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“木を見て森を見ない”日本人

2017年03月20日 05時10分04秒 | 社会・事件・事故

(2011年7月に書いた記事を復刻します。)

先日、日本には「マニュアル人間」が多いという記事を書いたが、どうも日本人は訓練とか演習、練習といったものが好きなようだ。ルールや規則、マニュアルを尊ぶのは良いが、日本人にはどうも大局的な視点が欠ける嫌いがある。
私も70年以上生きてくると、日本人の長所や欠点がだいたい見えてくる。日本人は真面目で律義で努力家が多いと思う。しかし、細かいこと、目先のことにはよく気が付くが、大所高所から物を見るのが不得手なようだ。
例えばいま、原発のストレステスト(耐性検査)をするかどうかで民主党政権が揉めているが、こんなものはやってもやらなくても大して関係はない。気休めでやればやったで良いし、やらなくてもどうってことはない。要は原発を存続するか、廃止していくかの問題である。“ストレステスト”など枝葉末節なことなのだが、こういったことに多くの日本人は目を奪われがちだ。
 
身近な例から入ったが、日本人はテストとか演習、訓練などが大好きである。避難訓練、防災訓練、防火訓練などをしょっちゅう行なっている。それは結構なことだが、訓練をやればそれで済むという問題ではない。
東日本大震災が起きる直前、東北地方の太平洋沿岸でも何カ所かで避難訓練が行なわれていた。津波などに備えてやったのだろうが、「避難指定場所」に決められた公民館や学校などが、3月11日の大津波で呑み込まれたケースは幾つもあった。そのために、大勢の犠牲者が出た。私は訓練が悪いと言っているのではない。訓練はやった方がいいが、しかし、それは絶対ではない。それによって安易な油断が生じたとすれば、かえって有害だと言いたいのである。津波が来れば、出来るだけ高台へ高台へと逃げるしかないではないか!
ここでは「木を見て森を見ない」日本人のことを述べている。一つ面白い事例を挙げてみよう。

戦前の話だが、1933年(昭和8年)の8月、日本の主要な都市で「防空大演習」というものが行なわれた。これは当時の陸軍が主宰したものだが、2年前に満州事変を起こし、それが要因で国際連盟を脱退した日本が、国際的な孤立の中で本土防衛を完遂しようという目的で実施されたものだ。
趣旨は分かるが、中身は“敵機の襲来”に備えて防空演習をするというものであった。これについて、当時の信濃毎日新聞の論説委員・桐生悠々という人が「防空大演習を笑う」という記事を書いた。(以下、半藤一利氏の著書「昭和史」を参照。)
桐生氏はこの中で、「だいたい敵の飛行機が日本の上空に来るという状態になったら、もう日本軍の大敗北そのものではないか・・・こうした実戦が、将来決してあってはならない」と述べた。 さらに桐生氏は、「かかる架空的な演習を行なっても、実際には、さほど役には立たないだろう」と述べ、防空大演習を痛烈に皮肉った。
これを読んだ陸軍は烈火のごとく怒り、信濃毎日新聞の記事を発禁処分にして桐生氏を辞職へと追いやった。
陸軍の怒りは分かるが、歴史的には桐生氏の指摘が全く正しかったことを証明している。やがて太平洋戦争が起き、日本は米軍の猛爆撃を受け大都市がほとんど壊滅、焼け野原になってしまった。防空大演習など、さほどどころか全く役に立たなかったのである。挙句の果てに、原爆を2発落とされ日本は完全に敗北した。
訓練も演習も良いが、目先のことだけを考えているとこういう悲劇的な結果に終わる。日本国民はこの大演習に“お祭り騒ぎ”のように参加したというが、果たしてそれで良かったのか。敵機の襲来を想定した演習など馬鹿げていると思わないのか。

それより、まず戦争を回避することを考えるべきではないか。 仮に戦争になっても爆撃を受けるような状態を想定してはならない。それは「負け戦」そのものではないか。そんな想定の下の訓練なら、嫌だとお断りすべきである。
ところが、戦後もそうした無駄で有害な想定の下でいろいろ議論が行なわれてきた。例えば「有事法制」などと言って、敵が日本に上陸してきた時に国民をどう守るかなどと、真剣に論議してきたのだ。
敵が日本に上陸するようなら、もう敗北寸前ではないか! そんな机上の空論は自衛隊関係者や軍事研究家に任せるとして、戦争を回避するために、政治や外交は何をすべきかを考える方がよほど大切だろう。つまり、日本人は何が大切で重要かがあまり分かっていない。「木を見て森を見ない」というのはそういうことだ。

私が「マニュアル人間だらけの日本」という記事を書いたら、原発事故に関連して、「電力会社は住民避難のマニュアルもなければ、訓練もしてこなかった」というご意見をいただいた。確かにそうである。しかし、原発は事故を起こしてはならないし、「絶対安全」だと言ってきた。勿論そうでなければならない。
ご意見は分かるが、それならば原発が水素爆発などの大事故を起こすと想定して、訓練をしなければならないのか!?
例えば、原発が沢山ある福井県で大事故が起きたと想定するなら、放射能拡散の危険から福井県民だけでなく京都府や滋賀県、岐阜県や石川県など周辺の住民も避難訓練に参加しなければならない。そんな訓練を住民の誰が喜ぶだろうか。みんな嫌がるだろう。そんなことは分かっているから、電力会社は原発は「絶対安全」と言い切るしかないのだ。
原発の大事故を想定して何百万人もが訓練するぐらいなら、原発自体が無い方がよっぽどマシだ! 日本人がいかに訓練や演習が好きだとしても、そんな訓練はしたくないだろう。私も絶対に嫌だ。
原発のストレステストがどうのとか、そんなものは枝葉末節のことだ。「木を見て森を見ない」日本人は、何が基本的に大切な問題なのか、訓練や演習にどういう意味があるのか、もっと根本に立ち返って考える必要がある。(2011年7月9日)

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2012-12-14 05:49:32
昭和8年の防空大演習の中身を知りたいものです。
まさか竹槍を持って住民が参加したのではないでしょうね。
防空大演習 (矢嶋武弘)
2012-12-14 07:47:54
私も詳しく知りませんが、敵機の襲来を想定した演習だけに、夜、東京中が「灯火管制」を敷いて、真っ暗になったそうです。
以上は、永井荷風の日記によりますが、その頃はまだ竹槍部隊は出てこなかったでしょう(笑)。

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