矢嶋武弘の部屋

必ず なるようになる
ならないようには 決してならない 
だから 余計な心配はするな!

老人とSNS②・ヤフー!のブログ消滅

2017年04月23日 05時08分58秒 | 文学・小説・エッセー

大間(おおま)の原発建設予定地には建設反対の地権者がおり、その数少ない一つが「あさこハウス」であった。電源開発は現地の通行量調査を行なって、いかに人の“出入り”が少ないかを実証したかったようだ。しかし、郵便配達人が頻繁に出入りすれば、建設反対に有利に作用することになる。
だから湯川さんらは「あさこハウス」に郵便物をどんどん出して、通行量を増やそうと呼びかけたのである。秀樹はこれを“ラブレター作戦”と勝手に呼んでいたが、数日に1回は葉書を出した。文面はなんでも良かった。「お元気ですか?」とか「もうすぐ暖かい季節になりますね」などと書いたのである。
その日は2月23日だった。秀樹は「こちらはもう春の気配がしますが、そちらはどうですか?」などと書いて8通目の葉書を出した。そして、午後5時前だったろうか、ブログにその日のことを記したのである。すると、しょっちゅう訪問してくれるブルさんが、5時過ぎに「ラブレターの発送、ご苦労さまです」といったコメントを寄越してくれた。ブルさんは熱心な反原発活動家で、いつも温かい目で秀樹のブログを見てくれるのだ。
それから暫く、彼は他のブログを見て楽しんでいただろうか・・・すると突然、ヤフー・Yahoo!のマイブログ画面が消えた! 何度 検索しても「指定されたブログが見つかりません」といった表示が出てくる。秀樹は愕然とした。なんだ こりゃあ~、大変だぁ~~~。こうして、秀樹のマイブログは機能しなくなったのである。(参考画面→http://blogs.yahoo.co.jp/yajimatakehiro2007/38128169.htmll)
2000以上あった記事が一挙に“全面削除”されて、彼は茫然自失 頭の中が真っ白になった。どうしていいのか暫く分からなかったが、自分よりメカにずっと詳しい息子にまず連絡した。そのうち、幾人もの友だちからメールなどで「どうしたのですか?」といった問い合わせが入った。(注・最終のアクセス数は17万6420件、コメント数は2万1384件だった。)
翌日(24日)、息子から入った連絡によると、秀樹のブログは「音楽著作権」を侵害したので全ての記事が削除されたとのことだ。そのうち、ヤフー・Yahoo!からも同様の内容のメールが届き、音楽著作権協会・JASRACから通知があったと知らせてきた。そして、削除された記事や画像などは一切 復元されないという内容だった。それを知って、秀樹は“絶望的”な気分になったのである。

ヤフー・Yahoo!のマイブログが全面削除されて、秀樹は狼狽したが仕方がない。とにかく、これまでの記事を再生しなければと思った。そうでないとヤフーに“虐殺”されたまま終わってしまうのだ。そう考えて、ホームページなどにある記事をとりあえずワードパッドに移し替えたりした。
この時、幸いなことにブログ仲間のTさんが、グーグル・Googleの「キャッシュ」という印のある記事を一刻も早くコピーしなさいと教えてくれた。ぐずぐずしていると、記事そのものが無くなるというのだ。秀樹は「キャッシュ」の意味など知らなかったが、その印のある記事を夢中でワードパッドにコピーしていった。何時間もぶっ続けで移し替えたのだ。
また、消滅した彼の記事をメールで送ってくれる人もいた。そうした人たちに助けられ、秀樹は数日の間に多くの記事を“再生”することができたのである。そうは言っても、再生できたのは2000余りの記事のうち6~7割だったろうか。あとは闇に消えた。
ヤフー・Yahoo!のブログから追放されて、秀樹は手当たり次第にネットを漁った。何でもいい、何か“ツール”を見つけなければならない。彼は意味が分からないままツイッター・Twitterに登録した。まるで、溺れる者がワラをもつかむ思いである。そして、nifty・ココログにも登録しようとした。
ところが、ココログには孫娘が秀樹のIDを使って、すでに“お庭遊び”のようなサイトを持っている。孫娘のサイトを消すわけにはいかないから、彼はココログを諦めグー・goo」にたどり着いた。まるで“亡命”する人間が救いを求めて各地を訪ねまわるみたいだ(笑)。こうして、秀樹はグー・gooに登録したのである。
彼はようやく一息ついたが、ヤフー・Yahoo!の措置は余りにも一方的で“暴挙”に近いもののように思えた。問題の音楽記事については著作権との関係で削除はやむを得ないとしても、何の予告も警告もなく全ての記事が削除されたことに、秀樹は強い憤りを覚えた。
そこでヤフー・Yahoo!の「利用規約」を丹念に読んだり、音楽著作権についても調べていったが、秀樹はこのままでは済むものかと決意を固めたのである。しかし、ヤフー・Yahoo!も日本音楽著作権協会・JASRAC(ジャスラック)も“巨大な壁”だ。利用者の被害・悲鳴はいろいろ聞いているが、前途は多難だと思わざるを得なかった。

ヤフー・Yahoo!の問題にいく前に、全面削除の原因となった「音楽著作権」のことに触れたい。著作権侵害の通知がなければ、記事削除は起こり得なかったからだ。秀樹は音楽が好きで、ブログでずいぶん取り上げた。そこで問題になったのは主に2つの点だったと思う。
1つは音楽画像の「埋め込み」で、これは繰り返しするうちに削除されることが多くなった。リンクならほとんど問題はなかったが、埋め込みは著作権にじかに触れたのだろう。もう1つが「歌詞の引用」である。秀樹はこの方が大きな問題点を抱えていると思った。
音楽が好きなら、おのずと歌詞を紹介したくなり引用することがある。多くの人にぜひ知ってもらいたいと思うものだ。秀樹のブログはもちろん“商業用”ではなく、1円たりとも利益を得るものではない。だから引用は当然だと思ったのが間違いのもとだった。JASRAC・ジャスラックの話では、歌詞の引用は原則 駄目なのだ。
本文は小説なので詳しく説明はしないが、秀樹は大いに怒り次のようなJASRAC・ジャスラック批判の記事を書いた。(参考→http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/68f64ce8912a78f2326fc87af5482c71)   音楽著作権は非常に厳しいので、ツイッターで歌詞を“つぶやく”だけでも料金が発生するという。しかし、これはあまりに酷すぎないか。音楽を“食い物”にしているのはブロガーではなく、ジャスラックではないか!
ジャスラックがあまりに独善的・排他的なので、ブロガーの間では“カスラック”などと揶揄されている。秀樹も憤慨して「JASRACは“カスラック”だ! 音楽の敵だ!」という記事を書いたほどだ。(参考→http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/5d3ec9f31e365c0a404422dfb09ac89d
そういう前提に立って、彼はヤフー・Yahoo!の問題に取り組もうとした。いろいろ考えたが、結局 これは“司法の判断”を仰ぐしかないと思った。そして、ブログが全面削除されてから約3週間後、秀樹は埼玉県・戸田市の某法律事務所を訪れ、N弁護士と相談することになったのである。

秀樹とN弁護士は1時間ほど話し合った。Nさんはまだ30代後半の気鋭の弁護士といった感じだが、IT関連紛争やインターネット上の法律問題のプロだという。彼の話を聞いていると確かにその道に精通しており、いろいろな事例を挙げての説明に秀樹は大いに参考になった。
Nさんは音楽著作権侵害の件について、ヤフー・Yahoo!の措置は法的に問題はなく、「訴えても勝ち目はない」と言う。しかし、秀樹がいろいろ問い質すと、「事前の通告がなかったことは問題だ」と述べた。
確かにヤフーの利用規約には、全ての記事を削除する権限が明記されており、しかも「バックアップの義務を負わない」とまで書いてある。だから、秀樹が損害賠償の訴えを起こしても勝ち目はなく、せいぜい“問題提起”をするだけに終わるのだ。Nさんの話を聞いて、秀樹は諦めざるを得ないかと思った。(参考・ヤフーの利用規約→http://docs.yahoo.co.jp/docs/info/terms/
こうして彼は法律事務所を後にしたが、まだ納得がいかなかった。それはグー・gooの利用規約だと、「当社は本サービスを、最低10日間の予告期間をおいて停止又は廃止することができる」となっていたからだ。何の予告もなしに記事を全面削除できるヤフー・Yahoo!と、グー・gooの利用規約では大きな差がある。グーの方が、利用者の立場をはるかに尊重しているのだ。(参考・グーの利用規約→
http://blog.goo.ne.jp/info/rules.html)また、グーは会員(利用者)の著作権を基本的に認めた上、会員に広告の表示・非表示を選択する機能を提供するなど、利用者の立場を十分に考慮している。
帰宅すると、秀樹はまだ悶々たる気持になっていた。ヤフーを訴えるべきか否か。訴えても勝ち目がないとなると・・・ いくら考えても結論は出ない。こういう時は、DVD(映画)でも観て気分を晴らそうということになった。

 戸田市の法律事務所へ行ったあと、秀樹はグー・gooのブログにも次第に慣れてきてそれを楽しんだ。このブログの利点といえば、ワンスペースに2万字まで書けることだ。ヤフー・Yahoo!の場合は5000字までだったが、グーの場合は小説など長い文章も相当に収容できる。それともう一つ、強調したい記事を繰り返し“その日”のトップ項目に持ってこれることだ。
ただし、コメントはしにくい。4桁の“認証数字”を入れないとコメントができないのだ。これはけっこう面倒くさい。ヤフーの場合はそんなことは必要なかったので、ブログ仲間と簡単に意見交換ができた。それぞれ一長一短はあるが、秀樹はグー・gooにだんだん慣れていったのである。
彼はヤフーに対して大いに怒っていたから、批判記事を次々に書いていった。それだけでは気が済まず、ヤフーのメールを打ち切ってgooに切り替えたり、一時的にヤフー発の投稿の“排除措置”を取ったりした。このため、かつてのブログ仲間と縁が切れたりしたがやむを得なかった。
もう一つ、ヤフーに対して怒りを覚えたのは、電話での問い合わせなどができないことだ。IT企業なら当然かもしれないが、全てがメールのやり取りになってしまう。その点、日本音楽著作権協会・JASRACは電話でのやり取りが可能だから、年寄りにはずいぶん助かった。電話とメールでは、理解度や密接度がかなり違ってくるのだ。
秀樹はその間、フェイスブック・Facebookにも登録するなど“ヤフー・ショック”を和らげようと努めたが、どうしてもヤフーへの怒りが治まらない。やはり、訴えるか・・・ 妻にそう相談しても、冷たい反応だった。そんな無駄なことは止(よ)せという感じだ。
訴訟有効期間は3年あるから、あわてる必要はない。しかし、時がたてばこちらのやる気も薄れるかもしれない。「鉄は熱いうちに打て!」と言うではないか・・・ 考えあぐねた末に、秀樹はもう一度 N弁護士と相談してみることになった。

 4月下旬のある日、秀樹は再び法律事務所を訪れた。前回と同じように関係資料を渡して説明していったが、N弁護士の回答は同じようなものだった。ヤフー・Yahoo!を訴えても“勝ち目”はないし、せいぜい問題提起をするだけである。やる意味はあるもののそれで良ければ裁判にかけるが、あまり期待しないで欲しいという内容だった。
秀樹はどうすべきか考えていたが、ちなみに弁護費用などについて聞いてみた。すると、Nさんは着手金が15万円ぐらいだと話したあと、弁護料は「初回が17万円だ」と答えた。17万円! 始めからそんなにかかるのか・・・ さらに話を聞いてみると、裁判が終わるまでに最低でも100万円以上はかかるらしい。秀樹は“世間知らず”だったが、これには唖然とした。
なお幾つかの質問をして、彼は法律事務所を後にした。電車での帰途、重苦しい気分になってくる。自分が億万長者ならいざ知らず、財産もほとんどない“一年金生活者”が、そんな勝ち目のない裁判に大金を払うのか。裁判は金持でなければできないのか・・・ 秀樹はますます憂鬱な気分になっていった。
そして、西所沢駅に車で迎えに来た妻に、彼はだいたいの話をした。彼女の反応を見たかったのだ。
「17万円ですって? ドブ(溝)に金を捨てるようなものじゃないの!」
妻は吐き捨てるように言ったが、秀樹は黙っているしかなかった。
ここで話は違うが、彼が気にかかっていたことに触れよう。音楽著作権侵害の件は分かるが、何人ものブログ仲間たちは、秀樹が“要注意人物”としてマークされていたのではと指摘していた。たしかに彼は政治家を激しく攻撃したり、時には露骨な表現で相手を非難した。
したがって、敵は大勢いただろうし、何かあれば秀樹のブログを削除させようと企んでいる人もいたかもしれない。音楽著作権を侵害しても、ヤフー・ブログを続けている人は相当数いたからだ。しかし、秀樹は著作権の侵害は事実であり、なるべくしてなった事態だと自分を納得させようとしたのである。

それよりも、裁判に100万円以上かかるというのはキツイ! 秀樹は以前、3冊の本を自費出版したことがあるが、ちょうど同じくらいの費用がかかった。それに比べて、勝訴の見込みがないのに100万円も払うとは・・・ たしかに問題提起となり、ブログ関係者の間では少しぐらい話題になるかもしれないが、それで終わってしまうのではないか。
自分に何億円も財産があり、裁判を楽しむような余裕があれば100万円など惜しくはない。むしろ良い経験になるかもしれない。しかし、今は妻が言ったようにドブに金を捨てるようなものだと考え始めた。諦めの気持が強くなっていったのである。秀樹はしばらくこの問題は考えないようにして、他のことに取り組もうとした。
幸いグー・gooのブログの方は順調にアクセスを伸ばし、短い間に1日・200件を楽に超えるようになった。例の「あさこハウス」の方にも時たま葉書を出している。コメント数もだんだん増え、新しいブログ仲間も何人かできた。それと、ちょうどその頃、レンタルビデオ店の「ツタヤ・TSUTAYA」が、古い映画を1本100円で貸し出すようになった。
秀樹は映画が好きだから、これ幸いと片っ端から借りてきた。多い時は週に5~6本レンタルして楽しんだのである。また暇なので、ユーチューブ・YouTubeの映画やドキュメンタリーなども大いに観た。そうしているうちに、彼は偶然 ユーチューブで『樺太1945年夏 氷雪の門』という映画を発見したのである。
樺太(からふと)とは別名・サハリンと言うが、この映画は終戦時に樺太で、戦争の犠牲になった電話交換手9人の悲劇を描いた作品である。ユーチューブで観たあと秀樹はツタヤへ行き、この映画を探すと1本見つかった。彼はすぐにそれを借りてきたが、二木てるみや藤田弓子らの俳優がとても懐かしかった。秀樹はその映画を2~3回観ただろうか、そのうち、急に樺太・サハリンへ行きたくなったのである。

9人の電話交換手の自決について、秀樹はすでにそれを知っていた。というのは、隣家のTさんのご主人から聞いたことがあるのだ。20数年前、秀樹の一家が所沢市山口の今の住まいへ引っ越して来た時に、Tさんの家へ挨拶に行ったことがある。その時、樺太引揚げ者のTさんは、昔話で電話交換手の悲劇を語ったのだ。
彼は目に涙を浮かべ話したが、その時は秀樹は何の感慨も湧かなかった。そんなことがあったのかと聞き流していたのである。しかし今、彼はTさんの話を思い出していた。永い忘却の彼方から、9人の乙女の自決の物語が蘇ってきたのだ。秀樹は早速、樺太・サハリン行きの準備を進めたのである。
季節は夏になっていた。もうハマナスの花も咲いているだろう。ちょうどパスポートが切れていたので、秀樹は申請の手続きを取った。1年前の「北朝鮮」旅行が思い出される。あの時はかなり緊張したが、今度は何の心配もいらない。サハリンを領有するロシアとは“国交”があるのだ。
秀樹は小遣い代・10万円をロシア通貨のルーブルに替えた。旅行代金は約18万円で、これは某ツーリスト会社に振り込んだ。ヤフー・Yahoo!を相手に裁判を起こしていたら、ほとんど同じ額を初めに弁護士に支払っていただろう。それに比べれば、今度の旅行の方が実(み)のあるものになると、秀樹は自分を慰めた。
ところで、彼がサハリン旅行の計画をブログに書き始めると、にわかにアクセスが増えた。1日平均で200件余りだったのが300件から400件、時には500件台にも上ることがあった。秀樹はまるで“激励”されているような気分になり、非常に気を良くしたのである。
そして、8月18日。彼は羽田から北海道の稚内(わっかない)へと飛行機に乗り込んだ。稚内は初めてだし、市内には「氷雪の門」や9人の乙女を記念したレリーフなどがある。ぜひ、それも見たかったのだ。秀樹は稚内駅に近い安旅館に投宿した。

「9人の乙女の碑」

 

「氷雪の門」

 翌19日、秀樹は稚内の観光へ出発した。地元の観光バスに乗って幾つかの名所を訪れたが、もちろん「氷雪の門」や自決した電話交換手9人の像などが含まれていた。そして、日本最北端の宗谷岬やノシャップ岬などを回ったのである。途中で聞いた「宗谷岬」という歌がなにか物悲しかった。
稚内は漁業や観光業が盛んだったが、今では過疎化で人口減少に苦しんでいる。市だというのに人口は4万人を割り込んだ。高校も最近1つ閉鎖されたという。そういう話をバスガイドから聞いていると、やはりここは“日本最北端”なんだと秀樹は思わざるを得なかった。
彼は稚内に2泊し、20日にフェリーでサハリン(樺太)へと向かった。実はこの8月20日というのは、樺太・真岡の電話交換手9人が青酸カリを飲んで集団自決した日である。秀樹はわざわざその日を選んだのである。
稚内からサハリンのコルサコフまで、フェリーで5時間半かかった。コルサコフは日本統治時代に大泊(おおどまり)と呼ばれた町で、アニワ湾(亜庭湾)のほぼ真ん中に位置する。今のフェリーの航路を戦前は稚泊(ちはく)航路と言い、連絡船が行き来していたのだ。
日が暮れてコルサコフに着くと、現地旅行会社の女性ガイド・Mさんが迎えに来ていた。秀樹はもう1人の日本人旅行客と車に乗り込み、Mさんの案内で州都のユジノサハリンスクへ向かったのである。
車中、Mさんといろいろ話した。彼女は「韓国人」でふだんは釜山(プサン)に住んでいるが、夏の時期だけ実家のあるユジノサハリンスクに来るという。ここには子供と孫たちがいて楽しい“夏休み”を過ごすというわけだ。そして、日本語が堪能な彼女はついでにガイドをして小遣いを稼ぐわけだが、聞いてみると、Mさんは秀樹より1歳年上の昭和15年(1940年)生まれだった。(続く)

 宗谷岬

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2 コメント

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お久しぶりです。 (country-gentleman)
2015-05-04 14:20:31
矢嶋さん、お久しぶりです。
goo blogに移られてどのくらいが経つのでしょう。
私は変わらずのブロガーで何とか生きております。
実は、矢嶋さんもご存知と思いますが、ブロガーの「短足おじさん」が、ネトウヨに電話番号を知られ、以来迷惑電話が掛かるようになり家族が疲労困ぱいしたため、政治ネタを暫く休みます。
という記事を書かれていました。
内緒コメントなどで励ましていますが、事態は全く違いますが、矢嶋さんのことを思い出しました。
そして、伺ったら当時のYahoo blog 削除事件を小説として書かれていたので、偶然だなーと思った次第です。
矢嶋さんは音楽著作権ということで、弁護士に相談されているようですが、私は違うのではないか。ということを当初から感じていました。
私も何回かYahooから、ガイドライン違反といきなりメッセージが表示され、記事を削除されましたが、それは、朝日新聞のプロメテウスの罠という記事を載せたり、他の記事を載せたりしたものですが、矢嶋さんのように、全てのサイトが削除ということはありません。
矢嶋さんの場合も著作権法に触れた記事だけを削除というのなら理解出来ますが、全てをバッサリというのは理解が出来ませんでしたが、あの当時、ある政党の不動産の不透明な取り引きを疑問視され記事にしていましたね。
あの記事を私が書いても著作権に触れませんからスルーされていたし、何も問題にはなりません。
ただ、矢嶋さんの場合はチョット状況が私と違います。
フジテレビの報道に在籍していた。本名と顔写真を載せている。
同じブロガーでも、記事のインパクトに雲泥の差がある。
これを、あの政党が無視する訳にはいかない。
YahooにもJASRACにもそれなりのシンパや党員はいる。
ということで、不動産の記事だけを削除したいが、その理由が無い。
となれば音楽著作権で、著作に関係ない記事も一緒に削除するしかない。
という私のサスペンスドラマの筋書きでした。^_^

また寄らせて頂きます。
有難うございます。 (矢嶋武弘)
2015-05-04 14:43:36
カントリー・ジェントルマンさん、お久しぶりです。
実は最近、貴兄のブログにお邪魔し記事を拝見しています。ご壮健でなによりです。
「短足おじさん」がそんな被害を受けているのですか。大変ですね。気をつけましょう!
小生のブログが全面削除になった時、貴兄からのコメントは今でもよく覚えています。ある政党のことを述べておられたのも覚えています。
いろいろありましたが、今はgooのブログでなんとかやっており、問題はありません。移って良かったと思います。
最近、こんな自伝的小説を始めました。年寄りの冷や水でしょうか(笑)。
なんとか続けたいと思いますが、また、ご意見などがあればよろしくお願いいたします。
貴兄のブログにもお邪魔しますので、よろしくどうぞ。
お互いに挫けず、頑張りましょう!

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