何かに注意を払ったときに(地から浮かび上がったときに)それがトピックスとなっているという事がフッサールの受動的構成の理論ではないのか。注意が認知科学と現象学の最大の接点と思われるのにギャラガーはそのテーマに触れていない。「心の理論」批判は痛快に繰り広げているのだが
— 矢幡洋:児童臨床を目指して (@yahatayo) 2017年2月24日 - 01:06
共同注意がトピックス-コメントの原型だとするのはそこにある公共性が必要だからだろう。扇風機を眺め続けていた従兄弟が仮に「×が△している」と認識していたとしてもそれは通常のトピックス-コメントと言えるだろうか?最終的に目的志向行動に結びつかなければ十全な思考と言えるだろうか
— 矢幡洋:児童臨床を目指して (@yahatayo) 2017年2月24日 - 08:04
公共性を持った認識のおかげで我々は思考の省エネしているってもうウェーバーが言ってるよってハーバーマスが書いていてそこではデューイは全然参照されてない。ハーバーマスの目的合理性とコミュニケーション的行為の区別は幼児の原命令的発話と情報共有を目的とする叙述的発話に対応するだろうか?
— 矢幡洋:児童臨床を目指して (@yahatayo) 2017年2月24日 - 08:28
自閉症児がトピックス-コメント構造で外界を認識していたとしてもそれは公共性を持った合理的思考に結びつくような便利な概念階層の引き出しを形成するに至らない。彼らの思考は非機能的でありトートロジーと極私的遊戯に満ちている。では思考の機能性とは何か
— 矢幡洋:児童臨床を目指して (@yahatayo) 2017年2月24日 - 08:33
概念の階層性についてはラネカーが用法基盤論の章でネットワーク論を繰り広げていたのであった。これが「役に立つ言葉の引き出し」モデルになるか?
— 矢幡洋:児童臨床を目指して (@yahatayo) 2017年2月24日 - 08:58
「我々は不完全な文を用いても了解しあえる」と語用論風に言ってみるより「我々は元来コミュニケーションのための言語を目的合理的思考という別の用途にも使っている」と驚く方がリアルな気がする。思考の為の言語はコミュニケーション目的に由来。トピックス-コメントの公共性がそれを可能にする?
— 矢幡洋:児童臨床を目指して (@yahatayo) 2017年2月24日 - 09:04
言葉による思考に公共性が染みついていることが、「共同注意がトピックス-コメント(つまり認知の)の原型」の根拠なのかも知れない。単独の注意がトピックスを浮かび上がらせたとしてもそれは十分な思考やコミュニケーションの道具にはならない
— 矢幡洋:児童臨床を目指して (@yahatayo) 2017年2月24日 - 09:08
フロアタイムDVDの最初のケースで自閉症児が絶え間なく走り回っているのだが、こういう場合、「下にさっとものを敷く」でいいような気がする。簡単な段差を作るだけではなく、人工芝風・砂地風・温熱マット(場所が許せば浅い水槽)などあれば足裏の感触を楽しめるのではないか
— 矢幡洋:児童臨床を目指して (@yahatayo) 2017年2月24日 - 09:53
2017年02月23日のツイート bit.ly/2lgMDuA
— 矢幡洋:児童臨床を目指して (@yahatayo) 2017年2月24日 - 21:00