飾り巻き寿司のりのり

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うなぎ

2017年07月25日 | 随想
土用の丑、うなぎを食べました。日本人だなあと思います。

うなぎを食べながら、つらつら思い出しています。



実家は駅に近く、道を隔ててすぐ目の前がデパートという市の中心部にあった。

隣接する叔父の家はちょっとしたビルで、住居兼貸店舗になっていた。

その1階の店舗がうなぎ屋さんだった。

屋号は「なまずや」。 小学校高学年ころからあったような気がする。

きちきちに隣り合った我が家の台所には、否応なくうなぎの焼ける煙と、鼻をひくひくさせるいい匂いが毎日のように漂ってくる。

「匂いで飯が3杯は食える」 落語の世界がそのままそこにあった。

すぐ隣とはいえ、さすがにそうひんぱんに注文できるわけではない。

父や母はお客さんが来たり、何か特別な時や、子どもたちががんばった時など、「隣へ行ってきて」と指を立てる。

少女はつっかけをはいて隣へ行き、「うな丼2人前」「うな丼3人前」などと声をはりあげる。

お客さんの分だけの時はちょっとがっかりしたものだ。

少女はやがて娘となり、娘のもとにひとりの青年がしばしば訪ねるようになった。

青年は娘の家を訪れる際、なにかしら手みやげを持って来ては玄関先に置き、ちょっとの時間話しこむのが常だった。

春にはバラの花を、夏にはアイスクリームを、秋にはレコードや音楽会のチケットを、冬にはチョコレートを。

まるで「ごんぎつね」のようだね、何かいいことでもしたの? と母は笑っていた。

ある夏の日、青年は「アルバイト先でもらったから」と大きなすいかを持ってやってきた。

しばらく娘と話してから帰ろうとした時、いつもは出てこない父がいきなり顔を出し、

「おう、帰るのか。よかったらご飯食べていけよ。」

そう言って娘に向かい指を3本立て、あごをしゃくった。(その時母は留守だったと思う)

熱々のうなぎに舌つづみをうった青年は、その後ゴンよりもさらに足繁く我が家を訪れるようになった。

半世紀が過ぎた今、父母はなく、実家はなく、「なまずや」もない。

しかし、あのときの青年ゴンは、うなぎを食べさせてもらったお礼だろうか。

今は自分でせっせとすいかを作り、かつての娘に食べさせている。

ほんとうに食べさせたかったのは娘の父親かもしれないが、父親に代わり、娘はすいかもうなぎも喜んで食べている。



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