生き苦しさのエッセンス

私らしく生きられない、心もからだも疲れた、自分に自信がない・・・そのような方に伝える言葉を綴ります

はだかの王様に学ぶ 4

2016-03-26 17:01:18 | 人間
●「はだかの王様」状態に陥りやすい環境とは

ほんとうのことを言える条件づくりが大事だと言いました。

具体的にはどういうことなのでしょうか。

もう一度「はだかの王様」を読んでみると気がつくことがあります。

見えない衣装を「見せられ」て、みんなはどうしていたでしょうか。
王様を気兼ねして、すばらしい、すばらしいと言ってしまいましたね。
そこなのです。

そこにはコミュニケーションがない!

王様に対するみんなは、お互いに話し合うことはありません。
もしよくコミュニケーションをとる集団であれば、ほんとうのことをお互いに言い合っていたことでしょう。

会話がないお互いに無関心な集団。
これがもっとも「はだかの王様状態」が起きやすい集団です。
一人ひとりが孤立している。
一応同じ空間にはいるが、普段からあまりみんなと共同で会話をすることはない。
嫌いな人とは一切口も聴かない。敢えてコミュニケートすることもない。

人が困っていても見て見ぬふりをする集団です。


●本来、労働はコミュニケーションが必要な場である

労働というものは、本来は、人間を含めた自然に働きかけて、自分たちの有用なものやサービスを生産していく場です。
集団でなされる場合には、お互いのコミュニケーションが必要です。
相手が好きであろうと嫌いであろうと、人間の生命活動に必要なものやサービスを生産するわけですから、連絡や報告や相談しあうことが不可欠なのです。

ところが、労働そのものが本来の機能を失って、悪い労働環境の中でただ単に賃金を得るためだけに働いていると、一人ひとりはばらばらになってしまいます。
一見、サバサバしているかもしれませんが、コミュニケーションが介在しなくても成り立っていく労働条件が与えられていると、否応なく孤立無援の関係がそこにできあがってしまいます。

そこに「はだかの王様」が持ち込まれます。
みんな、そうじゃないんけどなあと心のどこかで思いながらも従順に持ち込まれた状態を自ら引き受けてしまいます。

コミュニケーションの能力を本来の意味で取り戻すことが必要です。
相手の人権を尊重し、全体がうまく差配されるように必要なことを進めていき、双方向の会話をできるだけおこなっていきます。
あいての気持ちがどのように動いているのか、作業の中身をどう感じているのか、職場関係はうまくいっているのか、などを話し合える関係、それが「はだかの王様」状態をふせぐのです。

本来の双方向性コミュニケーションの網の目をつくっていきましょう。

少なくともAをBと言わされることが起きても、それに抵抗する人々を保護する動きが出てくるものです。

労働者には、それが可能です。

もちろん現代のイデオロギーはそれをなかなか許してもらえません。
人々はばらばらになるように、いくつかの考え方に支配されています。
でも、「はだかの王様」状態になりにくい条件をつくっていけば、必ず支配者には打撃を与えることができるのです。

その意味で多様性をつくる労働生産性は、コミュニケートを基本とするいっても過言ではありません。




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