近江の君ちゃんが可愛すぎたために書いた授業レポート晒し

2012-07-24 21:21:48 | 学校

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/0c/09dda40bb70cf33f2dffb2a38ed61344.jpg

遊女夕顔を受け継いだ近江の君と玉鬘

 

平安文学の代表的作品である源氏物語。その登場人物である近江の君。

彼女は笑われ者として「雅」な京の都につれて来られる、それとは対象的な「鄙びた」田舎者であった。

そんな、貴族であって貴族でない地方性を持ち合わせる彼女について、少し深く考察していきたいと思う。

そこから、兄弟でもある玉鬘の存在、親である夕顔、これら三人を「遊女」を軸にして巡っていこうと思う。

 

まず近江の君の最初の登場は、双六をしている場面である。

双六は当時平安貴族の間では上品な遊びではなく、庶民の好む物だった。

「小賽、小賽」と近江の君、「御返しや、御返しや」と相手をしている五節の君、彼女らを見た内大臣は「いとあさへたる様どもしたり」と自分の娘にガッカリ気味。

さらに彼女は早口であったり、父のために便所の掃除までやろうとしたり、お姫様らしからぬ振る舞い。

また彼女は父との会話で、父の教養あるユーモアに気づくことが出来ない。名の通り地方で育った近江の君は平安貴族の常識を知らなかった。

ちゃんとした歌も読めず、初めて出てくる彼女の書く歌は

     草若み常陸の浦のいかが崎いかであひ見む田子の浦浪

と、一見流暢にも見えるがよく見ると歌枕が支離滅裂で、無教養丸出しの物であった。

そんな彼女にどうやら遊女性が見えるような気がするのだ。まず古代の遊女そのものに付いて調べてみようと思う。

     麓にやどりたるに、月もなく暗き夜の、闇にまどふやうなるに、遊女三人、いづくよりともなく出できたり。五十ばかりなる一人、二十ばかりなる、十四五なるとあり。

     庵の前にからかさをささせて、すゑたり。をのこども、火をともして見れば、昔こはたといひけむが孫といふ。髪いと長く、額いとよくかかりて、色白くきたなげなくて・・

     『更級日記』「足柄山」

     美濃の国になる境に墨俣といふわたりして、野上といふところにつきぬ。そこに遊女どもいできて、夜ひとよ歌うたふにも・・

     『更級日記』「宮路の山」

     舟の楫の音きこゆ。問ふなれば、遊女のきたるなりけり。

     人々興じて、舟にさしつけさせたり。遠き火の光に、単衣の袖ながやかに、扇さしかくして、歌うたひたる、いとあはれに見ゆ。

     『更級日記』「和泉の国へ」

更級日記に出てくる遊女の姿である。最初の足柄山の部分では、暗い山の中から出てきており、次の二つはどちらも水辺に関連している。

この記述を見ると、遊女とはただの性接待をする娼婦ではない事は明らかであり、夜の自然の中からひっそりと出てくる彼女たち、そこにはどこか神聖なカミの要素をも感じさせる。

『遊女の分化史』で、佐伯順子氏は

     遊女―彼女たちこそは、今や俗なるものの領域へとおとしめられてしまったかにみえる「性」を「聖なるもの」として生き、神々と共に遊んだ女たちであった。(4頁)

と、また

     性と死―それは等しく、人間にとって何かしら現世の次元を超えるもの、聖なる存在、神々を意識する体験であった。(25頁)

と言う。これは更級日記の遊女の記述とも符合するように見え、するとそこには遊女の神性、つまり巫女の要素も見えてくる。

となると、遊女と巫女はかつては同一のものであったと柳田国男の言う事も分かる。遊女とは性と聖を併せ持った存在だったのだ。 

では近江の君の場合はどうか。

彼女の書いた歌は支離滅裂であったが、よく見ると「浦」や「崎」「浪」と言った水辺に関する語が目に付く。

これは先ほどの更級日記の記述とも符合し、また歌謡『梁塵秘抄』には

     遊女の好むもの 雑芸鼓子端舟 簦簪艫取女・・
とある。舟の字があるのを見ると、どうも遊女と水辺、そして彼女の歌から見える近江の君、遊女としての「性」の部分はここから感じられる。

では、遊女が性的であるならば、近江の君にそのもう一方の「聖」は見えるだろうか。

それは彼女の趣味である双六に見ることが出来るかもしれない。

サイコロというものは、人間にはどうしても目を操ることが出来ないもので、それに対して彼女は「しょうさい、しょうさい」となにやら呪文のように唱えているのである。

そういった、博打や賭け事に通じる双六は、呪的な事に関わることであるので、そこから、何か彼女の不思議な雰囲気や力が感じられるのではないだろうか。

また、彼女は『源氏物語』「常夏」で

     「何か、そは。事々しく思ひたまへてまじらひはべらばこそ、所狭からめ、御大壺取りにも、仕うまつりなむ」

と言い、便所掃除役になろうとする。

この便器や排泄物にも何かそういった呪的な不思議な力を古代の人は感じていたに違いない。

排泄物は肥料ともなりえるし、また彼女の言う「大壺」自体が、現代「おまる」といい、漢字で書けば「御虎子」である。

便器を虎の子と書くということは、ここにも彼女の、何かしらの力が宿っていると見ても不思議ではないだろう。

 

そんな性と聖を併せ持った近江の君、果たして彼女は遊女と言い切ることは出来るのだろうか。

僕は出来ないと思う。遊女とは彼女のように笑われ、馬鹿にされるような存在ではないからだ。

それは上記の更級日記の遊女についての記述で明確だろう。

では、何故彼女は笑われ者として、をこ者として扱われるようになってしまったのか。

決定的な部分はおそらく「歌が出来ない」つまり「平安貴族的な文化を身につけられていない」からだ。

生まれながらの早口は本文中「常夏」で完全に否定されている。

     あはつけき声ざまにのたまひ出づる言葉こはごはしく、言葉たみて、我がままに誇りならひたる乳母の懐にああらひたる様に、もてなしいとあやしきに、やつるるなりけり。

夕霧との出会いのときも、女房たちを押し分けて入っていくのはモラルに反しているので、あなうたて、といわれてしまう。

僕はこの、彼女の貴族マナーを持ち合わせていない状態であり、かつ、双六や便器のように否定されていくものが、逆に持ち合わせる聖の要素をも彼女は持っているため、笑われ者にされるのだと思う、どういうことか。

いわば、平安貴族の文化とは安定したものであり、文化とは正しくそういうものである。
都のように「整った」場所が中心となり、歌の三十一字を雅にに使えなかったりすると近江の君のように「文化的ではない」とみなされるのである。

そんな文化人から、地方を見る目は、さげすむというよりもむしろ恐怖や不安のほうが大きいだろう。

自分たちの安定した世界観は、一度地方に目を向ければ崩壊する。

自然が生い茂り、物の怪を感じ、何か人間には到底敵いようもないような自然界に圧倒される錯覚を覚えるのだ。

そんな地方の不安定の世界から、都の安定の世界にポツンとやってきた近江の君。

僕は、彼女が笑われるのは恐怖からやってくる笑い、つまり怖いものを「笑い飛ばそう」という考え方だろうと思う。

整った都の中にやってきた「異質」、双六や便器の、否定されているのに逆に聖性をも併せ持つという矛盾した「不安定さ」そういったものを平安貴族たちは文化の力で笑い飛ばし、排除しようとしているのだ。

それを裏付けるシーンがある。玉鬘が尚侍になったと聞きつけた近江の君が自分も推薦してほしいと女房に頼み、それを聞いた内大臣が近江の君と話して馬鹿にするところである。

     内大臣「…さも思しのたまはましかば、まづ人のさきに奏してまし。太政大臣の御娘やむごとなくとも、ここに切に申さむことは、聞こしめさsぬやうあらざらまし。

     今にても、申文をとりつくろて、びびしう書き出されよ…」

尚侍になるなら「申文」を書けと言っているのである。これは見逃せない。

近江の君のような不安定な存在が天皇の下に仕えようとしているのである。それは貴族側としては何が何でもやめて欲しいと思うだろう。

安定の文化が不安定な地方性に壊されることが怖いからだ。だから内大臣は「申文」つまり漢文で書かれる上申書という文化の塊のようなもので彼女をねじ伏せた。

それを、そこに居た女房たちは笑いものにしてこう思う。

     死ぬべくおぼゆ。もの笑ひに堪へぬは、すべり出ててなむ慰めける。女御も御面赤みて、わりなう見苦しと思したり。

近江の君は文化の力で排除されてゆくのだ。

では、遊女性を持ち合わせているはずの近江の君と、本物の遊女の違いは何だろうか、と聞かれれば、もうここまで書いた通りであるが「文化的な技能が身についているかどうか」の違いであろう。

なので、遊女とは「性的であり、聖的であり、文化的である」者であると思う。

性は言うまでもない、聖は更級日記の記述や巫女性から感じられる、最後の文化的かどうかというのが遊女と近江の君の圧倒的な違いであった。

『万葉集』巻十八、天平二十年(七四八)三月二十五日

     大伴宿弥家持、布勢水海に行く道中にして、馬の上に号める二首

に続いて

     水海に至りて遊覧せし時、各懐を述べて作れる歌六首

その二番目に

     垂姫の浦をこぎつつ今日の日は楽しく遊べ言継にせむ 右の一首は遊行女婦土師

とある。

『遊女の歴史』(六頁)

     『万葉集』にはこのほかにも、遊行女婦浦生娘子の歌が残されているが、天下の歌八大大伴家持を向こうに回して、堂々と歌を詠んでいるのだから、

     遊行婦女というのは、夕べともなれば男の袖を引き、枕をかわすただの一夜妻とはわけがちがう。一芸どころか諸芸に秀でた教養豊かな女性ということができる。

と言っているのはまさに、遊女の文化的技能がいかに高かったかということである。

近江の君にはこれが無かった。つまり遊女というには不完全なのである。

完全に遊女とは言えないが、性や聖の面では遊女性がうかがえるだろう。

それは本文中でも実は示唆されていた。『源氏物語』「真木柱」の近江の君の記述に

     まことや、かの内の大殿の御娘の、尚侍望みし君も、さるものの癖なれば、色めかしう、さまよふ心さへ添ひて、もてわづらひたまふ。

ここで出てくる「さるもの」『源氏物語の鑑賞と基礎知識37真木柱』での現代語訳は「ああいう気性の人特有の癖で」色めくとあるのだ。

ああいう気性という語によって、ここではもう彼女の遊女性を読者に暗に伝えているのではないだろうか。僕はそう思う。

 

近江の君に文化的な技能は結局身に付かなかった。

ところで、彼女とよく対比されて書かれる玉鬘、僕は彼女こそ、その文化的技能を、鄙びた生まれから見につけていった者であり、近江の君を考えるのに重要な人物であるように思える。

玉鬘は「篝火」で近江の君の事を「対の姫君」と、近江の君は「行幸」で「かれも劣り腹」と、二人とも各々を自分のペアの存在と認識している。

この対比は面白い。文化的であり教養を身につけることの出来た玉鬘、文化的ではないが聖なる力を持った近江の君。

そう考えると思いつく事がある、この二人が合わされば近江の君のなりきれなかった「遊女」になれるのではないか、ということである。

合わさるとはどういうことかというと、二人の同一の親の存在、つまり夕顔である。

合わせるというよりむしろ、「夕顔という文化的教養があり、聖性をも兼ね備えた遊女的人物から、文化的な玉鬘、聖的な近江の君が誕生した」と考えるほうが自然だろう。

夕顔の遊女性は既に色んなところで議論されている。

有名なところでは、彼女は光源氏に、女性の側から先に歌を出している、という事である。

当時は男性の側から先に歌を詠みかけるのが普通だった、ここに彼女の男性に対する積極的な姿勢が見られるだろう。

また、その渡し方も独特で、

     白き扇のいたうこがしたるを『源氏物語』「夕顔」[1]段

とあり、香をよく薫きしめてある白い扇に歌を書いたのだ。

香は現代でも香水等の甘ったるいものをお洒落として使ったり、扇に関しては能『班女』に出てくる遊女である花子は、扇をひたすら愛好するのである。

さらに、夕顔の最期の場面、彼女は生霊に取り憑かれて死んでしまうという結末である。

僕はこの場面に、彼女が「シャーマン」としての、また神を自身に乗り移らせる「巫女」の要素が見られると思う。

そうなると、もう彼女は上の条件から完全な遊女としての影が見えるのである。

男性に積極的な性の部分、巫女としての聖の部分、そして趣のある歌を詠むことの出来る文化的教養。

僕はそんな彼女から、性と聖の性質と文化的な性質がそれぞれ、娘である近江の君と玉鬘に受け継がれて行ったのだ、と読み取ることが出来るのではないだろうか、と思う。

 

最後に、近江の君の名前の由来についてだが、近江という場所からやってきた田舎者、という見方が一般的だが、僕はさらにそこに、彼女が遊女性を持ち合わせる者としての言葉遊びが隠れているように思える。

おふみ、つまり逢ふ身。「逢ふ」には古来、男女が契るの意味もあった。

彼女は結局、遊女の性としての性質と共に、さらに聖の部分を持ち合わせていた不安定な存在だったため、平安貴族から笑われ、排除されていったのだろう。

 

~参考文献~

源氏物語の鑑賞と基礎知識 常夏,篝火,野分

源氏物語の鑑賞と基礎知識 行幸,藤袴

源氏物語の鑑賞と基礎知識 真木柱

源氏物語の鑑賞と基礎知識 若菜下(前半)

人物で読む『源氏物語』第八巻―夕顔 企画監修 西沢正史

源氏物語両義の糸―人物・表現をめぐって― 原岡文子

遊女の分化史 ハレの女たち 佐伯順子

遊女の歴史 滝川政次郎

遊女の生活 中野栄三

 

ぶっちゃけ言うと、○○が可愛い、こういう言葉遣いが可愛いとか言って枕草子な随筆よろしくツラツラ書きたかったのですがそれじゃ単位くれないと思ったのでこんな形に。。

とりあえず調べた限りでは文献として出てこなかった近江の君の遊女性を彼女の親と兄弟合わせて考えて見ました。

これから来る(妄想)古典文学萌求運動者の対象となるであろう近江の君ちゃんを今のうちにここに書いておくことで後のアクセスアップを図ります!



最新の画像もっと見る

post a comment