矢嶋武弘の部屋

ロシアと中国が 仲裁に入れ!
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2017年05月27日 03時28分12秒 | 過去の記事

諸悪の根源は「官僚支配」だ!

昨日は、わが所沢市(埼玉県の田舎)へやって来た友人・Y君と一杯飲んだ。所沢では、年に4回ぐらい大規模な“古本市”が開かれるが、ジャーナリストで作家のY君は必ずと言っていいほどやって来る。
 その度に居酒屋で一杯やるのが通例だが、昨夜も飲みながら大いに議論した。先日、私は「一観光客」として北朝鮮へ旅行したのだが(以下、朝鮮と記す)、朝鮮通のY君は手ぐすねひいて待っていたのか、びしびしと追究してくる。彼はもの凄い知識人で、私よりもはるかに多くのことを知っている。何でも知っている感じだ。したがって、だいたい私がやり込められることが多い(笑)。 でも、勉強にはなる。
 Y君は朝鮮の金正日体制が大嫌いだ。人民を不幸にしているあの独裁体制が許せないと言うのだ。分からないではない。私も以前は、あの金正日体制が大嫌いだったから、そういう記事もずいぶん書いた。しかし、それと日朝国交正常化とは別問題だろう。あの国も開かれてくれば、おのずと変わってくると見ている。
 しかし、Y君は国交正常化どころではないという感じだ。完全に「反朝鮮」である。そこで、いくら議論しても歩み寄りはなく平行線をたどった。
 
他にもいろいろ議論したが、唯一、二人が一致したテーマがある。それは「官僚支配の打破」ということだ。これは完全に一致した。
 日本は官僚天国、役人天国である。その弊害があまりに多く出ているから、2年前、官僚支配を打破しようと、民主党政権が誕生したのである。その点で多くの国民が新政権に期待した。しかし、この2年間、民主党政権は何をしてきたか。
 官僚支配の打破どころか、逆に官僚に良いように操られているではないか。脱官僚・政治主導の理念はどこかへ消えた感じだ。Y君によれば、官僚の“天下り”は自民党政権時代よりも増えているという。公務員給与の削減はどうなったのか。公務員制度改革はどこかへ消えたのか!
 私もY君も、民主党政権の体(てい)たらくに憤然として議論を進めた。いろいろ話したが、例えば財団法人「日本宝くじ協会」などは酷いものだ。人数は忘れたが、大半が天下り役人で、2兆円の収益のうち1兆円を自由に使い、某理事長の月収は何と300万円なのだ! しかも、理事長は1週間にせいぜい2日ぐらいしか出勤してこない。以上はY君の話だが、こんな馬鹿なことがあるだろうか。
 
実は「日本宝くじ協会」については一昨年、例の“事業仕分け”の対象になり、事業廃止の方向が打ち出された。これは当然である。こんなデタラメな協会があって良いわけがない。
 ところが、その後どうなったのか。民主党政権は議論だけして一向に廃止しない。こんなケースは他にいくらでもあるのだ。あの事業仕分けは単なる“パフォーマンス”だったのか。つまり、初めは良い格好だけ見せたのだが、民主党政権はその後放ったらかしにしているのだ。悪賢い官僚たちが裏でいろいろ動いたことは、容易に想像できる。
 官僚の手玉に取られた民主党政権は全く存在価値がなくなった。Y君は「みんなの党」が良いと言う。確かに、みんなの党は公務員制度改革などに熱心だ。私は最近、ブログで共産党関係者と仲が良いが、「共産党なら官僚支配の打破に力を振るうだろう」と言ってやった。
 すると、Y君は「何を言うか! 共産党こそ多くの公務員に支えられているのだ。話にならん!」と叫んだ。よく知らないから私は共産党の話を止めたが、彼は産経新聞流の行政改革論者なのだろうか。
 
「官僚支配の打破も行政改革も、野田新政権では何も期待できそうもないね」と言ったら、Y君は「やはり、小沢一郎しかいないよ」と答えた。これには同感だ。
 本当に官僚支配体制を覆すには、小沢一郎の剛腕に期待するしかない。だから、官僚は小沢を恐れているのだ。しかし、小沢は今や刑事被告人だ。これから裁判を受ける。
 私が「小沢は無罪だろう」と言ったら、Y君は意味ありげに「いや、有罪になると思うね」と答えた。そうかな~~、無罪だと思うが、私はそれ以上小沢問題に触れなかった。
 官僚支配の打破という一点だけはY君と一致したが、今の民主党政権ではほとんど何も出来ないだろう。みんなの党が政権に入ってくる可能性は極めて低い。官僚支配の打破はますます遠のくのか。
 3・11以降、世の中は大震災対策と原発事故の収束で手一杯という感じだ。公務員制度改革などの懸案はどこかへ消えてしまったようだ。しかし、民主党政権の本来の重要なテーマは、脱官僚・政治主導の推進にあるはずだ。それを決して忘れてはならない。そうでなければ、政権交代を果たした意味がないではないか。
 私はY君と議論した後、改めてその思いを強くしたのである。(2011年9月1日)

 

土地は誰のものか

 土地とは何か。土地はもともと誰のものでもない。私有地などは本来なかったのだ。
 人類の初期の歴史はよく分からないが、集落や原始共同体が出来たとすれば、土地は初めみんな(皆)のものであったはずだ。人がある一定の地域に長く住むようになって、徐々に私有地が誕生したかもしれない。これは居住地域によって様々な違いがあるだろうから、一概にこうだとは言えない。 いずれにしろ国家が成立すると、土地は国有地か私有地かをめぐって、いろいろな動きが起きたはずである。
 よく知られているが、日本では7世紀中頃に「公地公民制」が樹立されたといわれる。つまり、全ての土地と人民は国家(朝廷・天皇)が領有するというものだ。これが律令制の根幹となったのだが、8世紀の奈良時代に入ると、土地を開墾した者への私有が認められるようになった。(三世一身法などと呼ばれる)
 これなどは私有地を認めるから、食糧増産のため大いに開墾しなさいという趣旨だろうが、古代日本でも土地の国有と私有をめぐっていろいろな動きが起きたのである。
 
さて、日本史の話を延々とするつもりはない。ここで提起したいのは、土地とは何か、土地をどう考えるかといった極めて根本的な問題である。いわば“土地の哲学”みたいなもので、それぞれの人が土地をどう考えるかということだ。
 分かりやすくするために、まず私の考えを述べて問題提起としたい。私は、土地とは基本的に国有地・公有地だと思っている。もちろん反対意見があるだろうが、私有地というのは“便宜的”なもので、あくまでも国有地・公有地から派生したものだと考える。
 なぜそう考えるかというと、土地はもともと誰のものでもなく、人類の前に広がっていたからだ。原点はそこにある。やがて人類は集落とか共同体などをつくり、それが地域や国家へと発展していったのだ。
 人類の住み方がどう変わろうとも、また人種や民族、地域住民や国民が誕生しようとも、決して変わらない“不変”のものこそ「土地」なのである。そう考えると、土地というのは神から人類に与えられた贈り物であり、極めて神聖なものだと言わざるを得ない。いま人類に与えられたと言ったが、実は人類を含む全ての“生き物”に与えられたと言うのが正確だろう。
 
こういう考えを「土地信仰」とでも言うのだろうか。「土地絶対論」とでも言うのだろうか。とにかく、そういう考えだから、人類にいま国家がある以上、土地というのは基本的に国家のもの、公的なものと認識するのだ。決して私有物ではない。
 仮定の話だが、いつの日か「世界政府」みたいなものが出来たとしたら、土地は国家のものではなく、世界政府のものだという考えに発展していくだろう。ただし、これはまだ夢のような話だが。
 さて、私の土地への信仰は揺るぎないものだから、私有地などは本来認められない。何を言ってるんだ! お前だって宅地などを持っているだろうと非難されそうだが、これは私有地であっても、基本は国から“借りている”という考えなのだ。固定資産税(今は地方税)などを払っているが、国に「借地料」を払っていると考えれば良い。
 
そう言うと、お前は国家主義者か、社会主義者か、全体主義者かと言われそうだが、何と言われようともそれが私の認識なのである。固定資産税か借地料かといったことはともかく、国家の土地なのだから私が負担料を払って当然である。
 最後は「土地税制」の話に少し移ってしまったが、それは後日じっくりと意見を述べるとしよう。本日は「土地は国家の基本だ」ということを、そういう理念を徹底的に知って欲しいと思う。そこから全ての考え、政策、法律などが生まれてくるだろう。 以上、土地絶対論者である私からの問題提起である。(2010年 8月10日)

 

大宅壮一さんのこと(前編)
先日、ある方のブログを訪問したら、昭和の大評論家・大宅壮一氏の有名な言葉「一億総白痴化」の話が出ていた。この言葉は1957年(昭和32年)に、大宅氏が「テレビというのは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると一億総白痴化になる」といった趣旨で述べたと伝えられている。
 詳しいことは分からないが、この「一億総白痴化」というフレーズはとても有名になり、テレビを論じる時は長く使われた。調べてみると、同じ頃に作家の松本清張氏もテレビについて「かくて将来、日本人一億が総白痴となりかねない」と述べたと言われる。 とにかく、テレビ初期の時代は余りにも低俗な番組が多く(今でもそうかもしれないが)、知識人の多くが日本の将来を危惧したようである。
 
しかし、私がここで言いたいのは、大宅さんほどテレビを愛し、テレビを活用したジャーナリストも珍しかったのではないかということだ。
 あれは1964年(昭和39年)の夏だったか、当時、自民党の大実力者であった大野伴睦という政治家が亡くなった。大野は東海道新幹線の駅を地元の岐阜県・羽島市に誘致したと批判されていたが、これに関連して、大宅氏はテレビで「あんな政治家は早く死んでくれて、日本のために良かった」という趣旨の発言をした。
 今ならそれほど問題にならなかっただろうが、大野伴睦氏が死んだ直後だっただけに、自民党・大野派の国会議員らが烈火のごとく怒り、「大宅を国会に呼べ!」などと大騒ぎになった。この時はテレビの担当者も連日大変だったようで、なんとか自民党議員らをなだめすかして事態を収めたようだ。
 
このように、大宅さんは新興メディアのテレビを活用して言いたい放題であったが、翌1965年(昭和40年)には、なんとテレビニュースのキャスター・司会者として登場したのである。あれほどテレビを「白痴化」の元凶だと非難していたのに、自ら番組の司会者になったのだ。ニュースキャスターだから、真面目なものと判断したのだろうか。
 私はその時、フジテレビの新米社員で番組のAD(アシスタント・ディレクター)だったから、大宅さんの“付き人”みたいな形でずっとお世話をさせてもらった。番組は「大宅壮一サンデーニュースショー」と言って、毎週日曜日に生放送するものである。ニュース原稿はもちろん女子アナが読んで、大宅氏がいろいろ解説を加えるというものだ。
 初めは、テレビを白痴化の元凶と決めつけた大宅氏だっただけに、非常に怖い人かと思って接したが、全くそうではなく実に優しい人柄であった。われわれスタッフに怒ったことは一度もなく、好奇心が旺盛な人だからテレビとはどんなものか楽しんでいる風情なのだ。 私はその時「この人は根っからのマスコミ人だな~」と思ったのである。(後編に続く)

(後編)
大宅さんは博覧強記というか、とにかく何でも知っているので“付き人”でいる間はとても勉強になった。私は単に番組のADという立場だったが、大宅門下生というのは草柳大蔵氏を始め数多くいて、それらの人たちがやがてテレビでも大いに活躍するようになる。 そう考えると、大宅氏は一億総白痴化の元凶と言いながらも、テレビジャーナリズムの原点を作った一人と言えよう。
話が面白かった例として、これはやや品が悪いが“エロ話”も得意だった。ある時、別の番組で政治・経済のティーチインをやることになった。大宅さんが評論家の立場で一人だけ出ることになり、あとは政治家や財界人が7~8人出たと思う。
 その事前の打ち合せ会で、私が番組進行の説明などをしたのは良かったが、本番までかなり時間が余ってしまった。こういう時は所在ないものである。まして、自民党の国会議員も財界人も大宅さんを快く思っていないので、なんとなく気まずい雰囲気になってしまった。
 ところが、大宅さんだったか誰かがひょんなことで“女”の話を持ち出した。すると、いい年をした男ばかりだから、急に話が弾んで皆が生き生きとなった。エロ話も時には良いものである。自民党のある議員がここぞとばかりに、女のことで大宅さんに質問する。すると大宅氏は待ってましたとばかりに、とうとうとまくし立てるのだ。
 エロ話だから詳しく言えないが一つだけ紹介すると、大宅さんは、外国人の女、特に若い女と結婚した日本人は大変だと言う。毎晩攻められてクタクタに疲れ、ついに離婚した男の話をすると皆がどっと笑った。
 すると、経団連のトップの人が、ロシアの女の話をおもしろおかしく始めたので、全員が興味深く聞く始末だ。本番までの待ち時間はアッという間に過ぎ、ADの私が話を切り上げるのに手間取ってしまった。ああいう時は、大宅さんという人は話上手で実に重宝する。
 
昔のジャーナリスト、知識人というのはタフな人が多くて、遊びなども豪快だったらしい。大宅氏もその門下生もエネルギッシュで、群馬県の温泉旅館などへ行くと朝から晩まで、そして徹夜でマージャンをやったそうだ。温泉などそっちのけだから、旅館の人が驚いたり呆れたり・・・
 しかし、今でもよく覚えているが、大宅さんが愛する長男を亡くした時は可哀そうだった。ある日、番組の打ち合せ時間に大宅さんは遅れてやって来た。見ると目が真っ赤に充血していて「実は昨夜、息子が死にまして」と言う。
 われわれスタッフはびっくりしていろいろ気を使ったが、その日の番組は彼も気丈にやってのけた。あとで聞いたり調べたりしたら、大宅さんの息子は歩(あゆむ)さんと言って、その時、弱冠33歳だった(1966年)。
 歩さんは17歳の時にラグビーの試合中に大怪我をし、それが元で後遺症に苦しんでいたが、学問や文学に大変な才能を示していたという。彼の著書も出ているが、昔、ある雑誌に寄稿した歩さんの一文では、父・壮一氏を冷たく批評していた。「父は思想家でも社会主義者でも何でもない」と。
 つまり、息子は冷徹な目で大宅さんを見ていたのだ。歩さんから見れば、壮一氏は単なるマスコミ人、時代の流れに敏感な一ジャーナリストにしか映らなかったのだろう。しかし、どんなに批判されようとも、父・壮一氏は息子の死を嘆き悲しんでいたのだ。
 
そろそろ終りにするが、テレビを一億総白痴化の元凶と批判した大宅氏こそ、テレビを最も有効に活用、利用した人ではなかったかと思う。悪く言えば、ミイラ取りがミイラになったようなものだが、同じようにテレビを批判した松本清張氏も、その作品が最も多くテレビドラマ化された作家である。
 私はこうした点で、自分が生きてきたテレビというメディアを“誇り”に思うが、大宅氏や松本氏は草葉の陰でどのように考えているだろうか。
 以上、昭和の大評論家であり、マスコミの王者であった大宅壮一氏について述べた。(10年7月8日)

 

日本共産党はなぜ伸びないのか(前編)

私は日本共産党(以下、共産党or日共も)の研究家でも何でもないが、この党について思っていること、感じていることなどを率直に書いていきたい。
共産党は1922年(大正11年)に創立されたから、現存する日本の政党の中では最も古い歴史と伝統を持っていることになる。ちなみに、後で紹介する中国共産党(以下、中共も)は、それより1年前の1921年に結成されたから、日中両国の共産党はほぼ同じ時期に誕生したことになる。
 
戦前の共産党は、天皇制廃止や私有財産制の否定を主張し、また日本の侵略戦争に反対したから、非合法政党として当局から徹底的に弾圧された。しかし、敗戦後は合法政党として再出発し、1949年(昭和24年)の総選挙では35議席を獲得、大躍進を遂げた。
その後、朝鮮戦争の勃発などアジア情勢の激変を受け、共産党は政治路線をめぐって不幸にも内部分裂するが、その辺の詳しいことは時間がかかるので省略する。分裂や武装闘争方針による混乱などで党は国民の支持を完全に失い、1952年(昭和27年)の総選挙では議席ゼロにまで転落した。
しかし、1955年(昭和30年)以降、共産党は徐々に統一と団結を取り戻し、宮本顕治氏が書記長に就任してからは党勢を回復していった。1970年代の共産党の躍進は目覚ましく、1979年(昭和54年)の総選挙では39議席を獲得、この頃一部のマスコミは「自共対決時代」(自民党と共産党の対決)と報じたくらいである。
その共産党が1980年代以降、徐々に議席を減らし、衆議院では現在わずか9議席、参議院では先の選挙(7月11日)で6議席にまで後退した。なぜ共産党は伸びないのか。なぜ多くの国民の支持を受けないのか。だいぶ前置きが長くなったが、ここから本題に移っていこう。
 
はっきりと言おう。まず党の体質として、共産党は「開かれた政党」になっていない。その端的な例が党規約にある。日本共産党規約第3条の第4項に「党内に派閥・分派をつくらない」というのがある。いまどき、こんな条項をわざわざ記した党規約など、他の政党にあるだろうか。(宗教政党なら別だが)
同じく第5項では「意見が違うことによって、組織的な排除をおこなってはならない」としているが、意見が違えば自ずと派閥、グループなどが出来るのが普通である。民主党や自民党を見れば、幾つものグループや派閥が存在している。民主主義と言うのは、多様な意見があることが前提なのだ。共産党は「民主集中制」を組織の原則にしているが、集中制の方に重点があって、民主とか自由という理念は希薄であるのが実態だろう。
ただし、これには理解できる面もある。共産党の歴史を見れば、先に触れたように政治路線をめぐって深刻な対立、混乱、そして分裂した経緯がある。自民党や民主党などは自由を基本にしているから、いつ分裂してもおかしくはない。過去に何度も分裂を繰り返してきた。しかし、共産党はもともと全体主義的体質だから、分裂を許さないという掟、縛りみたいなものがある。そして、いったん分裂、分派行動を取ると、近親憎悪と言うか、まるで不倶戴天の敵同士のように相手を罵倒し合うのである。それは凄まじいものだ。過去に何回もある。
共産党は同じ左翼でも中核派や革マル派と敵対関係にある。しかし、もともと同根(革共同)の中核派と革マル派が憎み合うように、共産党は分派活動を許さないのである。その点が、成熟した「開かれた党」には全くなっていない。これでは主義・主張がいかに立派でも、党員になろうという人が二の足を踏むのではないか。
もとより、40万人以上の党員がいるそうだからそれは結構だが、19世紀の“前衛党”といった面影がまだ残っているのである。
 
次に政治路線と政策面だが、共産党は綱領で「社会主義・共産主義の社会」を目指していることをはっきり謳っている。これは当然かもしれない。もともとマルクス・レーニン主義を旗印に出発した政党だから、今や「科学的社会主義」などと言い換えても本質が変わるわけではない。
社会主義・共産主義社会を目指して結構だが、ここで一つ質問をしたい。かつて敵対していたが、今や友党関係にあるはずの中国共産党、ならびに中国政府が取っている「改革開放政策」は明らかに資本主義ではないのか。
そして、中国は資本主義を導入することによって、目覚ましい経済発展を遂げているのだ。あれは社会主義に到る一つの過程なのか。それとも、中国社会は社会主義から資本主義に移ろうとしているのか。こうした点をどのように考えるのか、日本共産党に質問したいのである。 中国共産党は国有化、公有化を前提として明らかに資本主義の道を歩んでいる。まるで「国家資本主義」ではないか。
 
これに対し日本共産党は、綱領で「生産手段の社会化」を謳いつつ、生活手段では私有財産を保障するとしている。こうした点は相当に柔軟になったと思うが、よく分からないのは、共産党は「経済成長」とか「生産性」をどう考えているかである。
党の話を聞いてよく感じるのは、“大企業は悪で中小企業は善”といった趣きがあることだ。大企業への優遇税制を改めるなどの主張は分からないではないが、私は大企業が全て悪いなどとは思っていない。なぜなら、大企業が経済成長に果たしている役割も大きいからである。
中小企業でも発展していけば大企業になるものもある。大企業でも経営に失敗すれば、中小企業に転落したり破産するものもある。経済活動というのは、経営規模で一律に計れないものがあるのだ。
とにかく、儲かっている大企業から過剰な内部留保と利益を吐き出させ、それらを全て中小企業や社会に還元させようというのでは、逆に経済成長や生産性向上に逆行する面が出てくるのではないか。
貧しい人たち、失業者、社会的弱者を助けようという気持はよく分かるが、経済成長や生産性向上のことも忘れてはならない。その点が、日本共産党と中国共産党の大きな違いではないのか。(後編に続く。2010年7月28日)
<参照>
日本共産党綱領・http://www.jcp.or.jp/jcp/Koryo/index.html
日本共産党規約・http://www.jcp.or.jp/jcp/Kiyaku/index.html

(後編)
先の参議院選挙で、日本共産党が伸びない象徴的な選挙区が東京であった。東京は定員5人の大選挙区で、共産党からは党政策宣伝委員会責任者の小池晃(あきら)氏が立候補した。小池氏はテレビなどマスコミにも数多く登場している有名な論客なので、私はまず間違いなく当選すると見ていた。
ところが、5人区だというのに小池氏は次点で落選、第5位のみんなの党の候補者に約10万票の大差をつけられて涙を呑んだのである。共産党は地方議会の議員数はけっこう多いのだが(女性議員の数が比較的多い)、国会では衆参両院を通じて選挙区選出の議員はゼロで、全て比例代表区選出の議員ばかりである。
やや専門的な話になってしまったが、固定票はあるものの票が伸びない、票が広がらないという傾向がはっきりと出ているのである。
 
菅首相が消費税の10%引き上げ論を打ち出したり、普天間基地移設問題で連立政権が混迷を深めたりしていたから、今回の参院選は社民党や共産党に“風が吹く”とばかりに読んでいたら、結果は全く逆で共産党も社民党も議席を減らして敗北したのである。
社民党はともかく、これほどの好条件の下で共産党はなぜ敗れたのか。党執行部も反省しているようだが、何を反省し何を今後に生かそうとするのか、その辺がわれわれ国民には全く見えてこない。党の綱領や規約を大胆に変えるのだろうか。しかし、そんなことを共産党に望むのは無理かもしれない。
外交や安全保障政策については、私は多くの点で共産党を支持している。将来的に日米安保条約を廃棄するのに賛成だし、自衛隊の存続についても社民党とは違って、必要があれば「活用する」といった現実的な方針を打ち出している。社民党の「非武装日本」よりは、はるかに日本の安全保障を考えていると評価したい。
 
国民の暮らしと生活を守るという点では、共産党はどの政党よりも熱心なはずだ。また、政党助成金(国税からの支出)を拒否しているのは共産党だけだ。この点は真に立派である。しかし、問題はやはり党の「体質」だと思う。
共産党は立党以来、戦前戦後を通じて国家権力の“弾圧”を受けてきた経緯がある。したがって、ともすると閉鎖的、排他的な姿勢を示す癖(へき)がある。これはやむを得ない面があるかもしれないが、21世紀の今日、過去の歴史に拘泥している場合ではない。
選挙でも国会でも効果的な「野党協力」は必要だし、それを大いに行なうべきである。なぜなら、共産党自らが「民主連合政府」を提唱しているではないか。
また、旧ソ連や中国と違って「一党独裁」はやらないと明言している。それならば、もっと「開かれた政党」になるよう努力しなければならない。そう考えると、党の綱領や規約はもっと民主的、自由なものに変えていくべきだろう(前編を参照・http://blogs.yahoo.co.jp/yajimatakehiro2007/36700451.html)。 共産党という「党名」についても、共産主義への反発やアレルギーが強い現在、それを変更するのが得策だろう。例えば「労働党」などいろいろ考えられるではないか。
 
私は40年ほど前、国会の野党担当記者をしていたが、共産党はちょうど宮本顕治委員長・不破哲三書記局長の体制が確立した頃で、党勢が拡大し国政選挙でも躍進を遂げていた。1972年(昭和47年)の総選挙では38人が当選し、社会党に次いで野党第2党に進出するなどとにかく勢いがあった。
あの頃、党主催の「赤旗まつり」がたしか東京の椿山荘で行なわれ、われわれ記者も行ったが実に盛大で賑やかだった。一杯ご馳走になっていると、宮本委員長に促され、不破さんがねじり鉢巻き姿で一生懸命に太鼓を叩いていたのを思い出す。何とも微笑ましいシーンだったが、あの頃の共産党の勢いはどこへ行ったのか。
当時ももちろん「民主連合政府」を謳っていたが、あれから40年たっても一向にそれは実現しそうもない。政党は政権を取らなければ意味がない。それとも“万年野党”で良いと言うのだろうか。 万年野党というのは一種の“文化財”みたいなものだ。いや“文化遺産”かもしれない。文化遺産というのは「過去のもの」であって、現在のものでも将来のものでもない。
最も長い歴史と伝統も持つ日本共産党は、文化遺産で終わってしまうのか。それとも、本気で政権政党になれるよう体質を改善し、脱皮していくことが出来るのだろうか。(2010年7月29日)

 

アメリカこそ世界最大の“戦争国家”だ!

昨日の記事で私は、アメリカの軍需産業が不況の中でも好景気に沸いている話をしたが、よく考えるとそれは当然ではないかと思ってしまう。なぜなら アメリカの経済自体が、戦争と軍需産業に頼っている面が大きいからそうなるのだ。
アメリカは絶えず「戦争」に頼ってきた。19世紀のことはよく知らないが、20世紀に入ると第1次世界大戦が起き、アメリカは一気に景気を回復し、大戦が終わると一転して不況に陥った。そして、第2次世界大戦の時も参戦して不況を乗り切り“戦争特需”にあずかったのである。
その戦争経済体質は非常に明らかで、昨日も書いた「軍産複合体」というのは、アイゼンハワー元大統領が、1961年1月の退任演説で指摘したものである(末尾にウィキペディアの記事をリンクしておく)。 アメリカの大統領自らが軍産複合体の存在を指摘し、それに懸念を表明したということは、アメリカがいかに戦争経済で成り立っているかを証明するものである。
その後、アメリカはどうしてきたか。軍産複合体を止めようとしたのか? とんでもない! ますます、それを推し進めてきた。いい例がベトナム戦争である。当時はソ連、中国など共産主義国家の強敵がいたから、旗印に『反共』を掲げ、ベトナムが共産化すればアジア地域はドミノが倒れるように次々と共産化するという、有名な“ドミノ理論”のもとに戦争を拡大していったのである。

ベトナム戦争は誰でも知っているからその話は止めるが、『反共』の旗印はその後 長く続いた。しかし、1991年にソ連が崩壊すると、もうこの旗印は通用しなくなった。冷戦が終了し、人々は平和な時代が到来するものと期待しただろう。ところが、現実は違った。幾つもの民族紛争が起きたことは事実だが、アメリカは『反共』に代わる旗印を模索していたのだ。
そして、現われたのが『反テロ』である。湾岸戦争などを経て、この新しい旗印は次第に鮮明になっていった。2001年9月、アメリカで同時多発テロ事件が発生すると、この『反テロ』は不動の“錦の御旗”になった。それまでにイラン、イラク、北朝鮮、キューバ、シリアなどが、アメリカによって次々に「テロ支援国家」に指定され、アメリカは正々堂々と戦争を行なう口実を得たのである。(ただし、これは自分勝手に決めたことである。)

そして、イラク戦争が勃発したのだが、要するにアメリカは戦争を起こすために、次々と“敵対国家”を作り上げていったのである。その旗印が『反テロ』なのだ。イラクの場合は、大量破壊兵器があると言い掛かりをつけて侵攻し、サダム・フセインを討ち取った。しかし、ご承知のように大量破壊兵器は見つからなかったのである。今頃になって、あの戦争はおかしかったなどと反省めいたことを言っているが、軍需産業は大儲けしたのだから、目的は果たしたのだろう。アメリカ兵は4000人以上戦死したというが(イラク人はその100倍以上も死んでいるのだ!)、アメリカの戦争経済のために死んだのなら、名誉の戦死と言えるのだろうか。
さて、次にアメリカが触手を伸ばすのは(すでに一部伸ばしてはいるが)、アフガニスタンである。イラクから撤兵すれば余力が出るから、本格的に軍事介入してもおかしくはない。“テロリスト”たち(タリバンなど)は沢山いるのだ。(沢山いればいるほど好都合だ!) すでに、アメリカの軍需産業はアフガンで儲けているようだが、絶好の戦争市場になることは間違いない。

こうして見てくると『反テロ』と言いながら、実際にテロを推し進めているのはアメリカではないのか。敵対者を見つけては(あるいは、作り上げては)、いろいろ口実を設けて戦争を仕掛ける。その度に軍需産業が儲かるという仕組みが出来ているのだ。テロ(暴力・破壊活動など)の最大で究極の形が戦争である。そう考えると、アメリカほど戦争をしている、又したがる国は他にないから、世界最大の『戦争国家』だと言えよう。
アイゼンハワー元大統領は、アメリカの「軍産複合体」に警鐘を鳴らした。しかし、あれから50年近く経っても、アメリカの戦争経済体制は少しも変わっていないようだ。いや、むしろもっと巧妙に狡猾に出来上がっているようだ。

将来、日本が北朝鮮や中国などと戦争を起こすことはまずあり得ないだろう。しかし、仮にそういう戦争が起きたら誰が一番 得をするか、儲かるかを考えたことがあるだろうか。誰が一番 喜ぶだろうか。そう、その通り、それはアメリカである。アジア人同士を戦わせ、両方に武器を輸出して“漁夫の利”を占めようというのがアメリカのやり方である。これによって、アジア諸国はさらに疲弊するのだ。
かつてアメリカは(レーガン政権時)、断交中のイランに武器を密かに輸出し、その売却代金を中米ニカラグアの反政府勢力に渡していた事件があった。「イラン・コントラ事件」として大スキャンダルになったが、アメリカはこうしたことを平気でやる国なのである。戦争と国益のためなら何でもやる国なのだ。
長くなるのでもう止めるが、アメリカは日本の同盟国(?)だから、私も嫌いではない。大リーグもハリウッド映画も大好きである。しかし 何度も言うが、この国は戦争のためなら何でもするということを、日本国民は深く認識すべきである。そして、アメリカ主導(謀略、策動を含む)の戦争には、出来るだけ係わらないように注意すべきである。そうしないと、いつ日本に火の粉が降りかかってくるかもしれないからだ。(09年10月9日)

「軍産複合体」・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E7%94%A3%E8%A4%87%E5%90%88%E4%BD%93(ウィキペディアより)

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