10日から13日まで東京に一時帰省。
11日は朝から病院
会社
銀行
買い物(銀座)
会社の予定でした。
病院
会社までは予定通り。たまたま今月で会社を辞める人が3番目に一人でお昼なので一緒にいこうということでお昼を食べて、食後は分かれてそのまま銀行に。「3時まで入れば間に合うから」と少し走ってから銀行に。
ここであの
大地震。近くのガラスの衝立が大きな波打っていて、銀行のお姉さんも引っ込んだままだし、ガラスの衝立の近くに座っていた男性2人は普通に話し込んでいてしばらくしてただ事ではないと気が付いた感じ。
引っ込んだままのお姉さんは出てこないし、このまま裏口から非難した?と思ってしまうほどほったらかし。
う~どうしようなかな?と思っていたところでやっとお姉さんと男の人がなかからでてきました。ただ、入り口はガラス。このままもっと大きな衝撃が来たらガラス割れる?と思ったので少し落ち着いてきたところで、机の上にあった個人情報を持って外に。外に出たらたくさんの人が上を見上げていました。
揺れがおさまったところで、またお姉さんとお話。このあと、歩いて銀座に。
途中でガラスや壁が落ちているビルを通り、途中で大揺れで、信号機も揺れて危ない状態。
ここで揺れがおさまったところで銀座をうろうろ(このあと会社の人が心配して電話をしてくれたようです。さっさと会社に戻ればよかったと後で後悔)。
デパートでは、エレベーターやエスカレーターが止まっているので、ご年配のかたが1階に多くいました。
食事を取ろうとしたご年配の方が上の階のレストランに行くのをあきらめていました。
数か所のデパートにより電車が動かないことを知りましたがご年配の方々はあれからどうされたのでしょうか?
夕方になりこのまままた銀座から神田の会社に。
17時過ぎだったのでヘルメットや、救急袋を持った会社帰りの人。地図をコピーした人や、スマートフォンで地図を確かながら歩いている人、コンビニで道を聞いている人がたくさんいました。
そんな人たちを横目で、会社に向かったら、会社ででは一時避難をしたようです。
PCも電話も普通に使えました。
TV
を見たらすごいことになっていてびっくり
このあと翌日出勤の人はホテルを取ってホテルに。
そうでない人で帰れる人は帰宅、また帰れない人はこのまま会社に宿泊(第2の後悔)。
私はさっさとお土産を渡して帰ろうと思ったのに、帰りそびれこのまま宿泊。
東海道新幹線が動いているとの情報で、横浜方面の人は帰り、途中まで一緒に帰れる人や、旦那さんが途中まで迎えに来てくれる人は帰っていました。自宅まで16キロなので帰れるたのですが、帰りそびれました。
朝、PCを見ていた会社の人に、電車が動き出したことを教えてもらいTVを見て、情報を確認して私も帰宅。
都営で新宿にでて西武新宿に乗り換え。都営は混んでいましたが西武はガラガラ。
無事に帰宅して、シャワーを浴びようと思ったら、ガスの安全装置がきいてガスが使えず水シャワー
。
前日に電話で確認した家族も無事。
13日には電車
も飛行機
も普通に動いていたので出張先へ戻りました。
ただ今回は、家の中の高いところに置いてあるものを下におろしてきたこと、窓際にある固いものは遠くに。
今回の地震で思ったこと。
携帯の充電器
水、食料
公衆電話の場所
帰宅までの道
ラジオ、電池
これらが最低限必要なんだなと思った。
まだ行方不明の人がたくさんいます、早く安否が確認とれますように。
助かった人が病気もなく早く普通の生活に戻れますように。
早く地震、余震がおさまりますように。