のり巻き のりのり

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古木の命

2017年12月15日 | 愛しき植物
落ちた枯れ葉をかき集めたら、庭に小山ができるほどでした。

ある方がブログの中で庭じまいのことを書いてみえました。
広くて立派なお庭です。

しかし、これから手入れができなくなるのではとの懸念から、庭じまいが頭をよぎるという内容でした。
我が家も同様です。

立派な庭ではなく、ただ昔からの木がそのままあるだけですが、古すぎてお金をかけて手入れするほどでもないと思い、
夫が自己流で剪定をしてきました。

近所の迷惑にならない程度に手入れをしてきたのですが、最近急に1本の松が枯れ始めました。
特に何かがあったわけではないのにです。



40数年前嫁いだときは、屋敷内に何本もの高い松が威容を誇るかのようにそびえ立っていました。
けれども、近所に次々と家が建ち、松が電線にひっかかるほどだったので義父母が順次切り倒していきました。

我が家の歴史から考えると、150年以上前に植栽されたのではないかと思える木がまだあるのです。
手入れさえきちんとしていればよいのでしょうが、私たちの代で枯死するかと思うとご先祖様に申し訳ない気がします。

でも、この先家がどうなるのかと考えると、もう無理でしょう。
寿命だと思って静かに看取ることにします。

ざっくりと大きな洞(うろ)ができている木があります。
にもかかわらず葉が落ちた枝先には、新芽が息吹いています。

これは毎年大きな花を咲かせ、芳香を放ってくれます。



また、もう1本の松は、曲がりくねった幹にえぐられた洞があり、その中に落ちた種から生長した植物とともに息づいています。
大蛇の鱗のような木肌は、まさに150歳の皮膚です。

100歳の媼(おうな)が玄孫(やしゃご)の赤ん坊を抱いているように思えます。
横から見ると、自然の生け花のように見えます。





どちらもまだしばらくは大丈夫でしょう。
厳しい寒さの冬を何年過ごしてきたのでしょうか。

古木の命はいつまであるのか、家じまい、庭じまいはいつになるのか、某ブログ主さんが思いめぐらしていたように、私も同じことを考えていました。

枯れた花をそのままうっちゃっておいた庭の片隅(人目につかないところなので)で、ふと手にしたのは群生していた青じその枯れ木。



なんと、ぱきぱきに枯れた先についている種から、生きているときと全く同じ、いえそれ以上の強い香りがするではありませんか!
雑草ですら死してなお香りを残す、いわんや歴史ある香木なら、どれほどかぐわしい香りがするのでしょう。

それぞれに役目を果たし、命を全うしている植物に人間の人生を重ねて見てしまいます。