矢嶋武弘の部屋

日一日の命
人間として 生まれたことに 感謝せよ!
 

青春流転(10)

2017年10月01日 03時16分18秒 | 小説・『青春流転』と『青春の苦しみ』

9)国会突入

 笹塚らと議論した翌日、行雄は早速、大川に会ってアナーキズムについて問題提起をしてみた。 彼は行雄の話しを一通り聞いた後で、次のように語った。「村上君、笹塚は理想論ばかりを言っているんだよ。悪いけど、プチブルのたわ言だね。 それより、僕らはマルクス主義について、まだ完全に熟知していない。

 マルキシズムを十分に理解していない者が、どうしてアナーキズムを云々することができるだろうか。 君がもしマルキシズムに疑問を持つのなら、“クロカン”や本多さんにいろいろ聞いてみたらいいじゃないか」

 大川が行雄の問題提起に応じなかったので、彼はそれ以上話すのを止めた。 仕方がないので、これから自分一人でアナーキズムを研究していこうと思ったが、行雄は、自由を尊重するこの思想に本能的に何か惹かれるものを感じていた。

  丁度その頃、ソ連のフルシチョフ首相が、領空侵犯したアメリカのU2型機を撃墜したという、重大発表を世界に向けて行なった。 これは、安保論議に明け暮れる日本国内にも大きな衝撃を与えた。

 社会党は、このU2型機こそ、前年に厚木基地に不時着した“黒いジェット機”であり、U2型機のスパイ飛行を未然に防ぐため、在日米軍基地の調査権を日本側が持つよう政府を追及した。 これに対し、政府の答弁は、日本にあるU2型機は気象観測用のものであり、スパイ行為はしていないと繰り返し説明したが、国民の疑惑と不安は一段と深まる結果となった。

 日米新安保条約の不備と危険性が、ますます明らかになってくるとともに、安保反対闘争は一層の盛り上がりを見せるようになった。 これに対し政府・自民党は、会期延長と新安保条約の単独採決を図るという、強硬方針に次第に傾いていった。

 そして、五月一九日深夜、自民党は衆議院安保特別委員会で、新安保条約を強行可決した後、清瀬一郎衆議院議長が五百人の警察官を国会内に導入、本会議でまず五十日間の会期延長を自民党単独で決めてしまった。 さらに、そのまま二十日の未明になって、新安保条約も自民党単独で可決、承認してしまったのである。

 客観的に見れば、この時点で安保反対闘争は終止符を打たれたことになる。 こうなれば、院外でいくら安保反対闘争が行なわれようとも、条約は国会の会期内に“自然承認”されるからである。 しかし、この時点を境にして、安保反対闘争はその後一ヵ月、空前の大衆運動として国民の中に広がっていく。

 

 行雄は二十日未明、条約承認のニュースをNHKラジオの特別放送で聞いた。 何とも言えない怒りと無念の思いが、腹の底から込み上げてきて涙が流れてきた。その怒りは、たった十八年の人生だが、それまでに経験したことのない強いものであった。

 その日の朝、早稲田大学へ行くと学生達の怒りが爆発していた。もう授業どころではなかった。 全学連主流派と反主流派の集会ばかりでなく、大隈講堂では一般の学生、教員も含めた抗議集会が開かれ、立錐(りっすい)の余地もないほど人が溢れかえっていた。

 誰もが国会への抗議デモを主張し、「岸を倒せ」が合言葉のように広がっていった。大学構内は、これまでに見たことがないような騒然とした状況になっていた。 この大学だけで何千人という学生達が徒歩で、あるいは都電に乗って国会デモに参加していったのである。

 全学連主流派の集会には一万人以上の学生が集結し、デモ隊が国会突入を図った。 しかし、この日の警視庁の警備は厳重を極めるものだった。 初めて登場した頑丈な“バリケード車”に遮られ、デモ隊は国会に突入することができなかった。

 しかし、学生達の怒りは治まらず、デモ隊は一転して首相官邸に襲いかかる。 約三百人の学生が、警備が手薄になっていた官邸北側の土手をはい上がり、通用門を壊して構内になだれ込んだ。 行雄もその中にいたが、学生達は手当りしだいに石を警官隊に投げつけた。

 警官隊も石を投げ返し警棒を振って応戦、官邸構内で一進一退の闘いを繰り広げたが、やがて行雄達の“突撃隊”も官邸の外へ追い払われた。 何十人という学生がケガをしたが、行雄はかすり傷一つ負わなかった。 デモ隊はこの後、警視庁に押しかけてジグザグデモを繰り返し、東京駅八重洲口へ向って解散したのである。

 この五・二〇デモを皮切りにして、全学連は来る日も来る日も国会への抗議デモを続けた。 行雄も今こそ闘いの正念場だと思い、くたくたに疲れながらも連日デモに明け暮れた。 マルクス主義か、アナーキズムかといった重要な選択の問題は、どこかへ吹っ飛んでしまった感じになっていた。

  五月二六日、安保改定阻止国民会議は大規模な全国統一行動を実施、国会周辺には十数万人という、これまでにないおびただしい数のデモ隊が押し寄せた。 後から後から、また後から後から、いつ果てるともなくデモ隊が続き、国会を二重、三重に取り囲んでしまった。

 あまりの壮観さに、行雄は呆然としてデモ隊の流れを眺めていた。 その流れはあたかも、何匹もの“巨大な蛇”が瀕死の国会議事堂をぐいぐいと締めつけているように見えた。 「安保条約 フンサーイ!」「岸内閣を倒せーっ!」「国会 カイサーン!」 シュプレヒコールが延々と響く。

 これほどまでに、闘争が盛り上がるのだろうか。これほどの大衆運動が今までにあっただろうか。 行雄は、感動に胸が締めつけられる思いであった。そこにはもう、労働者や市民、学生などの分け隔ては見られなかった。大衆が織り成す壮大な“ページェント”なのだ。

 行雄はふと、アメリカにいる敦子のことを思い出していた。 彼女にも、この壮大なページェントを見せてやりたかった。彼女が見れば、これをどのように思うだろうか。

 

 数日後、行雄は久しぶりに敦子に手紙を書いた。「お元気ですか。 あと二ヵ月もすれば君は日本に帰ってきますが、その時、日本はどうなっているか分かりません。 僕は毎日、全学連のデモの先頭に立って闘っています。

 岸内閣の横暴な、議会制民主主義を無視した新安保条約の強行可決によって、国民の怒りはいま爆発しています。 連日、何万人というデモ隊が国会を取り巻き、新安保条約の無効と岸内閣の退陣を叫んでいます。

 こうした大衆の憤激とエネルギーによって、アイゼンハウアー米大統領が訪日する際は、何が起きるか予測もつかない状況となっています。 この大衆の大デモンストレーションと抗議の嵐は、新安保条約が自然承認される六月一九日にむけて、さらに巨大な“うねり”となって増幅していくでしょう。

 われわれ全学連は、この大デモンストレーションの先頭に絶えず立って闘っています。 僕は毎日のデモで、くたくたに疲れていますが、これほどの生きがい、これほどの充実感を今までに体験したことはありませんでした。

 僕はもう、いつ死んでもかまわないと思っている。これほどまでに闘って死ねるのなら幸せだ。 この巨大な大衆の憤激とエネルギーが、日本の革命につながるものであるなら、これ以上の喜びはない。

 岸内閣が国会も解散せずこのまま居座るか、それとも革命が起きるか二つに一つしかない。 僕は死ぬ気でやる。君に再び会うことができるなら幸いだが、そんな保証はどこにもない。 アメリカ帝国主義と、その手先である日本の反動・資本主義を打倒するために、僕は命の全てをかけて闘うつもりだ。 

 この手紙が君の手元に届く頃、日本はどうなっているかまったく分かりません。 それではお元気で。 再会を期待し、それを楽しみにしています。 

 敦子様     行雄より 」

 敦子への手紙を書き終えると、行雄は晴れ晴れとした気持になっていた。これでもう何も思い残すことがないような、解放感に似た心境だったのである。

 

 六月三日。 全学連主流派は再び首相官邸にデモをかけ、またまた一部の学生が官邸構内に乱入して警官隊と衝突した。 この後、学生達はデモ行進しながら、国電・品川駅へと向った。これは、翌四日の安保改定阻止統一行動での、国労や動労の早朝時限ストを支援するためであった。

 品川駅に着くと、学生達は中央ホームになだれ込んで座り込みに入った。 そこへ国労の幹部達がやってきて、警察に“弾圧の口実”を与えるから、退去して欲しいと説得してきた。国労や動労にとって、全学連の行動は有り難迷惑だったのである。

 しかし、学生達は、労働者の闘争を支援して何が悪いのかと応酬し、結局、彼等は品川駅に泊まり込む態勢を取った。 夜がふけてくると、六月初旬とはいえ何となく寒々と感じてくる。行雄達はふざけ合って相撲をとったりしていた。

 するとその時、「村上さん、こんばんわ」と声をかけてくる女性がいた。 誰かと思って振り返ると、仏文科の同級生の中野百合子と渡辺悦子で、彼女らは差し入れのために、アメやチョコレートを持ってきてくれたのだった。

 中野と渡辺は「身体に気をつけてね」と一言いうと直ぐに姿を消したが、クラスメートの彼女らも僕達のことを心配してくれているのを知ると、行雄はたまらなく嬉しくなった。 早速、アメやチョコを仲間と分け合って食べたが、彼女らの好意がいつまでも口の中に残っているような気がした。

  徹夜の泊まり込みが終り、四日早朝から学生達は、国鉄の労働者とともにデモ行進することになった。 林立する赤旗の波の中から「インターナショナル」などの労働歌がとどろき渡り、沿道から一般市民の拍手や声援が盛んに湧き上がる。

 この当時、政府部内では、安保反対闘争への一般市民の共感をできるだけ過小評価しようとしたが、警察・公安当局は決してそうではなかった。 特に警察関係者は、連日の集会やデモに対応していたため、現場での一般市民の反応を肌で感じており、それが予想以上に安保反対闘争に好意的であることを認識していた。(後日、警察関係者の証言で明らかになる。)

 こうした一般市民の温かい支持と応援に、行雄はデモ行進しながら、徹夜の疲れもどこかへ消えていくような充実した幸福感に満たされていた。 日本プロレタリアートとの共闘と一般市民の共鳴、これこそ、全学連の学生達が絶えず願っていた理想の状態だったのである。

 行雄は一歩一歩あゆむ自分の足に、力と躍動を感じながら行進していった。 そしてシュプレヒコールに合わせて、天に届けとばかり叫び声を上げた。「岸内閣を倒せーっ!」「安保条約 フンサーイ!」「国会 カイサーン!」「われわれは 最後まで闘うぞーっ!」

 

 行雄にアナーキズムを唱導した瀬戸山史子が、いつでも良いからぜひ遊びに来てと誘うので、六月十日の夕刻に彼女の家に初めて行くことになった。 その日は、全学連主流派の集会とデモは早く終ったので、行雄は京浜東北線の蕨駅で降りると彼女の家に向った。

 このところの安保反対闘争で忙しく、行雄はアナーキズムの研究をほとんどしていなかったので、この前の笹塚と三人でしたような“しち面倒臭い”話しは嫌だなと思いながら、彼は瀬戸山の家に着いた。

 玄関に入るやいなや、史子が興奮しながら一方的に語りかけてきた。 「いま大変なのよ。 反主流派のデモ隊が、アイゼンハウアーの新聞係り秘書のハガチーを、羽田空港で閉じ込めてしまったんですって!」

 行雄も驚いて、二人ですぐにラジオ、テレビのニュースを聞くことにした。 状況は刻々と変化していたが、アイゼンハウアー米大統領の新聞係り秘書のハガチー氏は、アイク(アイゼンハウアーの略称)訪日の事前調整のため、この日午後四時前に羽田空港に到着した。

 そして、マッカーサー駐日大使と車に乗り込んで空港を出ようとしたところ、全学連反主流派の学生や労働者のデモ隊に阻止され、一時間以上も立ち往生しているということだ。 デモ隊は投石したり、ハガチー氏の乗った車の窓ガラスを割ったりして「ハガチー、ゴーホーム!」「ドントカム、アイク!」などと喚声を上げている。

 そのうちにアメリカ海兵隊の大型ヘリコプターが、一行の車のすぐ側に着陸に成功し、ハガチー氏らを乗せてようやくアメリカ大使館へと運ぶことができた。 ニュースで事態の進行を追っていた行雄と史子はともにショックを受けた。

 それと言うのも、反主流派のデモは主流派に比べていつも大人しく、このため主流派の学生は彼等のことを「憶病者」「腰抜け」と罵倒し、彼等のデモを「お焼香デモ」と呼んで軽蔑してきたのだ。

 その反主流派の学生達が、いま岸内閣が最も重要視しているアメリカ大統領の訪日計画に対し、極めて効果的な妨害活動を実行したのである。 行雄は思わず叫んだ。「やられた! あいつらに先にやられたんだ!」 史子も同感だと言わんばかりの顔付きをした。

  この「ハガチー事件」は、全学連主流派に属する多くの学生達を刺激したことは間違いない。 反主流派に先を越されたという思いが、自分達もなんとかしなければならないという、切羽詰まった焦燥感へと駆り立てていったようだ。

 一方、政府・自民党もこの事件に大きな衝撃を受けた。 アイク訪日は、日米新安保条約成立の最高のセレモニーであり、“日米新時代”を象徴する画期的なイベントだったからである。 不穏な情勢の高まりで、アイク歓迎を打ち出していた政府・自民党の周辺に、訪日延期や慎重論がささやかれる事態となってきた。

 ところが、アイク訪日中止の運動を展開していた社会党は逆に動揺し、六月中旬の中央執行委員会で「国賓として来日するアイゼンハウアー大統領を、全国民一致して歓迎しよう」と決定し、方針を百八十度転換してしまった。 このように「ハガチー事件」は、政界その他に大きな動揺と混乱を引き起こしたのである。

 新安保条約が自然承認される六月十九日が近づくにつれ、全学連の学生達は焦りと苛立ちを強めていった。 漫然としたデモを、毎日やっているだけでは駄目なのである。日本の歴史に残るような壮烈な大闘争をやらなければ、事態は何も変わらないだろう。 そうした気持が、全学連の幹部だけでなく一般の学生達の中にも広がりを見せていた。

 

 そして、六月十五日。 この日は、安保改定阻止国民会議の統一行動日であった。未明から国労、動労が先頭に立ってストライキに入り、総評の発表では百十一組合、五百八十万人の労働者が闘争に参加したといわれる。 これまでにない最大規模の統一行動であった。

 この日は朝からどんよりした曇り空であった。 全学連主流派の学生約七千人は午後、国会正門前で集会を開いたあと、国会の回りを二周デモ行進してから南通用門前に集結した。午後五時頃であった。

 それより一時間ほど前、新劇人や作家、一般市民らがデモ行進しているところへ、右翼の「維新行動隊」が車二台で突入、釘のついた棍棒で殴りかかり八十人の負傷者を出した。 この流血事件の情報が伝わると、学生達は興奮し憤激した。

 行雄は通用門脇の土手に上り国会の構内をのぞいてみると、青いヘルメットをかぶった機動隊員が、めずらしく手に投石防止用の楯を握って整列していた。 警察側の警備も今日はいつもより厳重に見え、彼は不気味な気配を感じた。

 南通用門前の集会は、右翼の襲撃があったことで一段と殺気だってきた。全学連のリーダー達が次々に演説を始め、右翼襲撃などを非難した。 今日は国会に突入する! 行雄はそう直感した。はたせるかな、北小路敏全学連委員長代行が激烈なアジ演説を行ない、最後に「われわれは国会構内に突入し、大抗議集会を開こうではないか!」と結んだ。

「異議なーしっ!」「国会に突入せよーっ!」「われわれは 闘うぞーっ!」 学生達の喚声が湧き上がる。国際学連の歌などが響きわたり、シュプレヒコールが起きる。南通用門付近はにわかに騒然となり、行雄は身が引き締まるのを覚えた。

 夕暮れが迫り小雨が降り出してきた。辺りに重苦しい空気が地をはうように淀んでいる。 明治大学、東京大学、中央大学の学生達が、通用門の扉を揺すったり、ペンチで扉の有刺鉄線を切断しているのが見えた。

 時々、学生達の投げる石が、構内の機動隊の群れの中へ飛んでいく。警察側から警告を発するマイクの声が、スピーカーを通してやかましく繰り返される。 学生達は通用門の扉を引き倒そうとしていた。構内から激しい勢いで放水が始まった。

 しかし、学生達は通用門の扉を引き倒し、中にあったバリケード車にロープをかけて引きずり出した。喚声がどっと上がる。 それと同じ頃、土手の上に張り巡らされていた有刺鉄線も、学生達のペンチやノコギリで切断されていった。

 前方のデモ隊が「ワッショイ、ワッショイ」の掛け声とともに進み始める。 またまた構内から物凄い勢いで放水が始まった。これに対抗して、石やビンが機動隊の頭上に飛んでいく。 やがて、東京大学の学生を先頭にして、デモ隊が国会構内に侵入していった。

 行雄達のいる早稲田大学のデモ隊は中段に位置していたので、なかなか国会の中へ入れない。 苛立ちながら前進を続けていると、暫くして構内から「ウオーッ!」と叫ぶ機動隊の喊声が聞こえた。 機動隊が警棒を振ってデモ隊の先頭グループに襲いかかったらしい。

 バシッ、バシッという音、ギャーッ、キャーッという悲鳴や地響きの鳴るような音が聞こえてきた。 機動隊の物凄い実力行使のようだ。先頭グループは警棒でめった打ちにされているようだった。 いったん構内に入ったデモ隊が、続々と通用門外に押し出されてきた。

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2 コメント

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すごい迫力ですね (ヒロシ)
2016-02-26 00:24:58
闘争の真っただ中にいた人だから書ける描写力なんですね。すごい迫力です。総評などの政治ストも書き込まれており、60年安保の全面的描写をしようという意思が感じられます。文体も引き締まって弛みがなく小説としてできあがっていると思います。ハガチーの車が立ち往生した場面の描写は胸がすっとなって愉快な気分になりました。
岸の孫が憲法違反の法律を強行採決して国会はデモの波に取り囲まれましたが、くしき因縁ですね。
歴史は繰り返す (矢嶋武弘)
2016-02-26 07:17:53
ヒロシさん、ありがとうございます。コメントをいただいて励まされた思いです。
あの当時のことは忘れられません。良い悪いは別にして、今よりもずっと盛り上がっていた気がします。
岸信介の孫が戦争法案を強行採決したのは、たしかに奇しき因縁でしょう。「歴史は繰り返す」ですか・・・

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