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2017-07-14 09:01:25 | 日記
父方の祖母の戸籍名は「せい」である。明治19年の生まれで、両親は東京・日本橋で帽子店を営んでいたから、すなわち、純粋の東京娘であり、「せい」という名も、当時としては古めいたものではなかったのではないか。それでも私が物心ついた頃は「清子」と名乗っていて、祖父も「セイコ」と呼んでいた。大正を経て昭和になって、「子」の付く女性名が流行したのだと思う。祖母は書道・茶道・華道に熱心だった。自分で書いた文字を壁に貼ったりしていたから、筆には自信があったのだろう。貼りだした短冊には、もちろん「清子」のサインがあった。

私と同世代の女性の名は「子」が7割以上を占めた。「子」以外では「代」があった。江・枝もあった。カナ文字2つのものは滅多にいなかった。ツル、マツ、カメはいなかった。私の母(大正3年生まれ)は「富美(ふみ)」であり、母の姉は「千鶴(ちづ)」である。「せい」よりは新しい感じがある。オシャレの感じがある。

うちの娘たちが生まれた昭和40年代は「子」が少なくなった。10人に2人か3人といった割合ではなかったか。そして、次に「美」の全盛期がやって来る。これは「子」と違って、上下どちらにでも使える。晴美でも美晴でもいい。江美も美江もある。

最近の女性名はなんでもありになった。スキーのジャンプ競技のエースは、高梨沙羅ちゃんであり、卓球には伊藤美誠(みま)ちゃんがいる。美咲が命名ランクトップだった年もあり、陽菜と書いて「ひな」と読むのもあった。なんでもあり、は音から考え出されたような名が多くなる気がする。

高貴な家では今でも「子」を用いる。皇族方には「リサ」や「ヒナ」はない。私も高貴な家柄ではないので、娘たちの名に「子」はつけなかった。

ハイソサエティーだけでなく、庶民の間でも「子」は永久不滅だと思っている。日本国が続く限り、桃子も幸子も千代子も残り続けると思う。それどころか、もう一度「子」の時代が来るのではないか。そんな気がする。
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