遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

長崎原爆の日

2017-08-10 15:19:48 | 日記
平成29年8月10日(木)

長崎平和記念式典


8月9日(水)、太平洋戦争の末期広島に続き
長崎へ原爆が投下されてより72年が経ちました。

長崎の平和公園で「平和記念式典」が営まれ、世界
56カ国と欧州連合の代表者も参列しました。




10時35分、被爆者歌う会「ひまわり」(最高齢92歳)
の歌声「もう二度と」の合唱が会場を、、、
「平和の鐘」を合図に、「平和記念式典」の開始です。


長崎市で新たに死亡された方の「被爆者名簿」の奉安
3,351名(累計175,743名)


この後、被爆者代表等5名による「献水」(原爆に依り
水を求めながら亡くなられた方へ、水を捧げること)


献花:長崎市長を始めとする各界代表者による





11時02分(原爆が投下された時刻)、平和の鐘が鳴り
参列者全員に依る、1分間の黙祷です、、、、。





平和宣言(田上長崎市長)
「ノーモア・ヒバクシャ」(世界中の誰もが永久的に
核兵器による惨禍を体験する事がない様被爆者からの
願い)



国連事務次長の中満さんの挨拶

核兵器禁止条約が国連加盟の6割超の122カ国の賛成
で採択されました。被爆者の願いでした、、、、、、。


核兵器を持つ国々とその傘下にある国々に訴えます。
核兵器により国を守ろうとする政策を見直して下さい。


日本政府に訴えます。
核兵器のない世界を目指し、リーダーシップを取り、
唯一の被爆国として「核兵器禁止条約」への一日も
早い参加をし、核の傘に依存する政策の見直しを。

1945年8月9日午前11時2分を決して忘れません。
原子爆弾の投下により街は一瞬にして廃墟となり、、
黒焦げの子供を眺め、呆然と立ち尽くす母親、、、
72年経った今も放射線障害が身体を蝕んでいます。

世界のリーダーの皆さん、その目で被爆の地を見て下さい。


世界中の全ての皆様、最も恐ろしい事は無関心に忘れて
いく事です。

被爆者からの平和のバトンを途切れさせないで下さい。




平和への誓い(被爆者代表:深堀好敏さん 88歳)
16歳だった私は学徒動員先で、原爆投下に遭いました。
帰宅命令後、1日山中をさ迷い、翌日市街に戻り、、
一面の焼け野原、、平和公園横の川には折り重なる様に
死体が浮いていました。
倒壊した親類の家の柱に、しがみ付く様に姉は命絶えて
いました。
たった一発の原子爆弾は7万4千人の命を奪い、7万5千
余の人々はその後の人生を病巣に襲われ還らぬ人となり
ました。


核は人類と共存出来ないと確信して居ります。
2011年3月の福島第一原子力発電所の事故により、
核の脅威に怯えました。リスクの大きさにも関わらず、
次々と原発を再稼働しています。地震大国の我が国では
いかなる規制も無力です。
原発の偏重を止め、もっと自然エネルギーへ軸足を戻す
べきです。
平和憲法を国是とする我が国は、アジアを始め世界各国
からの尊敬と信頼を決して失ってはなりません。


この後、安倍総理の式辞が在りましたが、広島と同様に、
何等変わりなく、核の廃絶に努力する、核兵器禁止条約
には参加しない、、馬耳東風、全く意に介していません。
その後の被爆者団体との面談で「貴方は何処の国の総理
ですか、、」にも、馬の耳に念仏の様です、、、、。



城山小学校の5,6年生児童により「子らのみ魂よ」の
合唱がありました。


「子らのみ魂よ」 詞:島内八郎、曲:木野普見雄

めぐりきぬ この月 この日 
思い出は 白雲の かなた
ひらめきの またたく ひまに
声もなく 空しく 散りし
先生よ 子等の み魂よ

子供等の澄んだ歌声、、平和を失くしてはなりませんネ。

今日の1句

宰相の奢るべからず原爆忌      ヤギ爺
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