とこのへや

とこの雑貨と、とこのお洒落着。
とこは樺太に住んでいたことがあります。
ときどきとこの嫁日記となります。

トメゴロウのヨメ

2017-06-14 21:37:38 | 日記
こんばんは。


先日の私の祖父のトメゴロウのこと。
トメゴロウは分家(独立)して、米と塩以外何でも扱うお店を始めた。なんといっても、そのお店の切り盛りに欠かせなかった連れ合いの祖母のことも言わねばなりますまい。

祖母カヨは、20歳の時、隣村のトメゴロウの本家へ嫁入りした。

花嫁衣装に身を包み、円タクに乗って、隣村の農家に着いてみれば、周囲の人が「また、おカヨか」と言ってたそうで。

なにそれ、
ショックじゃね?


祖母は淡々と話す。以下は南部弁ね。

昔はおなごの名前さ「お」をつけるが、最後に「こ」をつげるがのどっちがで呼ぶのが普通でらった。おどなだば、おをつけるが普通、友達だば、こをつけねば、呼び捨てで、失礼だのさ。
カヨって名前だば、おカヨだの、友達だばカヨコだの呼ぶのだべ。
まぁだ、おカヨ来た、ってなんだべとおもってらったら、前のヨメが「おか」で、おおかども、おかこどもよびにぐいすけ、「おかよ」と最後によをつけて呼んでらったのだず。
カヨを呼ぶのだば、「おかよ」だすけ、おんなし、おかよとなるもんだっきゃ。

ていうか、
前のヨメって何、バツイチなの?

はぁ、おらほも20歳まで結婚しないでいるのだば、その当時で言えば「いがずごげ」え。

え、行かず後家って。選べないってこと?

あぁ、いまだばそったらにはやぐ結婚するのでねえけど、昔は結婚でば家同士の話で親が決めるのだっきゃ、なぁしてだが、可愛がられでいだすけだか…


祖母の話では、当時は尋常高等小学校を卒業すると、女子は家事手伝いをしながら結婚相手が決まるのを待つんだって。

周囲が遅くとも16歳位で結婚してしまうのを、自分にはそういう話が無くて、と。
お父さんが話を決めてくるのを待つ、というスタンスだったのだろう。

祖母には病弱な妹が居て、通学時などは面倒をみてやらねばならず、いつも泣いているので嫌だったと言っていた。その妹は二十歳にならずに亡くなったのだそうだが、祖母はすっかり記憶が曖昧になっていて、亡くなったのはいつだったのか、祖母が学校を卒業した後の当時の状況はよく分からない。自分だけ、嫁入りの話が無くて、気を揉んだこともあったようだ。父親のツテで国鉄の施設内のプールバーで(たぶん当時は玉突きと言ってたと思う!)バイトしていた時、田舎くさいおばさん2人が来て、外から自分のことを見てあれこれ言っているので、失礼な、と思っていたら、それが品定めだったようで、後日結婚の話を聞いたのだそうだ。田舎くさいおばさん2人は、トメゴロウの兄嫁たちだったわけだ。もうこの辺で祖母が嫁ぎ先の家であまりうまく立ち回れてなかったのではと想像できる。

「学校では習字も算数も良くできて、走るのも速くて、リレーの選手に選ばれた」、というのが、祖母のお決まりの自慢話だった。私はその話、好きだし、足が速いのや、算数得意は私の息子を見ていると、祖母から遺伝したはずと思う。

祖母の父は40代になってから国鉄に入り、農家をやめてサラリーマンになったひとだ。明治の時代にあっても、新進的な考えのひとだったんだな、と思う。

周囲からは貧乏人の子だくさんと言われていたが、祖母の父は、子供たちをよく褒める人だったそうだ。子供にとって、特に女の子こそいずれ母親になるので、学業は大事だと言ってた。うちが貧乏でも、学校はみんな行かせるといって、そんなの、女の子を学校に行かせてなんになるのかと笑われたそうだ。金太郎という名だったそうだが、「金メダル」級の信念だと誇らしく思う。とりわけ、祖母の父は、カヨが可愛かったようだ。カヨばかり可愛がる、と兄弟間では祖母はやっかまれてもいた。
それにしても、私たちの父とは大分違うね、と祖母にいうと、曖昧ながら、むむ、と唸るのだった。

祖母の姉と兄。
姉の名はキヨシ。え?女なのに?というと、本人も最初は嫌だったんじゃないかという。でも祖母の父が、画数が良くないからと、清に志の字を足したのだと説明したのだそうで。
兄はイチジョウ。
なんか小説に出てくる名前みたい!
どんなお兄さんお姉さんだったの?と聞くと、キヨシ姉さんのことは、カイコの世話の時、祖母は匂いも嫌だし、触るのなんてとんでもないと思うのに、彼女は全く平気だったと話した。イチジョウ兄さんについては、背が高くて、歌が大好きで、いつも歌っていた、上手だったと話してくれた。歌詞を書き留めた帳面を持っていて、とてもだいじにしていたので、祖母は兄が不在の時にこっそりそれを書き写したんだって。


母親のことを尋ねると、気の強いところがあったようで、やや怖い話が出てくる。
魚が嫌いで、イキのいい魚をもらっても、わざと腐らせてしまうとか、当時は避妊ということもしなかったのか、また妊娠したとなるとわざとお腹を叩いたり、冷やしたりしたのを覚えていると。

孫たちには、つまり私たちの父や叔父、叔母には「あぱちゃん」と呼ばれて好かれていたと、そう話す時、今思えば祖母の表情はやや距離のある感じだった。

祖母は仕事に生きるタイプだったのだと私は思う。料理は苦手で、ほとんどしなかった。
味噌汁は具に味がしみるように、グツグツ煮るのだと言ってた。学校の家庭科で習ったけど、味噌を入れたら一煮立ちだって!と言うと、忙しくてあまりやらなかったもんと言い訳する。結婚当初は農家の手伝いをしなければならず、大人数の食事の用意は大変だったとこぼした。夫はすぐ出征し、長男である私たちの父が生まれた頃は、不在なので余計に心細かったのだろう。

叔母も叔父も、祖母のことを慕っていると私は感じていた。私たちの父は、大切だとは思っていても、近すぎるのだろう、祖母が大切に思っているお店のことを、ズケズケとけなす。確かに、私が小学3年の秋に引っ越す頃には、お店の客足は繁盛というには遠い状態。祖母はとても頑固なところがあり、激しく高ぶることはないけど、怒ったら一切口をきかなくなってしまう。
祖父トメゴロウもこれには折れるしかなかったのでは。私たちの父が、祖母のことを話す時、怒った時は…と怖れたふうに言うのがなんとも意外だった。

とはいえ、私たちの父と比較すると、甘えさせてくれる母親だったようだ。学校の宿題ができないと、忙しく働く祖母に、「おせろー」とつきまとうのだ。祖母はその話をする時、つきまとわれて困ったと嬉しそうに笑顔を見せた。
それに、お店の手伝いをよくしていたのは叔父のほうなのに、祖母の中ではそれは当たり前で、イヤイヤ注文取りに行ってメモも取らずに帰ってきて、注文を忘れる父のことの方により感謝している気がした。父が自分でそういう失敗話をしているのを、微笑んで聞いているのだ。
自宅で介護できず、老人ホームに入所した後も、父だけに反応して、父が来ると「帰る」と言って大騒ぎになる。父は、夫を連れて帰省した私を車で送ってくれたが、施設の中には入ろうとしなかった。
私を見ると、知ってる誰かだという表情をするけど、言い当てることは出来ない。きっと、いろいろ話したことの記憶はうっすらあるから、かもしれないし、声が叔母にそっくりだということもあるのだろう。
私も社会人となって、実家で暮らしていた頃、朝廊下の掃除をした後は、じっと座っていて、夕方になると祖母はソワソワと落ち着きがなくなり、あれこれ心配し始め、私に言う。そろそろ、帰らなくていいのか、泊まっていくのかと。私のことは、午前中は妹かなにかだと、また夕方は嫁に出した娘の1人だと思っていて、飯の支度は大丈夫かと聞いてくるのだ。

私はたっぷりある時間の中、祖母に楽しんでもらいたくて、昔流行った歌のテープを買ってきて、ラジカセで流してみた。知っている曲があると、生き生きとして、一緒に歌ったり、そういえば、と兄の話をするのだった。早稲田大学の校歌が歌えるとかね。軍歌もわりと反応してたなぁ。

「ばあさんもさ、たまには実家に帰ってみたら」と言うと、そんな、着ていくものもないし、どうやって帰ったらいいのか、方向音痴だし…という。
確かに昔から、方向音痴だった。。お墓に行くぐらいなら道を覚えているけど…といいつつ、曲がり角に来ると、実にあやしい。
実家には、タクシーで行けばいいじゃん!というと他の言い訳を並べる。嫁に行ったものなら、帰ってはいけないものらしい。兄弟とも行き来はない。祖父の実家ともあまりやりとりがなかった。お店で忙しい時には盆暮れもなかったのだろうが、結構、頑固な性格だったのだ。

祖父が50代で他界し、以後祖母はお店を続けながら70代後半ぐらいまで、ほとんど出掛けるということもなく過ごしていた。
外に出るのは、年に一度、一番下の叔父が食事に誘うときくらいだ。家族で出掛けると言っても、遠慮なのか、行かない、という。怒ってたのかもしれないな。

低血圧だったけど、薬もほとんど飲まなかった。たぶん、忘れちゃうから。薬を処方してもらうことも面倒だったみたい。
夏は急に暑くなると朝起きてこられない。脚がゾウのように浮腫で太くなり、枕から頭を上げることが出来ない。
我慢強いといえばそうなのだが、もっと、いろいろ楽しめばよかったのに。
もっと。

低血圧はすっかり私や姉が受け継いだ。
運動しなければ、脚がゾウのようになってしまうだろう!

いろいろなことを教えてくれた祖母。
私は出産予定日が近くて、葬式には参列出来ず。祖母が亡くなってから、10日後に、息子を出産した。
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