矢嶋武弘の部屋

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雪の朝 二の字二の字の 下駄のあと(田捨女)

2017年12月11日 05時25分59秒 | 芸術・文化・教育

<以下の記事を復刻します。>

以前、表題の句をもとに「俳句は芸術なのか?」という一文を書いたことがある。そこで、一部修正を加えながらもう一度書き直してみたい。
 
「雪の朝 二の字二の字の 下駄のあと」

この俳句に接すると実に爽やかな気分になる。雪の朝の情景がすぐに目に浮かんでくるのだ。私も子供の頃はよく下駄をはいて、雪が積もった庭を歩いたことがある。その時のことが思い出されて懐かしさが込み上げてくる。
 ところで、この句は誰が作ったのだろうかと調べたら、これは田捨女(でんすてじょ)という江戸時代初期の俳人が作ったもので、7月22日の「下駄の日」によく紹介されるそうだ。この句が世に出て370年が経つが、今でも人口に膾炙(かいしゃ)するというのは正に“名句”なのだろう。
 さて私が最も驚いたのは、捨女がこの句を作った時、彼女はまだ6歳の“幼女”だったというのだ。江戸時代だから、数え年の6歳というのは今で言えば満5歳ぐらいだろうか。そんな幼い子が後世に残る名句をつくったという所に、私は俳句の面白さを感じる。
 つまり、6歳の幼女は何の理屈もこねたりせずに、素直な気持で句を詠んだのである。そこには「写生」がどうのとか「幽玄」がどうのといった大人の理屈はない。幼女の素直な目と心、感性がこの名句を生んだのである。
 
そこで考えるのだが、芸術一般、つまり絵画や彫刻や音楽、小説や作詩、劇作などにおいて、6歳の子供が名作をつくることが出来るだろうか。名作どころか作品をつくること自体、まず無理だろう。ただ例外として、モーツァルトが5歳で作曲したそうだが、その作品が名曲だとは聞いていない。
 モーツァルトは稀有の天才だから5歳でも作曲したのだろうが、俳句以外の芸術では、一般的に幼児が創作するのはとても無理である。ところが、俳句では捨女のような幼児が、後世に残る名句をつくることが出来るのだ。
 つまり、これは「芸術」以前の話である。そこには五・七・五の17音を定型とする伝統的な「文化」が存在していたのだ。だから、6歳の幼女は難しい理屈など考えずに、素直な気持で句を詠むことが出来たのである。
 
そう考えると、俳句は「日本文化」の一つであって、本来は「芸術」ではない。俳句は短歌と同様に、感性によって芸術性を高めることは可能だろう。それは、大勢の俳人が努力すれば良いことだ。しかし、6歳の幼女が後世に名句を残すということを、読者諸氏はいかに考えるだろうか。
 日本文化とはこの場合、民謡とか童(わらべ)歌、俗謡、都々逸(どどいつ)などの類いだろうが、それらは日本人の中に自然に生まれ育ったものである。俳句も同じような文化の一つとして育ったのである。6歳の子でも簡単に作れるものを「芸術」と呼んだら、他の「芸術」があまりにも可哀そうだ。
 日夜、音楽や絵画、文学作品などの創作に刻苦精励している芸術家は、そんな俳句が芸術だと知ったらたぶん怒るだろう。もう一度言う。俳句は日本の大衆的な「文化」の一つであって、決して「芸術」ではない。それは“衣食住”の文化と同じレベルのものである。(2010年10月25日)

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『捨女句集』のご案内 (和泉書院)
2016-06-09 10:03:28
大阪の出版社和泉書院広報の高橋慶子と申します。ブロク楽しく拝見させていただいております。
このたび弊社から田捨女の句集を刊行いたしましたので、御案内申し上げます。読みやすいテキストに注釈を加えました。
http://www.izumipb.co.jp/izumi/modules/bmc/detail.php?book_id=129054&prev=released
「二の字二の字」の句に関しても解説がございます。ほかにも楽しい句がたくさん載っています。ぜひご一読ください。
田捨女 (矢嶋武弘)
2016-06-09 10:38:51
了解しました。

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