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贅沢

2016-10-27 09:24:21 | 日記
「本当の贅沢って、お金では買えないからねぇ」と70過ぎの老人が言い、「そうです、そうです」と、2、3人の老女が頷いた。私はまだ皆さんより若かったから、黙っていた。「でも金でしか買えない贅沢も素晴らしいのがありますよね」とは言えなかった。戦時中に道路脇の電柱に「ぜいたくは敵だ」という貼り紙があって、それの「敵」の文字の上に「素」の文字を書き込んで歩いたという、作家 芹沢光治良さんのことも言わなかった。或る同人会でのことだった。みなさんの「ぜいたくに関する話」は、花鳥風月の方に向かうだろうと思っていた。

Aは腕時計に凝っていた。私は月に千円を12回払う腕時計だった。それで充分だった。この値段のことでも、かなり昔の話だとわかってもらえると思う。Aの宝物は私の5倍なのか10倍なのか知らなかったが、たしかに、見た目は豪華だった。美しかった。むろん、スイス製だろう。彼は背広とワイシャツの袖口を少し持ち上げて、宝物に視線を送るとき、実に満足したような、安心するような表情になった。ウチの会社の人間ではなかったから、Aのことはよく知らなかったが、大金持ちの息子には見えなかった。背広も上等な仕立てとは見えなかった。つまり、彼にとっての腕時計は自分の贅沢の省庁だったのだと思う。 それだけが~だったのだと思う。こういうことはAに限らない。マイカー命の男も知っている。マイハウス(自分で建てた家)オンリーの奴もいる。

贅沢とは何か、については各人各様の答えがあるはずだ。私はなんともいえない時のことを思い浮かべる。風呂からあがって、食卓に着き、ウィスキーの水割りを用意する。もし、それが夏の盛りならば、窓から涼しい風が吹いて来る。なんともいえない快さである。なんともいえない満足感がある。なんともいえない贅沢である。

これも古い話である。鎌倉芸術館で絵画展を観た。1枚の絵の前で立ち止まった。パリの街角を描いたもので、作者は佐伯祐三である。私はそこで20分ほど茫然としていた。家人たちも同行していて、義妹が私を探しに来て、背を叩くまで立ちつくしていた。あの、なんともいえないときも、ひとつの大きな贅沢だったのだろう。

以前に、今の日本での最高の贅沢は子だくさんだと書いたのを思い出した。これもまた、その通りだが、よほどの収入がないと不可能な贅沢だろう。私は、夏風と水割りあたりまでか。いや、もう秋になった。秋にも冬にも酒はある。水割りもある。熱燗もある。なんともいえないとき、はある。

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