矢嶋武弘の部屋

われ「記す者」なり
言葉は命、そして弾丸にもなる
もし勇気去らば、全てのもの汝より去る(ゲーテ)

<天才・英雄が歴史をつくる> 信長、レーニン、ヒトラー etc.

2017年07月01日 03時59分02秒 | 歴史

<以下の文を復刻します。>

1) 私がここで述べたいのは、唯物史観(史的唯物論とも言う)による俗物的な見方に反論することである。この俗物的な見方は、歴史における個人の存在や行動を極めて過小評価し、個人の人間性の重大さを軽視するからである。
 例えば、分かりやすいことから述べてみよう。 織田信長がもし生存していなかったら、16世紀後半の日本の歴史は、一体どうなっていただろうか。勿論、誰にも予測がつかないだろう。信長が存在していたことを踏まえて、我々はその当時の歴史をあれこれ検証しているだけだ。信長個人の存在を抜きにして、戦国時代末期を語ることはできない。
 信長について、今更あれこれ言うつもりはない。 別の視点から見てみよう。信長がいたからこそ、その下にいた秀吉や家康の歴史的役割が初めて実現したのである。ということは、歴史における個人の力(存在)は絶大なものがある。
 唯物史観では、一般に生産力と生産関係を軸にして歴史を検証していくが、その場合、個人の果たす役割がまったくと言っていいほど無視される。これは大きな間違いだ。そもそも「人間がいなければ歴史は成り立たない」のだから、人類の一部である個人が歴史を創って当然のことである。
 マルクス主義を始めとする唯物史観が、個人の存在を余りに軽視したために、歴史というものが極めて陳腐で白々しいものになってしまった。唯物史観では、個人が単なる“物体”になってしまうのだ。 これは人間を蔑視するものである。そこには人間性を重視する姿勢がまったく見られない。ヒューマニズムの欠片(かけら)もないのだ。
 
2) 以前、私はロシア革命の立役者であるレオン・トロツキーの著作を読んだことがある。 どんな著作だったか覚えていないが、その中で彼は、ボリシェビキの面々が革命の指導者であるレーニンについて、“天才”ではないかと論じ合っているくだりがあった。
 私は思わず苦笑した。 唯物論者で、本来は“天才”などを認めない彼等が、レーニンのことを天才かどうか論じ合っているのだ。マルクス主義から言えば、天才などはいない筈である。 しかし、私はレーニンを天才だと思う。20世紀の歴史の中で最大の政治的天才は、レーニンとヒトラーであった。

 レーニンがいなければ、ロシア革命もどうなっていたか分からない。 この人については、余りに多くの著作が出ているので、端的に2~3のことを指摘するに止めよう。 革命に対する、彼の鉄のような意志と情熱、行動力がなかったならば、ロシア革命(社会主義革命)は成功しなかっただろう。
 第1次大戦中のロシアで3月革命(1917年。ロシア暦では2月革命)が起きた時、レーニンは亡命先のスイスにいた。 ほとんど革命を諦めていたレーニンには、千載一遇のチャンスであった。彼は敵国ドイツと掛け合い、有名な“封印列車”を用意してもらって、ドイツや中立国を経由してロシアに入る。
 この時の行動は、「レーニンはドイツのスパイだ」と一部で非難されたが、目的(革命)のためには手段を選ばない果断な行動であった。 レーニンは首都・ペトログラードに入るや、「全ての権力をソビエトへ!」と叫ぶ。 そして、時の臨時政府の打倒と戦争の停止、社会主義革命の実現などを訴える。(一般にレーニンの“4月テーゼ”と呼ばれる。)
 これらの訴えは、当時ロシア国内で待機していた同じボリシェビキ(スターリン、カーメネフら)にとっては、耳を疑うような過激なものであった。 スターリン、カーメネフらは強く反対し、他のボリシェビキと共に、レーニンの訴えを圧倒的多数(13対2)で否決したのである。
 
3) しかし、レーニンの決意は断固たるものであった。また、彼は現実を十分に分析していたため、「ソビエト」が権力と武力革命の基盤になると確信していた。 それ以降、レーニンはボリシェビキの同志達を説得していく。 もともとボリシェビキを創ったのはレーニンであり、彼には権威があったから、自分の意志を党(ボリシェビキ)の方針として認めさせてしまうのだ。
 3月革命後のロシアでは、社会革命党(エスエル)やメンシェビキの方が、ボリシェビキよりもずっと勢力が強かった。 しかし、厭戦気分や情勢の混迷、臨時政府への不信などが、徐々にボリシェビキに有利に働いていくことになる。
 政治的、経済的、社会的条件が有利に働いてきたとはいえ、そこに明確な指針を打ち出す人間がいなければ、事は成功しない。どんなに情勢が有利になってきても、確固たる指導者がいなかったために、事が失敗した例はいくらでもある。
 この当時、臨時政府内に大胆に政策転換(戦争の停止など)を行える指導者がいれば、レーニンのボリシェビキは権力を奪取することは出来なかっただろう。 しかし、幸か不幸か、臨時政府にはそういう人物はいなかった。有能な政治家がいなかったのである。
 それに比べて、レーニンの方が間違いなく有能であった。その能力の裏付けは、革命に対する彼の不屈の意志、情熱、献身、洞察力、行動力であった。彼によってボリシェビキが生まれ変わり、ボリシェビキによってロシアが激変していったのである。
 11月革命は、プロレタリア革命(社会主義革命)と言われる。 そういう面は勿論あるが、内実はボリシェビキによる権力奪取であり、その一党独裁を確立したものであった。その背後には、レーニンの凄まじいばかりの“権力への意志”が読み取れるのだ。
 
4) レーニンの話でやや長くなったが、もう一つ、ヒトラーのことに簡単に触れたい。 この人の場合も、もし彼がいなければナチス・ドイツは誕生しなかっただろうし、第2次世界大戦も勃発しなかっただろう。 ドイツ国民自体が世界大戦を願望して、その意志で戦争に突入していったとは、とても思えないからだ。
 ナチス・ドイツが誕生した背景には、なんと言っても世界恐慌がある。 不穏な政治・経済情勢がナチスを伸長させたことは間違いない。 しかし、この当時、ドイツでは社会民主党、共産党の勢力も強大なものがあった。これらの政党がナチスを封じ込めるチャンスは、いくらでもあったのである。
 何故、ナチスは政権を取ったのか。 何故、社会民主党や共産党はナチスを阻止できなかったのか。歴史的にいろいろなことが検証されている。どんな政党にもチャンスがあったのに、結果はナチスが勝ってしまったのだ。 これはナチスの指導者・ヒトラーが、他党の指導者よりもはるかに政治的能力があり、魅力があったということである。これだけは歴史的に間違いない。
 
 これより先の1923年11月、ヒトラーはワイマール体制打倒を目指して同志と共にミュンヘンで武装蜂起をするが、失敗して国家反逆罪で逮捕される。 一時は失意のどん底に落ちるが、やがて立ち直り、裁判では「武装蜂起の責任は全て自分にある」と述べた上で、終始堂々たる被告人陳述を行なった。(以下、集英社文庫のジョン・トーランド著、永井淳訳「アドルフ・ヒトラー」を参考)
 法廷でのヒトラーの雄弁は冴えわたり、一躍ドイツ中にその名を轟かすという皮肉な結果になった。ドイツの国粋主義者の中に、ヒトラーファンが急増する始末であった。 彼は5年の禁固刑を受けたが、獄中では「わが闘争」を執筆、将来の政権獲得を想定して、アウトバーンとフォルクスワーゲンの構想を既に固めていた程である。そして彼は、実際にはわずか1年余りの刑期を終えただけで、意気揚々と出獄してきた。
 それからのヒトラーの奮闘振りは省略するが、世界恐慌によるドイツ経済の破綻、失業者800万人という危機的な状況の中で党勢を拡大し、1933年ついに政権を掌握。ナチスによる一党独裁体制を確立し、やがて総統に就任していった経緯はご存知だろう。
 ヒトラー政権の誕生によって、ドイツ経済は目覚ましい回復と繁栄を実現し、また外交面でも近隣諸国を次々に屈服させ、ドイツはヨーロッパ最強の国家として甦ったのである。 このため、国民のヒトラーに対する支持と信頼は、正に熱狂的なものになっていった。これが歴史的事実である。
 
5) ヒトラーの場合もレーニンと非常によく似通っている。“権力への意志”が極めて明確なのだ。 権力獲得のためには、あらゆる手段を講じた。一応、合法的に政権を取ったが、テロでもデマゴーグでもなんでも準備した。 またプロパガンダ(宣伝)と演出においては、史上空前の迫力があり、ナチス党大会などは壮麗極まりない一大ページェントとなった。
 これらのことを検証していくと、ヒトラーもレーニンと同様に、類い稀な政治的天才だと言わざるをえない。 彼なくしてナチス・ドイツはあり得なかったし、従って、その後の第2次世界大戦も想像できないのである。
 私は勿論、ヒトラーを讃美しているわけではない。 要は、天才だと言っているのである。「悪しき天才」であろうと、この事実を認めないわけにはいかない。 レーニンもヒトラーも、個人の特性において抜きん出ており、その力量は同時代の政治的ライバルをはるかに凌駕していたのだ。

 唯物史観では、歴史上の個人の能力や行動を極めて軽視する。天才などは認めないという姿勢だ。 それならば、唯物論者に尋ねたい。天才を認めないならば、その逆に精神障害者や精神異常者の存在も認めないのか。 もし一方で、精神障害者や異常者の存在を認めておいて、他方で天才や英雄の存在を認めないとするなら、これは甚だしい矛盾である。
 
 生前において、レーニンとヒトラーには多数の崇拝者がいた。 ヒトラーは個人崇拝を受け入れたが、レーニンはマルクス主義者(唯物論者)だから、勿論個人崇拝などは受け付けなかった。
 ところが、レーニンが死去すると共産党(元ボリシェビキ)の指導者は何をしたか。 レーニンを天才どころか、救世主のように“神格化”してしまったのだ。 彼の遺体を防腐剤で保存して「レーニン廟」に葬り、神様のように崇めてしまったのだ。レーニンの夫人・クルプスカヤはこれに強く反対したが、スターリンらはその抗議を無視した。
 一体これが、マルクス・レーニン主義者、唯物論者のすることだろうか。 後継者である自分達の立場や地位を強固なものにするために、レーニンを神様のように崇めることが、“科学的”社会主義者のやることだろうか。 レーニンを“天才以上”に祭り上げておきながら、天才の存在を否定するならば、矛盾撞着も甚だしい。
 以上私は、歴史における個人の役割の重大さを指摘したつもりだが、抜きん出た才能(天才)を持つ者でない限り、歴史を決定的に動かすことは不可能だと言わざるを得ない。 どのような政治・経済・社会情勢になろうとも、人間が何もしなければ、歴史は決定的に動くことはないのである。(完)

巨大なレーニン像(ロシア・ユジノサハリンスク)

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