矢嶋武弘の部屋

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“妹”への憧れ

2017年05月13日 04時23分09秒 | 人生

<以下の文を一部修正して復刻します。>

つい最近、ある有名女優が自分の妹になった夢を見て嬉しくなったが、私には“妹”への憧れがあるようだ。そこで暇なので、ざっくばらんに妹について考察していきたい。何の準備もしていないので、話が極めて散漫になることをお許し願いたい。
私には15歳年上の姉がいたが、すでに亡くなっている。また、かなり年上の兄が2人いるが、2人ともすでに亡くなった。だから“一人っ子”みたいな気分で育ったので、年下の弟や妹がいたらいいな~と勝手に思ったものである。このためか特に、妹のいる友人や同僚がなんとなく羨ましいと思ったものだ。これを心理学的に「妹コンプレックス」とでも言うのだろうか。
妹にも駄目な者や嫌な者もいるだろうが、昔から、多くの兄妹愛が語られてきた。例えば、詩人・宮沢賢治は2歳年下のトシを純粋に愛していたし、妹にもいろいろ支えられた。また、作家・三島由紀夫は17歳で他界した妹を心から愛していた。2人とも妹が亡くなった時は人目もはばからず“号泣”したという。
あの傍若無人で残酷な織田信長も、妹のお市の方にはとても優しく、彼女の夫(浅井長政)の死後もなにかと心配りをして妹を大切にしたという。こういう例は枚挙にいとまがない。外国でも、パスカルやニーチェなどの大哲学者が妹に支えられた話は有名である。最近では、隣の韓国でフィギュアスケートのキム・ヨナ選手が“国民の妹”と呼ばれ、多くの人から愛されている。

このように、なぜ兄妹愛が美しくて崇高なものになるのだろうか。それは純粋にプラトニック(精神的)なものだからだろう。プラトニックといっても兄や妹、あるいは姉や弟は肉親の中で初めて意識する「異性」だと言ってよい。だから特殊な関係にあるのだろうか。
大昔は“兄弟姉妹婚”が実際にあったという。これは近親婚の一種だが、相当に以前からタブー視され今はない。近親相姦に近いものだ。しかし、人間愛の原点みたいなものだから、兄弟姉妹婚への憧れは残っているのだろう。例えば、実の兄妹だと思っていたのに後で“赤の他人”と分かり、めでたく結婚するという物語が昔からある。
そんな韓流ドラマが人気を集めたり、文豪ゲーテにもそんなたわいの無い戯曲があった(もちろん、私はゲーテの大ファンだが)。題名は忘れたがゲーテが若いころに書いた作品で、これが“文豪”の戯曲かと驚いたり呆れたりしたことを思い出す。つまり兄妹、姉弟というのは初めて意識する「異性の原点」なのだろう。
妹がいない自分には憧れみたいなものだが、昔は妹(いも)と言えば、歌にもあるように妻や恋人をも指していたのだ。いつの時代から年下の“きょうだい”に特定されたのか知らないが、「妹」という言葉は男性にとって特別の魅力があると言ってよいのだろう。
以上、思いついたことを支離滅裂に語ってきたが、重ねて、妹がいない私の憧れ、羨望だと思ってほしい(笑)。最後に、加山雄三さんの『ぼくの妹に』をリンクしておきたい。

『ぼくの妹に』・・・http://www.youtube.com/watch?v=gZdG3BIKnsQ

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