武弘・Takehiroの部屋

万物は流転する 日一日の命
“生涯一記者”は あらゆる分野で 真実を追求する

過去の記事(23)

2024年04月16日 03時26分05秒 | 過去の記事

㉓ 金融資本という“化け物”。  “左利き”と差別意識。  「固有名詞」の読み方の大切さ。  全てが“必然”である。  宗教心とは何か。  亡国・売国の「京都議定書」。  『アジアの時代』が来た!  交通安全か、桜の景観か。 

金融資本という“化け物”

そもそも、経済とは何のためにあるのか。それは人々の生活を豊かにし幸せにするためにあるものだろう。ところが、最近の金融危機とその混乱を見ていると、今の経済は一体どうなっているのかと思ってしまう。
私は経済学については素人だが、今の世界経済を見ていると巨大な金融資本が暴れまくり、まるでギャンブルかマネーゲームをしているようである。これが「新自由主義」と言うのだろうか。「グローバリズム」と言う体裁の良い名前の怪物が、わがもの顔で全世界にのさばろうとしているようだ。市場経済の拡大は当然のことだが、何百兆ドルといわれる金融資本は、人間が作り出したのに、まるで“フランケンシュタイン”のように制御できない化け物になっている。これが世界経済の実態ではないのか。

資本主義は良いのだろう。今や世界中が資本主義化している。社会主義の事実上の敗北によって、市場原理と自由化、規制緩和の方向は明確になったようだ。しかし、物やサービスなどを売買する実物経済に対して、株式や債券、証券、預金などを取り扱う金融経済が余りにも巨大になり過ぎた。一説によれば、金融経済は今や実物経済の3倍以上にも達しているという。何故そうなったのか。
私から見れば、為替の自由化、つまり外国為替市場が固定相場制から変動相場制に移行したことが全ての“元凶”だと考える。もとより、この移行は歴史的必然だったのだろうが、これによって通貨は自由に売り買いされ今日に至った。その時々によって、円高になったり円安になったりする。そこに差益を求めて金融資本が殺到するのだ。為替の乱高下を利用して儲かった金融資本は、さらに“自己増殖”を繰り返して巨大化した。それが世の中全ての物に投機を行ない、世界経済を食いものにしているのだ。
この化け物を取り締まるには、為替の変動相場制を元の固定相場制に戻せば良いと思うのだが、果たしてそれが出来るだろうか。市場経済の拡大によって、それはもう難しいのではないか。この「金融資本」は債権や株、証券などに化けているから、勝手に増えたり減ったりする化け物なのである。妖怪や化け物を取り締まる方法は見つかっていないのが現状だ。

こうした金融資本が株や土地、住宅、原油、穀物などに殺到するから、必然的に“バブル”は起きる。しかし、人間はそれを取り締まることが出来ない。そうであるなら、放っておくしか手がないのだろうか。たぶん、それしか手がないだろう。しかし、それでは余りにも人間は情けないではないか。自分が作り出した“フランケンシュタイン”に振り回されているだけではないか。経済の専門家は、そこを何とか考えてほしい。
デリバティブ(金融派生商品)などを開発し、ノーベル経済学賞を受賞して喜んでいる場合ではないだろう。自分が作った諸々の化け物によって、世界中の多くの人が迷惑をこうむっているのだ。火を点けたのだから、火を消す方法を考えてほしい。個人の能力で無理なら、国際会議や国連などで対策を練ってほしい。化け物を退治した人こそ、本当のノーベル経済学賞に値するのではないか。(2008年10月31日)


 “左利き”と差別意識

もう何十年も前になるが、昔は“左利き”は学校でも家庭でも厳しく矯正された。要するに、右手で箸や筆記用具などを持つように厳しく指導されたのだ。 最近は、左手で箸やフォークを持ったり、またボールペンなどで字を書くのは当たり前になっているが、数十年前は基本的に許されなかったのである。 こんなことを言うのは私自身が左利きで、つい先日、同じ左利きの方のブログを拝見した結果、書かざるを得なくなったのだ。

 その方が言うように、昔は左利きは確かに“劣性”と見られていたフシがある。それもあってか、箸や筆記用具は右利きに厳しく矯正されたのだが、私の場合は、それほど極端な左利きではなかったから、比較的スムーズに“右”へ移行できたようである。しかし、根っからの左利きの子供はだいぶ苦労したようだ。
 特に字を書くのは大変で、なかなか思うように書けない。私のような軽い左利きでも習字は苦手で、そのせいか今でも悪筆である。もっとも、左利きでも達筆な人はいるから、これは個人差の問題だろう。
こうして見ると、世の中が「右利き」の時代には、左利きは“劣性”として差別されていたような気がする。子供の頃「あの子はギッチョよ」とよく言われたものだ。ギッチョとは左利きのことである。なんとなく差別されているような、疎外されているような気分になった。 ギッチョとブキッチョウ(不器用)の関係はよく分からない。しかし、左利きがなんとなく不器用であるかのような印象を受ける。
余談だが、左利きはフランス語でgauche(ゴーシュ)と言うが、他に「不器用」「下手」「ゆがんだ」「ぎごちない」などの意味がある(左利きの人はgaucher)。まことにロクな意味ではない。どうやら、日本語でも左利きとブキッチョウは相通じるようだ。

 さて、差別的な疎外感を味わってきた左利きは、そのうち時代の変化とともに、ほとんど何の苦痛も感じなくなったようだ。私が素晴らしい衝撃を受けたのは(調べてみたら、35年前だった)、麻丘めぐみと言う可愛いアイドル歌手が「わたしの彼は左きき」という歌を歌って、大ヒットした時だった。 右利きの女の子が左利きの彼に恋して、一所懸命に左利きになろうとするのだが上手くいかない。そこで、彼のことを「イジワル、イジワル!」と言うのだが、それを聴いていると実に良い気分になった。まるで左利きの方が素敵だという感じなのだ。
どうもその頃からか、左利きは完全に“市民権”を得たようだ。左手で字を書いても平気だし、左手で箸を握っても誰も(?)文句は言わない。さらに、あろうことか「左利きは器用な人が多い」という“珍説”まで登場してきた。(私はそんなことは絶対にないと思っている。)

 このように、左利きにとっても良い時代がやって来た。しかし、見えない所で“左利き”への差別的要素がまだ残っているのではないか。私に少し劣等感があるのかもしれないが、ゴルフなどは完全に“右利き”用のスポーツである。レフティ(左打ち)の選手がいるにはいるが、ほんの僅かである。細かいことを述べるスペースはないが、ゴルフは伝統もこれあり、完全に右利き用のスポーツだ。
ただし、野球は違う。左バッターは右バッターよりも一塁ベースに近いから、イチロー選手のように内野安打を打つ確率が高い。また、優勝を狙う強いチームには、必ずと言っていいほど優秀なサウスポー(左腕投手)がいるものだ。ゴルフと野球では大違いだ。
 話しが少し逸れたが、今や右も左もない良い時代になった。しかし、私らの年代の者は、幼少時に徹底的に右利きを強要されたから、その“トラウマ”が残っているようだ。それがある時には、差別感・疎外感・劣等感となって表われ、今でも“左利き”は駄目というような感性を引きずっているらしい(被害妄想だと思うが・・・)。 だが、現代の日本人には右も左もない。右も左も平等なのだから、左利きは胸を張って邁進してほしい。(2008年8月6日)


 「固有名詞」の読み方の大切さ

人名や地名などの「固有名詞」は、絶対に間違ってはならないというのが鉄則だから、人はそれほど字を間違わない。しかし、固有名詞の読み方・呼び方となると、日本語の場合これは多岐にわたっているので、非常に面倒なものである。
昔、私は某テレビ局の報道部で仕事をしていたが、一番厄介で面倒臭いのが固有名詞の読み方だった。その時ばかりは、テレビやラジオの記者よりも、新聞記者や雑誌記者の方がどれほど楽かと思ったものだ。
例えば、○○県○○市の「東町」である事件が起きたとする。「東町」をどう読むのか。「ひがしまち」「あずまちょう」「ひがしちょう」「あずままち」といった読み方の中から、正しいものを選ばなければならない。警察署や地元の人に聞いても、時たま思い込みで間違えることがある。そこで、国土地理院発行の市町村別の膨大な資料と首っ引きになり、正しい読み方を確認するのだ。
時間に余裕がある場合は何ということもないが、ニュースは“追い込み”で入ってくることがしばしばある。放送直前に原稿をアナウンサーに渡し、読み方が確認できるとスタジオやアナブース室に駆け込んで行って、「あれはアズマチョウだ!」などとアナウンサーに伝えることがよくあった。そういう時は、ルビもふらず「東町」という漢字だけで済む新聞などが実に羨ましかった。

こんなことを言うのも、実は去年大騒動になった、社会保険庁のズサンな年金記録管理問題を思い出したからだ。つまり、年金保険料の納付記録が5000万件以上も不明になり、「宙に浮いた年金」だとか「消えた年金」などと騒がれた問題である。
あの時明らかになったのは、古い年金記録を電子化する際、社会保険庁は名前の漢字の「読み方」を本人や勤務先などに確認せずに、勝手にカタカナに置き換えて入力してしまったのだ。 例えば「小山佳子」という人は「こやまよしこ」「おやまよしこ」「こやまけいこ」「おやまけいこ」といった風に読めるわけだが、それを本人らに確認せずにコンピュータに打ち込んでしまった。
それが大騒動の発端だったのだが、普通名詞なら「赤ちゃん」でも「赤ん坊」でも「赤子」でもそれほど問題ではない。しかし、固有名詞となるとそうはいかない。「小山佳子」という名前の人は、全国に相当いるはずだ。しかも“同姓同名”だけでなく「読み方」まで同じという人もかなりいるはずだ。
それをいちいち調べるのは大変なことだろうが、先にも述べたように、テレビ局やラジオ局は必ずそれをやっているのだ。また、やらなければならない。しかし、社会保険庁はそれを怠ったのだ。

日本語は難しいと言われる。漢字とひらがな、カタカナが合体しているからだ(時には、ローマ字も入ってくる)。これが英語なら、アルファベット26文字で全てが片付く。えらい違いである。しかし、もっと面倒臭くて大変なのは「固有名詞」の読み方、呼び方である。
これを間違えたり疎かにすると、年金記録の大騒動みたいなのが発生するのだ。われわれ日本人は“因果”な国語を持ったものである。しかし、そういう難儀を乗り越えないと、完全な「日本語」に到達することはできないのだ。(2008年8月5日)


 全てが“必然”である

私はこの世の全ての出来事、現象を“必然”だと思っている。そう考えることによって、自分の人生が救われたと自覚しているからだ。 こういう考え方は、運命論や決定論と相通じるものだが、根底には「汎神論」がある。今ここで汎神論について、あれこれ述べるつもりはない。ただ一つ言いたいことは、汎神論が運命論や決定論、そして「必然論」と密接に繋がっていることを指摘しておきたい。少なくとも、私の思想の中ではそうである。
難しい哲学的な話はしたくないので、私がかつて書いた小説『青春流転』の中から、なぜ「全てが必然」だと理解したかの件(くだり)を以下に紹介したい。それを読んでもらえれば、必然論の核心が分かってもらえると思うからだ。
主人公(村上行雄)は19歳の大学1年生で、いろいろな煩悶・苦悩の末に上記の思想に到達するのである。なお、小説の時間的設定は、1961年(昭和36年)初頭となっている。

『 彼は長い間、物思いに耽ったりメロディーを口ずさんだりした後、喫茶店を出た。 もう夕刻になっていたので、帰宅を急ぐサラリーマンやOL、若者達が人波をつくって新宿駅の方へと流れていく。 行雄も人の流れに身を任せるようにして駅に向った。
 ラッシュの人込みが今日はヤケに神経に障る。群集に押しつぶされるような思いで、彼は改札口を通った。 駅構内のガヤガヤした騒音、電車の発着する音、スピーカーから流れ出る駅員の甲高い声・・・それらが混然としてうるさく耳に響いてくる。
 行雄はなにか“もうろう”とした気分になって、山手線のホームに通じる階段をうつむきながら上っていった。彼の意識は間違いなく“ぼんやり”していた。 そして、ホームに出て顔を上げた瞬間、彼は愕然として立ちすくんだ。
 その時、行雄ははっきりと見たのだ。 一瞬、群集の動きが“静止”したかと思うと、また動き出したのだ。その時、彼の頭脳を何かがはっきりと強く直撃した。 行雄は目眩を起こしホームの端の手すりにつかまった。後方から階段を上ってきた人達が、いぶかし気に彼の方を振り向いて通り過ぎていく。
 これだ! この思想だ! 行雄は心の中で叫んだ。 彼が見たのは、全ての群集が寸分の狂いもなく、己(おのれ)の運命に従って決められた通り歩いていることだった。サラリーマンもOLも、アベックも親子連れも、男も女も皆そうだ。 その瞬間、行雄は「全てが必然」だと知った。
 全てがなるようになった。全てがなるようになっている。そして、全てがなるようになっていく。つまり全てが必然なのだ。 行雄は“救われた”と思った。この思想が真理だと思った。 世の中には、偶然などというものは一切ない! 全てが必然なのだ。
 行雄は興奮を抑えることができなかった。彼は電車に乗り込んだが身体中に震えが起きて、興奮のやり場がなかった。 両手の拳を力一杯握り締めていたが、ラッシュの人込みの中では耐えるのが困難であった。
 やむをえず、彼は途中の高田馬場駅で降りると、大学の方へ向って歩き始めた。 雨がかなり強く降り出してきたが、そんなものは問題でなかった。興奮しているため、冷たい雨雫が頬を伝って流れるのが、かえって気持良く感じられた。
 この世に偶然はない! 偶然というものは、浅はかな人間が考え出した“便宜的”な一つの概念にすぎない。偶然と思われるものも、実は全て必然の中にあるのだ。 例えば人間は皆、自由意思か、規則や命令の中で動いている。実はそれ自体が、必然の中にあるのだ。
 もし、人間が思わぬ“偶発的”な事故や災難に遭ったとしよう。 人間は誰しも、事故や災難を嫌う。誰もそんなものには遭いたくないと思っている。 しかし、事故や災難はしばしば起きる。そこには、人間の意思を超越したものがあるのだ。 そして、そこには必ず然るべき“原因”があるのだ。
 ということは、誰もが嫌がる事故や災難は、初めからそれが起きるように運命付けられているのだ。 これは天災、人災を問わない。起こるべくして起きるのだ。 人間は誰しもミス(過失)を好まない。しかし、誰かのミスで人災が起きれば、そのミスが原因となる。 そのミスはなぜ起きるのか。誰もが嫌がるミスは、人間の意思や能力を超えて起きるのだ。
 人間の意思を超越したものは「運命」である。 ところで、われわれ人間は、大なり小なり「自由意思」を持って行動する。 一見して、運命や宿命に抗しようと思っているかもしれない。あるいは、運命や宿命を無視しようとしているかもしれない。 しかし、人間という動物が「自由意思」を持つのは当然であり、それ自体が人間に与えられた「必然」なのである。 もし人間が自由意思を持たなかったら、人間ではなくなってしまう。単なる猿と同じだ。
 だからこそ、人間は大いなる必然の中で、自由意思を大切にして行動しなければならない。それが人間の証明ということになる。 人間のみに与えられた「自由意思」も、天から見れば「必然」そのものではないか。だから全ては必然の中にある。
 行雄は雨に濡れながらそう考えていた。』
以上が、私が「必然論」に到達した経緯である。(2008年7月22日)


 宗教心とは何か

万物は流転す、諸行無常・・・人の世、現(うつ)し世ははかないものである。なぜ、はかないのか。全てが現われ消えて行くからだ。方丈記の「うたかた(泡沫)はかつ消えかつ結びて」である。
そういう風に人生(現世)を捉えるところから、宗教心が芽生えてくるのではないか。後でご紹介するが、きょう素晴らしい文章に出合えた。その人の文によれば「現し世とは、映し世のことである」というのだ。つまり、現実世界そのものがバーチャルリアリティ(仮想現実)であって、「本源の世界」ではないというのだ。
本源の世界とは何か。それこそ、真理・神・仏・永遠の世界と言うものだろう。全ての哲学は本源・真理の世界を求めているが、宗教も同様である。本源を神の世界と呼んだり、涅槃(ねはん)と呼んだりする。そういう風に考えると、現世とは単なる映し世、仮の世でしかない。要するに、バーチャルリアリティ(仮想現実)なのだ。

人生はたかだか80年、長く生きても100年余りだ。無限の宇宙の時間の中では、ほんの一瞬にも満たない。正にうたかた(泡沫)でしかない。そう考えると、本当にはかないものである。しかし、そこから人間はどう生きたら良いのか、人生とは何かを考え始める。一瞬にも満たないからこそ、人生は尊いのである。仮想現実の中で、神や仏、真理を考えるようになる。したがって、宗教心や真理探究の心が芽生えてくるのである。

人生が一瞬にも満たないものであると同様に、この世の出来事、動き、現象も一瞬のものでしかない。そんなものはアッという間に起き、アッという間に消えていく。実に“空しい”ものだ。正に仮想現実のようなものだ。したがって、日々の出来事や現象にこだわるのは愚かなことだと言えよう。もっと本源的なものを考えるのが、人間の務めであるはずだ。
ところが、大多数の人は日々の出来事や現象にこだわり、私のような俗物的人間は、あれやこれやについてギャアギャアと騒ぎ立てている。この世に生きている人間、つまり「社会人」としてはそれは当然かもしれないが、それだけでは何か「大切なもの」を忘れてしまっているのだ。 そう、人間としての生き方、本源の世界を忘れているのだ。
「宗教心」はそうした所から生まれる。私は決して宗教人ではないが、宗教(信仰)の尊さをいつも感じている。宗教によって救われる人がいかに多いことか! そうでなければ、自殺や他殺はもっともっと増えるに違いない。

以上、私は宗教心について述べたつもりだが、無論、真理探究の心も大切だ。それは同根である。現世が実は「バーチャルリアリティ」であると認識する所から、宗教と真理探究の心が芽生える。そうでなければ、人間はただの“生き物”でしかない。地球の上をさ迷っている動物でしかない。食って動いて眠るだけの動物でしかないのだ。
宗教心というのは、必ず人の心を癒し、人生を世界を、そして神の国や仏の国を考えさせてくれるだろう。冒頭で述べたが、私はきょう、大場光太郎氏の文章を読んで啓発された感がある。大場氏の文章で、忘れかけていた「大切なもの」を呼び覚まされた思いがあるので、以下にご紹介したい。(2008年7月11日)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_425a.html#comment-51554415

 

 亡国・売国の「京都議定書」

1997年12月に議決された「京都議定書」は、気候変動枠組条約を締結した各国に温室効果ガスの削減目標を定めたものだが、これは日本にとって極めて不平等・不利益な議定書である。
二酸化炭素(CO2)の排出が地球温暖化の一つの要因になっていることは理解できるが、その削減目標において日本は大変な譲歩を強いられた。議定書審議の開催国という立場と責任はあるが、日本の削減率6%というのは、何の根拠があってそうなったのか非常に疑問である。
すでに多くの書物、サイトなどで指摘されているが、削減目標値の「基準年」が1990年になったことが問題である。その年までに、日本はすでに省エネ技術を発展させ温室効果ガスの低減を行なっていたから、1990年を基準とすることは極めて不利である。
これに対して、EU諸国は主に1990年以降にCO2の排出削減に取り組んだから、議定書が議決された時点では、大幅な削減率を達成しているのである。
したがって、EU諸国の削減目標値8%はその段階でクリアされており、逆に実質的な「増加枠」が認められてしまった。EUだけでなく、ロシアなどは目標値が0%なので、その時点で38%もの「増加枠」が認められたのだ。(詳しいことは、以下のサイトを見ていただければ、一目瞭然で分かるので紹介したい。 http://blogs.yahoo.co.jp/nyanko_sensei_2006/folder/924295.html

一方、アメリカやカナダは、この議定書締約を議会で批准していないので、目下本気でCO2削減に取り組んでいるのは、日本だけという状況になっている。それでも、日本は期限である2012年までに目標値を達成することは、非常に厳しい見通しだ。そうなると、例の「排出権取引き」という制度で、余裕のあるロシアあたりに1兆円以上を払って排出権を買わなければならない。その取引き価格は、今や投機資金の流入で大幅に高騰するとも伝えられている。いわゆる「環境ビジネス」というやつだ。
こんな話しをしていると、書いていて嫌になる。日本だけが“バカ”を見ているようなのだ。いくら日本の京都で議決されたとはいえ、「議定書」そのものに問題はなかったのか。特に「基準年・1990年」の設定が、日本にとって極めて不利になったことは間違いない。多くの国に締約してもらうには、少しは譲歩しなければならないだろう。しかし、こんなに不平等・不利益な結果になるとは、当時の政府、外務省や環境省の担当者は見抜けなかったのか。功を焦って無理をし過ぎたのではないか。 正にこれは、亡国・売国の議定書である。こんなものは早く『破棄』してしまえと言いたくなるが、洞爺湖で「環境サミット」を開いたばかりの日本としては、そう簡単に国際的な約束を破棄するわけにはいかないだろう。
今の状況を見ると、日本だけが一所懸命にCO2の削減に取り組んでも、世界全体の温室効果ガスの排出量は増えるばかりだ。そう考えると、この“梅雨空”のように益々うっとうしい気分になってくる。(2008年7月10日)


 『アジアの時代』が来た!

先日、北海道の洞爺湖畔でサミット(主要国首脳会議)が開かれたが、最終日の拡大会議に、中国やインドなどの“新興国”が招かれた。 環境問題が主なテーマだったから、新興国の協力を仰がなければ地球温暖化を防止できないということだが、中国、インド、韓国といったアジア諸国が登場してきたことに大きな意義があると感じた。
このところ、アジア諸国の経済発展は目覚ましく、外務省の資料によると、アジア全体のGDP(国内総生産)は10兆ドルを超え、ヨーロッパやアメリカと並ぶ世界の3大経済圏の一つに成長したというのである。しかも、今後の成長予測では、世界の中でも最も期待される地域になっているのだ。
特に人口は急速に増えつつあり、貧困や食糧不足の問題を抱えているが、世界の総人口約65億人のうち、なんと6割はアジアに住んでいるという。中国が13億、インドが11億、インドネシアが2億2千万以上といった人口を見ると、そこには途方もない市場が誕生する可能性があり、現実に中国やインド、韓国は、日本と同様に巨大な市場と化しつつある。

こうした点を見ると、いま世界の中で、最も大きな可能性を秘めているのはアジアである。南米やアフリカ、中東などよりも発展が見込める地域ではないのか。私は世界経済やグローバリゼーションについては素人だから、これ以上、説得力のあることは言えないが、アジア全体が巨大な発展を成し遂げる素地は十分にあると思う。
そう考えると、21世紀は、日本はこれまで以上にアジアに重点を置いた施策を取るべきだと思う。日本の外交は「日米同盟」が基軸だが、それは良いとしても、中国やインドなどアジア諸国との関係、交流をもっと促進していくべきである。そうしていけば、ロシアやオーストラリアといった周辺の大国とも、自ずと関係が緊密になっていく道が開かれるだろう。

話が大きくなってきたが、21世紀は『アジアの時代』の到来を告げるものだ。かつて、日本は「大東亜共栄圏」を旗印に戦争を起こして失敗したが、今や東西冷戦が終了し、平和と繁栄を共有しようという時代に入ったのだから、『アジアの時代』というのは夢物語でも何でもない。正に現実の話として実感できるようになったのだ。
日本はアジア一の先進国である。戦前のような「大アジア主義」を唱えるものではないが、発展が著しいアジア諸国と連携し、この地域を世界最大の経済圏に育てていく指導力と施策が問われているのだ。
私はホラを吹いたり、大言壮語をしているのではない。この件については外務省の資料などを幾つか調べてみた。すると、高村外務大臣が6月2日に「『アジアの世紀』の実現に向けて」と題するスピーチを国際会議で行なっているのを発見した。高村大臣はその中で、30年後のアジアは、アメリカやヨーロッパを上回る世界最大の経済圏として、一層の繁栄と安定を謳歌し『アジアの世紀』を体現することができるのかどうか・・・その帰趨はアジア諸国自身、特に我が国をはじめとする地域の主要国の努力にかかっている、と訴えているのだ。
私はそれに意を強くし、納得してこの小文を書いた。今や『アジアの時代』が到来したのである。(2008年7月16日)
以下に、高村大臣のスピーチを添付しておく。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/20/ekmr_0602.html

 

 交通安全か、桜の景観か

数日前、東京・調布市にいる娘から嬉しいニュースが飛び込んできた。それは家の前の道にある桜の老木が、枝をトラックに引っ掛けられて倒れたというのである。桜の木が倒れたのが嬉しいとは何たることかと叱られそうだが、私はそのトラックの運転手さんに感謝したいくらいである。
何故かと言うと、その道には9本の桜の老木があって、完全に歩道をさえぎっているだけでなく車道にもはみ出しているため、歩行者はどうしても車道を通らざるを得ないのだ。これは歩行者にとっても危険なのだが、車を運転する人たちにとってもハラハラするような道なのである。このため、ずいぶん前から近隣の人たちが調布市役所に対し、桜の木を除去するか他の所へ移転するように陳情してきた。しかし、市の道路課は何もしてこなかったのである。

この話を聞いて、私も以前から歩いていると危険だと思っていたから、昨年、市役所に対して何度も何度も善処方を要望した。その結果、年末になって市の道路課・管理係の人が、年が明けたら(つまり今年)すぐに桜の木を切除すると答えてくれたので、私はホッと一安心したのである。
ところが、年が明けてある日、私が市役所に電話を入れると、その担当者は「桜の木を切る予算が付かなかった」と言うのである。私は約束が違うと怒ったのだが、予算が付かないから木は切除できないの一点張りであった。どうやら、私は騙されたらしい。うるさい老人がくどくど言うので、年が明けたら切ると“空約束”をしておけということだったのではないか。私は憤りを感じたが、以後 二度と調布市役所に頼むものかと思った。行政というのは、何か人身事故などが起きないと動かないものだ。誰かが犠牲にならないと、交通安全対策は取られないのである。

親戚(娘の嫁ぎ先)の家がそこにあるので、私は時おり問題の道路を車で走ったり歩いたりするのだが、学童や老人が通るのを見ていると危なっかしくて仕方がない。実は2年余り前だが、車が桜の老木に衝突して木が倒れたことがある。その木は除去され、跡は平坦にして歩道が確保された。したがって、警察も市役所に対し「ここは危険だ」と何度も口頭で注意してきたのだ。(調布警察署・交通課の話)
ところが昔から、この桜の木が花咲くのを楽しみにしている人が少数とはいえいるので、市は“トラブル”を恐れて放置してきたのが実情である。つまり、桜の「景観」か交通の「安全」かの狭間で市も迷っているのだ。
私は昨年、市の担当者にずいぶん言ったのだが、「景観」も大切だが、車が木に衝突したり人身事故が起きたらもっと大変だぞと強調した。桜はどこに行ってもあるし、一時期パッと咲いて散るだけだ。それよりも、交通事故が起きる方がもっと大きな問題ではないかと何度も言った。しかし、市の当局者は動かなかった。桜の木を愛する人たちに気兼ねしたのか、他にも交通安全対策を実施する所が多かったのか知らないが、何もしなかったのである。

もとより、私も桜の花は好きだ。ほんの一時期とはいえ、パッと咲いて散る桜は春の訪れを告げるものである。しかし、それが完全に歩道をさえぎり交通安全の妨げになっていては問題である。警察だって何度も注意しているのだ。「道路法」を調べたが、道路の構造の原則(第29条)については「道路の構造は(中略)・・・安全かつ円滑な交通を確保することができるものでなければならない」としている。これは当たり前のことで、歩行者も車の運転手もいつも危なっかしい目に遭っているものは道路ではない。
日本の道路は狭いものが多いから、多くの場所でこういう問題が出ているだろう。しかし、放っておけば交通事故が起きやすい。私が指摘した道路は常時、バスも運行しているのだ。桜の木のある所は、バスがすれ違うのも困難である。
こんな邪魔な桜の木は早く伐採してくれと願っていたら、ついに9本目の木がトラックによって倒されたのである。だから嬉しくなって、その運転手さんに感謝したいくらいなのだ。(内心では「よくやった!」という思い。その運転手さんは律儀にも、後でその場所に戻ってきている。)
したがって私は今度、調布へ行くのを楽しみにしている。10本目、9本目と車やトラックに倒された桜は、残るは8本である。近隣の人からは当然、苦情が市役所にいっているはずだが、市役所はどう動くのだろうか。それとも、相変わらず放置するのだろうか。
大きな人身事故が起きてからでは遅い。しかし、行政というのは大きな事故が起きないと動かないものだ。 根こそぎにされた桜の木の跡を、私はぜひ見たい! (2008年11月9日)


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