国の追悼施設は完全に「無宗教」でなければならない。それが近代国家の根幹である。全てはそこから始まる。
「宗教性」のない追悼などあり得ない、という意見をよく聞く。しかし、それは違う。 追悼という死者を偲んで悼む行為は、宗教や思想、哲学以前の人間の素朴な感情や想い、つまり「人間性」に根ざしているものだ。ごく自然な人間の情念である。
宗教心がなくとも、人間は死者を追悼することができるし、実際にしている。 私のような無宗教に近い人間(他にも大勢いると思うが)でも、祖先の霊やいろいろな神社、慰霊碑などの前で、合掌したり黙祷したり拝礼したりするのだ。
追悼とは「人間性」が本来有しているもので、特別の宗教感情ではない。無信心な人も仏教徒も、キリスト教徒も神道を信じる人も、皆が持っているものである。 だからこそ、全ての人に分け隔てなく参拝してもらうために、国の追悼施設は、特定の宗教に片寄らない「無宗教」のものでなければならない。

3) 靖国問題で私が最も非人間的、非人道的な措置だと憤っているのは、合祀取り下げが出来ないということである。 A級戦犯の分祀があり得ないことは先に述べたが、韓国人や台湾人、クリスチャンなどの戦没者遺族が合祀取り下げの要求をしても、靖国神社は「教学上、できない」と突っぱねているのだ。
私に言わせれば、これは“御霊の拉致・監禁”以外の何ものでもない。 これは戦没者本人の遺志はもとより、ご遺族の心情や意向を全く無視するもので、極めて非人間的、非人道的な行為と言わざるを得ない。このため、幾つもの訴訟が起きているのは当然のことだ。
人間は自分の意思に拘わらず、死んでも「国家神道」に殉じなければならないのか。憲法に保障された「信教の自由」は、どこへ消えてしまったのか。これは重大な問題である。 日本人よ、信教の自由を取り戻せ!
インターネットで調べてみると3年前に、生存しているにも拘わらず、元日本軍属の韓国人2人が、靖国神社の手違いで合祀されていたことが判明したという。 その時は、さすがに生存しているというので、神社側も「霊璽簿」から二人の名前を取り除いたという。このように、簡単に合祀を止めることができるではないか!(重要な祭祀だと言っていたくせに・・・)
自分がミスした時は、いとも簡単に合祀を取り止めておいて、「分祀はできない」「合祀取り下げはできない」などと、勝手な理屈を並べて世間に通じるとでも思っているのか! こう言うとまた、靖国側は教学上の“屁理屈”を並べ立てるに決まっている。「バカの壁」とはそういうことだ。

昭和天皇は、A級戦犯が靖国神社に合祀されて以来、全く参拝されないまま崩御した。今上天皇ももちろん参拝されていない。 皇室からも相手にされなくなった“靖国陣営”が、なんとしても内閣総理大臣に参拝してもらおうと焦っている気持はよく分かる。もがき苦しんでいるのだ。
しかし、もがけばもがくほど自縄自縛である。靖国神社が自ら襟(えり)を正さない限り、靖国問題は解決しない。 これが最後通告だ! 靖国の将来のためにも、自ら適切な判断を下すべきである。それができないなら、靖国に代る「国立戦没者追悼施設」の新設を、われわれは真剣に考えなければならない。
まだまだ述べたいことは山ほどあるが、本日はここまでにしておきたい。「人間の自由」と「真理」のために、私は今後も靖国問題を徹底的に追究していく。 (2005年6月11日) 

靖国神社から“A級戦犯”を撤去せよ・・・http://book.geocities.jp/yajimatakehiro2007/138.html


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