矢嶋武弘の部屋

風林火山
日一日の命 日々新たなり

過去の記事(10)

2017年05月27日 03時31分55秒 | 過去の記事

呪われた原子力船「むつ」 

 福島原発の事故が広範囲に影響を与えているが、その昔、原子力船「むつ」という船があったのをご存知だろうか。ところが、この船は放射能漏れ事故を起こし、どの港からも嫌われ悲しい運命をたどった。いわば“呪われた船”なのである。
「むつ」は1969年(昭和44年)6月、東京で進水式を行なった。当時、原子力平和利用の象徴のような存在として、各方面から大きな期待を寄せられていたように思う。マスコミも大々的に取り上げ、進水と同時に“記念切手”が発行されたほどだ。
「むつ」はその後、母港である青森県の大湊港(むつ市)に移り、そこで“原子炉”などを艤装し万全の態勢を整えた。 そして1974年(昭和49年)8月25日、「むつ」は出力上昇試験をするため太平洋へ向かおうとしたところ、漁場の放射能汚染を心配する地元の漁民が、約250隻の船団を編成して「むつ」の出航を阻止した。
この時は非常にスリリングな展開だったようで、おりしも台風14号が襲来した隙をつき、「むつ」は漁船団の包囲網を突破、予定より15時間遅れたが、翌26日には洋上へ出ることができたのである。
 
まさに波乱の船出だったが、多くの国民が注目する中で「むつ」は28日に原子炉が初の臨界に達した。マスコミはこぞって報道したと記憶している。ところが9月1日、遮蔽リングの設計ミスにより、「むつ」は放射線(中性子)漏れの事故を起こす。
事態は一変、出力上昇試験は中止され「むつ」は大湊へ帰港することになった。ところが、むつ市の漁民や市民らは、放射線漏れを起こした「むつ」の帰港に断固反対して抗議行動を行なった。結局、「むつ」は大湊へ帰港することができず、これ以降、悲劇の“漂流生活”を余儀なくされるのだ。
その後、「むつ」は修理のため長崎県佐世保市へ向かうのだが、佐世保でも激しい寄港反対運動が起きるなど、すっかり“嫌われ者”になってしまう。
「むつ」の哀れな漂流生活を逐一述べるのは止めるが、最終的に、この船はむつ市関根浜を母港とすることが決まった。しかし、ほとんどの国民から無視され、まるで“日陰者”のような年月を送って廃船となり、1993年(平成5年)に原子炉を撤去したのである。
 
「むつ」にどれほど金がかかったか知らないが、進水時に記念切手が出たほどの“人気船”にしては、まことに哀れな最期だった。
放射能漏れを起こしたのは福島原発と同じだが、その当時の新聞記事を読むと、大湊でも佐世保でも市民らの強硬な反対運動があった。多くの国民は「むつ」に不安を抱き、激しい抗議行動に立ち上がったのだ。
ところが、今の日本では原発のある所に金(交付金など)がばらまかれ、原発によって固定資産税の税収が増えるなど、「金の力」に魅了されて安全を放棄しているのだ。放射能漏れが起きてから騒いでも、もう遅い! 今回の福島原発の事故がいい例ではないか。
「むつ」が注目を集めていた頃、人々は原子力の安全利用にも関心があったが、その危険性についても鋭く反応した。少しでも危険なことが分かれば、立ち上がって反対運動を起こしたのだ。原発への反対運動も同様であるべきではないか。以上、呪われた原子力船「むつ」について述べた。(2011年5月8日)
 

 自然エネルギーと経済発展

原発の話をするともう馬鹿々々しくて憂鬱になるので、もっと将来を見据えた話をしていこう。
その前に一言だけ・・・原発なしでも電力は十分に足りているのだ。先の東電の「計画停電」は、福島県と茨城県の大火力発電所2つが津波で被害を受けたため取られた措置で、福島原発の事故とは関係ない。火力発電所が復旧すれば、計画停電などもうないだろう。
しかし、化石燃料や原発に頼っているだけでは、将来の展望は開けない。そこで今日は、以前「言葉の寄木細工」様より転載させてもらった記事を、改めて復刻しておきたい。エネルギー革命は目前に迫っている。 “脱原発”を推進するためにも、自然エネルギーの活用は急務だろう。(2011年4月15日)

◇ 今後急速に太陽光発電や風力発電などの自然エネルギーの普及促進が加速して、一般家庭などの家の屋根に 学校や公共の建物等、殆んどの建物の屋根に、そして遊休の空き地や利用できない土地にすべてソーラーパネルを設置する事により、エネルギー源になります。ソーラーパネルは(製造した瞬間から光さえ受ければ発電する)最低でも数十年の寿命があります、高価なソーラーパネルでも十数年で原価償却さえ終われば、その後は無限供給で一切の燃費など経費は一切掛かりませんから経済的負担にはなりません。
もしそうなった時は、電力料金は限りなくゼロに近くなります。
そうして燃料とか、燃料補給と言う概念が無くなりかねません。
もう遠距離の電力輸送の送電線も極端に、必要性が少なくなってしまいます。
現在の電力会社やガス石油産業は、そして世界経済に及ぼす影響は、もう先行きエネルギーでの金銭的な利益や採算を上げる事は、不可能な時代になることを覚悟しなければならないのではないでしょうか。
エネルギーや電力は必要なところで必要なだけ作る時代になるのです。
環境保護の自然エネルギー利用を進めていく事と、世界の産業と経済の発展をいかにして両立させるかが、これからの人類に課せられた最大の問題だと思います。
これは人間そのものの価値観自体をひっくり返す位の一大変化と、それを受け入れる決心が無ければエネルギー革命は不可能です。
今日の世界は、18世紀の産業革命以上の、大変革が起ころうとしているのです。
これをどうして乗り越えるか、其処にこそ人類の英知を結集しなければ、幸福な未来を望むことは不可能ではないかと思います。
太陽光発電に話を戻しますが、もしこれが今から何年か後に(数年から十数年)100%普及して、電力の大部分が太陽光と風力など自然エネルギーに、置き換えられたときには、最早ソーラーパネルの需要等も極端に減少して仕舞います。
次に何をどうして世界のメイン産業を、維持確保してゆくのか、それを今から考えておかなければなりません。
しかし人間の欲望は無限に広がりますから、きっとより明るい未来の産業がひらけて来る事でしょう、其処にこそ人類の希望と発展があるのです。
エネルギー産業に頼らなくても、未来に世界経済の発展を、心から希望します。
 
注・「言葉の寄木細工」様の本記事・・・http://blogs.yahoo.co.jp/takahash_yuuzan19/29822711.html

 

領収書と精算

これから時たま“どうでもいい話”をしていきたい。1回目の今日は「領収書と精算」の話だ。つまらない話なので適当にあしらって頂きたい。
サラリーマンはほとんどの人が精算の経験があるだろう。精算をしたことがないという人は幸せである。まあ、そんな人は滅多にいないと思うが。
自分も38年近くサラリーマンをやってきたから、ずいぶん精算の経験がある。月末などになると、領収書を集めたり整理して経理の方へ渡す。それの繰り返しだった。
よく思い出すのが“接待”の精算だ。接待の経験がないサラリーマンも少ないだろう。お客さんを料理店などに招いてするアレだ。どれだけ接待したか分からない。正直言って、会社の金でずいぶん飲んだり食ったりしたものだ。逆に接待されることもかなりあった。
現役時代はテレビ局の報道に長くいたから、デスクをやっていると1カ月に1回必ず精算に追われる。現場の記者たちに「領収書をあげてくれ」と指示する。自分も溜めこんだ領収書を適当に仕分け、整理し裏書きをする。こうして経理や総務を通過していくのだ。
 
ところで、報道を離れある部署に移った直後、海外の放送事業の実態を調べろと言われ、たしか上海、香港、ジャカルタ、シンガポールを回ったことがある。1週間ぐらいの強行スケジュールだったが、旧郵政省(今の総務省)の係長さんを団長に担ぎ上げ他のテレビ局の担当者と一緒に随行した。
その部署では初めての海外出張だったので、上司が余裕を見て2000ドル持っていけと言う。ところが、この金は自由に使うことができるのだが、大変なハードスケジュールだったのでなかなか自由に使う時間がない。そのうち、へそ曲がりの私は「どうせなら全部残してやれ」と思うようになった。そう思うと人間は“意地っ張り”になるもので、結局、1ドルも使わずに帰国した。領収書は1枚もなし。そんなことはもちろん初めてである。
私が庶務の女性に2000ドル全部を返すと、彼女はびっくりして「本当に何も使わなかったのですか? タクシー代も?」と聞いてくるから、「ああ、全く使わなかったよ」と答えてやった。
会社の金でさんざん飲み食いしてきた自分としては、あの時が一番“痛快”だった。庶務の女の子は、変な人が職場に来たと思ったかもしれない。
 
さて、どうも偏屈男の手前味噌になるようだが、自腹を切ることもよくあった。会社の金で大いに飲み食いしていると、たまには殊勝な気分になることもある。そういう時は意外に自腹を切るのだ。もっとも、料金が安い時だけだ。いちおう領収書はもらっておくが。
また、政治家のパーティーやタレント主催のセレモニーなどの際は、こちらが言わなくても相手が必ず領収書を発行してくれる。それが慣例である。
ある時、某報道番組の司会をやってもらった古館伊知郎氏の結婚披露宴があった。私はその番組の責任者だったのだが、どういう訳か古館氏から披露宴の案内状が届いた。ふだん全く面識のない彼だったが、単なる番組の縁で事務方が送ってきたのだろう。
断っても良かったが、上司の部長に相談したら「出ればいいじゃないか。お祝い金はあとで精算してよ」という返事だった。
そこで、いくら包んだら良いのか分からなかったが、2万円をお祝いとして包んだ。たぶん、列席者の中では最低の金額だっただろう。披露宴は実に和やかなもので見ていて気持が良かった。故筑紫哲也さんらも列席していた。
たっぷりとご馳走になって、帰り際に立派な引き出物をもらった時、欲張りの私もさすがにこれは会社に請求しては駄目だと思った。この件は精算なしで終わった。
 
そういうこともあったが、私は現役時代に会社の金は存分に使ったと思う。それでいいのだ。「金は天下の回りもの」と言うではないか。一個人を通じて金はあちこちに回っていくのだ。その中で、たまには自腹を切ることもある。
会合の接待費もゴルフ代金もパーティー代も、世の中をぐるぐる回っていくのだ。資本主義も社会主義も関係ない。金は天下の回りものである。そういう時こそ、世の中は最もスムーズにいっているのだ。
どうやら、最近の日本は金が回っていないようだ(笑) 社内留保ばかりしているのは、どこの大企業だ!?(爆) (2011年2月24日)

 

 文明の発達と少子化

文明が発達すると、少子化になるようだ。社会が豊かになったとしても、子供が増えるわけではない。どういうことかと言うと、現代では携帯電話、パソコン、テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機、電子レンジ、電卓などがないと文明生活に遅れる。したがって、それらを購入するために金が要る。
ところが、私が子供の頃は、そんな電気製品やパソコン、テレビなどはなかった。それだけ金がかからなかったということだ。つまり少しぐらい貧乏であっても、十分に生活が出来た。だから「貧乏人の子沢山」という言葉もあったほどだ。特に戦前は、一家に子供が10人ぐらいいても何らおかしくなかった。
しかし、現代では電気製品の他に、塾などの教育費、数多くの趣味や遊び、稽古事など色々あるから、非常に金がかかる。それで、給料がそんなに増えたかといえば、人それぞれで分からない。給料が増えてもその分、物価が上がれば生活水準は向上したとは言えない。ただし、今はデフレだが。
要するに、現代は昔に比べて物凄く金がかかるということだ。そうなると、若い人たちは貧しければ結婚も出来ない。たとえ結婚しても子供をつくれない。子供をつくってもせいぜい1人か2人程度だ。政府が子ども手当を月に1~2万円支給したって、焼け石に水みたいなものだ。
文明の発達は便利で良いのだが、逆に生活しにくくなっている面もある。かと言って、電気製品やパソコンがない昔の生活に戻るわけにはいかない。そうなると、少しぐらい給料が増えても文明生活をエンジョイするために、出産・育児を最小限に止めようという気にもなる。
 
つい先日、昔の映画の一場面を見る機会があったが、半世紀ほど前は真面目に「産児制限」が議論されていた。産児制限だって? 若い人は知らないだろう。 昔は仮に貧乏であっても、子供は結構つくれたのだ。えっ?と思うかもしれないが、今よりはるかに文明が劣っていたとはいえ、いや文明が劣っていたからこそ、金がかからないので子供をかなり産めたのだ。
ところが、今や「産児制限」などは“死語”になったようだ。そんなことを言わなくても、一人の子供に途方もない金がかかるから、産みたくても産めない。それが現実だ。
つまり、文明が発達すればするほど、かえって貧困感や格差意識が出てくるのだ。私の息子たちを含めてそういう例はいくらでもある。 高度に発達した文明社会では、子供は増えないだろう。むしろ、文明が劣っている社会の方が子供は増える。先ほども言った「貧乏人の子沢山」というものだ。産児制限なんて言われなくても、今の若い人たちは子供をそんなに産まない。いや、産めないのだ。
以上、勝手に書いてしまったが、私がヒントを得た昔の映画のワンシーンを以下にアップしておきたい。半世紀以上前の農村の若い男女の会話である(特に前半部分)。 若い女が「沢山子供を産みたい」と言うと、男の方が「少ない子供を丁寧に育てるのが良い」と答える。すでに別の所で紹介しているが、まだ見ていない方は参考になるかもしれない。(2012年1月19日)

 

疑わしきは罰する・推定有罪

何をおいても裁判ほど嫌なものはない。出来るなら関わりたくない。大抵の人がそうだろう。70歳になってホッとしたのは、例の「裁判員」にならなくて済むことだ(笑)。 「裁判員制度」にはいろいろ疑問があるが、ここでは述べるのを止めよう。とにかく、裁判にはロマンもへちまもない。
そうは言っても、先日の民主党・小沢一郎氏の元秘書3人に対する有罪判決については、幾つかの疑問を感じた。裁判って状況証拠ぐらいで有罪になるのか。いや、ほとんど裁判長の心証や推測、価値観で判決が下されるのか。
素人の自分は、裁判とは「疑わしきは罰せず」とか「推定無罪」が原則だと思っていた。ところが、先日の有罪判決を見ると、「疑わしきは罰する」 「推定有罪」に変わってしまったのかと思うほどだ。
すでにマスコミなどで報じられているから詳しいことは述べないが、判決文の要旨を読むと「なるほど、なるほど。さもありなん」と思うことが多い。まるで“名探偵”が推理しているみたいだ。ところが、被告側の主張と食い違っている点については、これを論破するような決定的な証拠が示されていない。何もかも推測、推論ではないか。こんなことで有罪の判決が出るのか。
小沢一郎(以下、敬称略)と言えば政界の実力者だし、マスコミで何かと「政治とカネ」問題を取り上げられてきた。だから、怪しいと思えばどこまでも怪しいし、疑い出したら切りがない。しかし、現代の裁判は「証拠第一」だろう。明白な証拠がなければ、その元秘書たちを簡単に有罪にするわけにはいかないはずだ。
あいつは怪しい、疑わしいから有罪にしてしまえとなると、まるでナチス・ドイツの裁判か、スターリン時代のソ連の暗黒裁判を思い出す。法廷に連れ出されると、いちおう形式的に裁判をするが、みんな有罪になってしまうのだ。まさか、現代の日本の裁判がそうではないと思うが、先日の東京地裁の判決を見ていると、そう疑いたくなる。
 
概論だけ述べると不十分だろうから、一つだけ疑問点を示したい。例えば、西松建設がつくった政治団体が“ダミー”かどうかについては、裁判長はそうだと断定したが、それがダミー献金なら、20人以上の自民党の政治家にも渡っている。ところが、小沢一郎の所だけ馬鹿正直に政治資金収支決算書に記載しているのに、自民党議員は誰一人として記載していない。これでは完全に“闇献金”になるではないか。
記載した小沢側の方が有罪になって、記載しなかった自民党議員らが全く訴追されないというのは、あまりに不公正・不公平ではないか! こんな馬鹿な話はない。明らかに、小沢とその秘書たちだけを狙い撃ちにした裁判である。
そう考えると、これは「政治裁判」だ。実力があって何かと官僚から嫌われている小沢と、その周辺の者を排除しようという政治裁判である。私の言っていることが間違っているだろうか。とにかく、一方的で不公正な裁判なのだ。
最初に言ったが、私は裁判が大嫌いで、あまり触れたくない。しかし、余りにも不公正な感じがするのでつい述べてしまった。これからも触れたくないが、我慢できなければまたぶっ放すかもしれない。(2011年10月2日)

 

松島や ああ松島や 松島や
 
以前、俳句のことでいろいろ話したことがあるが、日本人はどうも「権威」に弱い。今は民主主義社会だから、昔のように「お上」にひれ伏すことは少なくなったが、権威に弱い風習は未だに残っているようだ。 そこで、以前取り上げた俳句の話を、もう一度書き直しながら論じていきたい。
 
「松島や ああ松島や 松島や」という句がある。素人や俳句を始めたばかりの人がこういう句を作ったら、俳句の専門家や批評家は何と言うだろうか。たぶん「何だ、こりゃあ。こんなものが俳句か!」と一笑に付すのではないか。
 ところが、これは俳聖・松尾芭蕉の句だとなると、「こんなものが俳句か!」とはまず言わないだろう。つまり、素人が作ったか俳聖が作ったかで、評価が変わる可能性が高いのだ。これを「権威主義」と言う。
 実はこの句は、後世の狂歌師が作ったという説がある。真偽ははっきりしないが、その話は後でしよう。ここで言いたいのは、最も自由であるべき芸術の分野で、意外に権威主義的な面が色濃く残っているということだ。
 
いま芸術と言ったが、戦後すぐに桑原武夫というフランス文学者が、俳句を「第二芸術」と呼んで排撃したことがある。(末尾に参考資料を添付しておく)
 これに対して、高浜虚子や水原秋桜子といった俳壇の大御所らは無視したか、ほとんど反論できなかったようだが、「家元俳句」の実態が露呈されたと言ってよい。これも全く権威主義そのもので、お茶やお花と同様の“お俳句”という芸事(げいごと)、お稽古事でしかないということだ。
 そういうこともあって、私は俳句などに興味も関心もないまま今日に至ったが、芭蕉や蕪村、一茶ら有名な俳人の句は学校で教わったこともあり、勿論いろいろ覚えている。第二芸術であろうとなかろうと、俳句は短歌と同様に、日本特有の“文化”であることは間違いない。しかし、日本特有のものであるからこそ、「家元俳句」ではないが、極めて権威主義的な面が残っているのだ。それが嫌いである。
 
正岡子規が「写生」を説いて、明治の俳壇に一大旋風を巻き起こしたのは有名な話だ。明治という新時代にふさわしい理論だと思うが(背景に、自然主義文学の興隆があったのだろうが)、彼は江戸時代末期の俳句を「月並俳句」と呼んでこき下ろした。有名な加賀の千代女(ちよじょ)まで攻撃された。
 しかし、子規の権威が俳壇に確立されたとはいえ、彼の俳句などは少しも面白くない。例えば「鶏頭の 十四五本も ありぬべし」などの句を読めば、「だから一体、何なの?」と思ってしまう。写生、写生と言ったって、中身がちっとも面白くないのだ。もとより、正岡子規が立派な人物であったことは知っているが、だからと言って、その俳句の良し悪しを吟味するのは個人の自由である。
 子規に攻撃されたであろう小林一茶の「やせ蛙 負けるな一茶 これにあり」や、千代女の「朝顔に つるべ取られて もらい水」などの方が、自由な感性が表われていて、はるかに素晴らしいと思う。
 
私は俳句の素人だから、俳壇の人たちからは勿論相手にされないだろう。しかし、一言だけはっきりと言っておく。「権威主義に振り回されるな!」と。
 冒頭の「松島や ああ松島や 松島や」は、インターネットで調べるてみると、不可解な話が出ている。この句は芭蕉のものだと言われているのに、実は芭蕉の作品ではなく、後世の狂歌師・田原坊のものだというのだ。田原坊が「松島や さてまつしまや 松島や」と作ったものが、芭蕉の句として伝えられたというのだ。
 勿論、真偽のほどは分からないが、私が勝手に憶測すると「偉大な芭蕉がこんな下らない句を作ったとすれば、芭蕉の名誉に係わる。だから、狂歌師の作にしてしまえ」という風になったのではないか。(田原坊が、芭蕉の句を真似た可能性もある。)
 芭蕉が偉大な詩人・俳人であることは間違いない。しかし、どんな天才であっても、つい“愚作”をつくることもある。それもかえって人間的で面白いではないか。芭蕉は、絶景の松島を見て言葉にならず「ああ松島や 松島や」と詠嘆したとすれば、むしろ、その方が人間感情が素直に出ていて楽しいではないか。
 ただし、我々のような素人がこんな愚作をつくってはいけない。芭蕉だから許されるのではないか・・・オッと、これこそ権威主義である(笑) (2010年10月23日)
 
桑原武夫の「俳句・第二芸術論」・・・http://www1.odn.ne.jp/~cas67510/haiku/kuwahara.html

 

日中戦争を画策!? アメリカの大謀略か

世の中は何が起きてもおかしくはない。そういう意味で、前の項目で第2次世界大戦の引金となった「独ソ不可侵条約」を復刻したのだが、つい最近、極めて興味深い話を聞いたので紹介していきたい。
国際政治というのは、一言で云うと“謀略戦”なのである。それは分かっているつもりだが、今回、アメリカのオバマ次期政権の下で駐日大使に任命されるジョセフ・ナイ氏が、過去に恐るべき謀略を画策していたことを取り上げよう。これは、ある方のサイトで知り元の記事を読んだので、末尾にリンクしておきたい。

ナイ氏はかつて、アメリカ大統領直属の国家安全保障会議(NSC)の議長を務めるなど、外交戦略を専門とする国際政治学者である。また、アメリカ民主党政権の高官をしばしば務め、知日派としても知られているそうだ。 その彼が過去に、日本に対する戦略会議の報告書をまとめた。題して「対日超党派報告書」である。要約すると以下の通りである。

「東シナ海や日本海近辺には、未開発の石油・天然ガスが眠っており、その総量は世界最大の産油国サウジアラビアを凌駕する分量である。アメリカは何としてもそのエネルギー資源を手に入れなければならない。そのチャンスは台湾と中国が軍事衝突を起こした時である。当初、アメリカ軍は台湾側に立って中国と戦闘を開始する。
そして、日米安保条約に基づき、日本の自衛隊もその戦闘に参加させる。中国軍は、米日両軍の補給基地である在日米軍基地、自衛隊基地を攻撃するだろう。そうなると、本土を攻撃された日本人は逆上し、本格的な日中戦争が始まる。

その間、米軍は徐々に戦争から手を引き、自衛隊と中国軍の戦争が中心になるように誘導する。日中戦争が激化したところで、アメリカが和平交渉に介入し、東シナ海と日本海のPKO(平和維持活動)を米軍が中心となって行なう。アメリカが東シナ海と日本海で軍事的・政治的主導権を確保すれば、この地域での資源開発に、アメリカのエネルギー産業は圧倒的な優位を入手することが出来る。
なお、この戦略の前提として、日本の自衛隊が海外で自由に“軍事行動”が出来るように、状況を形成しておく必要がある」

以上がナイ氏がまとめた報告書だが、私に言わせれば「いったい 何を考えてるんだ!」と一喝したくなる。もちろん、このように事態がスムーズに運ぶとは到底思えないが、これがアメリカの外交戦略家の考えていることである。要するに、アジア人同士を徹底的に戦わせ、アメリカが“漁夫の利”を占めようというものだ。日中戦争、中台戦争が起きれば、アメリカの軍事産業が儲かるのは言うまでもない。 全てをアメリカの利益にするために構築された戦略である。戦略と言うよりも、正に「謀略」である。

こんな馬鹿げた謀略(盲想?)に、日本は乗ってはならない。もちろん乗るはずはないが、国際政治とはこうした謀略によって成り立っているのだ。だから油断すると、いつ戦争に巻き込まれるかもしれない。また、ごく一部の輩が「日中戦争、日中戦争」と騒ぐかもしれない。われわれは、何が国益になるかを十分に考える必要がある。
今日はジョセフ・ナイ氏の報告書を取り上げたが、冒頭に述べたように「独ソ不可侵条約」といった驚天動地の事態がいつ起きないとも限らない。国際政治はそれほど“複雑怪奇”なのである。(2009年1月14日)
以下にナイ氏の報告書など、参考記事をリンクしておく。

http://www.asyura2.com/09/senkyo57/msg/559.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%A4

 

不滅の女性アスリート・人見絹江

ユーチューブの森を散歩していたら、戦前の日本で陸上の“万能選手”として活躍した人見絹江の映像が見つかった。
実は昨年8月、北京オリンピックの陸上競技・男子400mリレーで、日本が3位に入り銅メダルを獲得した時、オリンピックのトラック種目で日本がメダルを取ったのは、1928年のアムステルダム五輪の人見絹江(ひとみきぬえ)以来80年ぶりだという記事を書いたことがある。

人見絹江と言えば、私はすぐに中学時代の体育の女性教諭であるK先生を思い出す。K先生は何かというと人見絹江の話をしてくれた。よほど彼女を尊敬していたのだろう。アムステルダム五輪の女子800m競走で、人見が当時世界最強のドイツのリナ・ラトケ選手と死闘を演じ、わずかの差で2着となり銀メダルに輝いた話が主だったと思う。
そこで、ウィキペディアで人見のことを調べてみたら驚いた。彼女はその当時すでに、100m、200m、走り幅跳びで世界記録を持っていたのだ。他にも未公認で三段跳び、400m、50mなどの世界最高記録を樹立していた。いわば“万能選手”と言ったらよいのか、今で言えば5種競技、10種競技の鉄人(女性だから“鉄の女”か)という存在だったのだろう。(当時は、3種競技があったとのことだ。)
女子の陸上競技の草創期だから、人見のような傑出したアスリートはどんな種目にも頭角を現わしたと言ってよい。 その当時は女が太ももを露わにして走るなんて、欧米でも“はしたない”“恥ずかしい”と見られていたようだ。まして、女性の地位が低かった日本では、恥ずかしいどころではなかったろう。しかし、人見は自ら先頭に立って、女子の陸上競技を国際的なレベルに引き上げたのである。

ウィキペディアによれば、人見は17歳の時に身長170センチ、体重56キロとあるから、当時の日本では“大女”だっただろう。だから恵まれた体を生かして世界的なアスリートになれたのだろうが、その努力、奮闘ぶりは大変なものである。彼女が亡くなる前年(1930年)は、国内はもとより国際大会に相次いで出場し、しかもトラック競技だけでなく走り幅跳び、走り高跳び、やり投げ、円盤投げにも出場しているのだ。まさに鉄人・鉄の女である。
しかし、そうした無理がたたったのか、彼女は遠征先で体調を崩し高熱を発する。人見は帰国後、岡山の実家で1日だけ休んだものの、すぐに東京に出たりして毎日新聞の仕事をこなしていたが、1931年3月、喀血して肋膜炎で入院(大阪)、その後肺炎を併発して8月2日に死去した。享年24歳。まさに壮烈な“戦死”と言ってよいものだ。
彼女こそ日本女子陸上界の先達である。このような女性がいたからこそ日本の陸上競技が発展し、今日の隆盛を呼んだのではないか。元世界記録保持者・人見絹江は、日本が誇る栄光不滅のアスリートである。(2009年8月2日)

ジャンル:
その他
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 過去の記事(9) | トップ | 過去の記事(11) »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL