日本に実証的な物の考え方を根付かせたのは陽明学が発展したためであると言われている。ある時、吉田松陰、当時はまだ若い青年で、吉田寅次郎と呼ばれていたころ、彼は陽明学の師、山田方谷を訪ねます。時は浦賀に黒船が来航していたときで、吉田寅次郎は口に泡を立てて、門弟たちと「黒船を追い払え、攘夷だ。」と叫んでいたのです。そこへ方谷が現れます。そして、静かに、寅次郎に質問するのです。「ところで、その船の底の深さはどれくらいか知っているのか?日本国内のどこの港が、その深さの船を停泊させることができると思うのか?」寅次郎たちは声を無くします。見かけだけに血が昇って、恐ろしいと思うのは誤りだ。彼らにしたって、日本に上陸するには、日本人と同じ、小船でしか上陸できないのだと方谷は付け加えます。以来、吉田寅次郎は西洋の近代文明と真正面から向き合うようになります。吉田松陰は、その後、逆に、下田から、密かに、アメリカに渡ろうと試みることになるのです。その松蔭の教えは、彼から、高杉晋作など、明治維新の志士たちに受け継がれていくのです。(2015.12.4)