MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



奥さんの実家が引っ越す事になった。

奥さんが中学生くらいから住んでいたのかな。15歳からだとすれば20年以上そこが実家であった訳だ。それまでは近隣の別のマンションに住んでいたらしいが、受験する高校の学区とかの兼ね合いがあったのか、江ノ電の鵠沼駅か湘南海岸駅からすぐ近くの閑静な住宅街にある家に移り住んだようである。江ノ電が真横を走っているので、終電を超えるまでは電車の音が一定時間間隔で響く。その為、日中は必ず江ノ電を、意識せずとも日常生活の中に感じる家である。いつしか、時計代わりになる程江ノ電が生活の中に溶け込んでいたのではないかと思われる程、線路から近い。初めて奥さんの実家に泊まった時は、10分に1本くらいの間隔で、電車が上下交互に過ぎ去って行く音に違和感を感じたが、いつぞやからそう感じなくなったので、恐らく、長いこと住んでいた奥さんの家族はきっと鳥のさえずりレベル程度の生活音になっていた事であろう。

そんな江の島に近い場所にあった実家だが、奥さんを含めて3人いる兄弟は皆無事に結婚をし、それぞれ配偶者と共にそれぞれの不動産を購入して暮らしている。

現代の生活においては、以前の様に、京女をもらい、丸の内へ、東海道線で、鎌倉や湘南から通う、、、なんて事はステータスとしては廃れてしまったのであろう。今どきそんな話すら分からない人が殆どになっているはずだ。そもそも人口増加に伴い、満員電車を如何にして避けるか、然し乍ら可処分所得と相談して如何に都心近くに家を買うか若しくは借りるか、と言う事が最大の懸念の一つになっている。そんな状況からすれば、正直江ノ電からJRに乗換えて通い続ける選択肢は子供3人には無かったのだと思う。実際、仮にその家から奥さんの現在のオフィスに通うとなると理論上で94分。然し乍ら、朝の東海道線等は恐らく遅延しまくりだろう。立ちっ放しな上に毎日遅れる事を気にして早目、早目に家を出て、予定より少し早く着くと逆に嬉しくなるような話は本末転倒である。。その暮らしを真に希望する人は少ないであろう。

故、奥さんを含めて3人には、善し悪しではなく、現実問題として実家から通う選択肢が無かった筈だ。

実際、うちの奥さんも長らくジョブ先が地方だったところから開放されて都内のクライアントになった時は思いっきり都心部に住んでいた。典型的な郊外型の実家は、実はおいらも同じで、藤沢よりかは遥かに近く、電車に乗っている時間は新宿から電車で20分ちょっとではあるが、品川オフィス勤務時代はドアドアで軽く1時間以上。。終電間際とかに中央線あるあるで、電車が止まる事がしばしば。。何故この時間帯に命を捨てるのか、全く分からない、やるせない思いを実は頻繁に経験せねばならなかった。そんな事がたまにしかなくとも、とても毎日通うのは苦痛であった。ましてや、終電を逃した日にはかなり高く付く。。。ICUのサークルの同期で、お互いの実家がICUからすぐそばの男がいたが、中央線が人身事故で止まった時、電話したら二人共偶然にも四谷駅に居て、2人してタクシーで帰った事がある。近くに住んでればなぁ、と2人して思った覚えがある。

MBA留学の為の費用を貯めると言う目的が無ければとっくに一人暮らししていたと思う。

おいらも奥さんも、家族とはいつでも会える距離なので、子供は社会人になると家を出ていくのもある必然だ。Londonから完全帰国した時には最早実家に住む理由は欠片も無かった。喩え、長男だとしても、ね。これは田舎から都会へ、と言うありがちな構造のみならず、一都三県の近隣でもそうだと思う。仕事帰りに1時間程度と言われてもやっぱり遠くて、満員電車に酔っ払いと共に揺られて毎晩辛い思いを我慢しながらする程、現代人は強くないのである。

そんなこんなで、子供が独立すれば、必然的に残るは親世代となる。

実際、奥さんの実家も、とても広い家に義理の父母が二人だけとなっていた。うちの奥さんは結婚してから10年経っているが、2人の妹と弟も、社会人になってからの赴任先が遠くて実家には居なかったしね。そう言うこともあり、3人共早々に家を出てしまったと思われる。現実問題として、家は広ければ良いかと言えばそうでもない。階段を上がり下がりして掃除したり、洗濯物を干したりと高低差は年齢を重ねれば恐らく負担になるであろう。家は使わないと痛むしね。

どう言う意図なのかは、聞いてはいないが、結局その家を売り(買い手が付いた)、新たに比較的近場のマンションに移住する事になったとのこと。

買い換えて住むマンションはまたまた藤沢なのだが、お義父さんの趣味である釣りの為にも江ノ島が近くになければならなかった訳である。老いても尚、趣味があらば元気でいられるし、実家に行く理由の一つにもなる。釣果のキスの刺身や天ぷらは何気に楽しみであるので。

釣果の話や今の家の広さはともかく、3人の子供たちの、実は未だに実家に置いてある荷物と言うのはこう言う機会に処分されるか、今の家に持っていけ、となるのはある意味必定である。然して、うちの奥さんも今更ながらと言われようが、我が家に何処に置くのかと言われようが、そんな事は関係なく自分の嘗ての住処から自分に関係する物を引取り行くことなる。ここで、ノスタルジーを微塵も感じないような、勝手に処分をしておいてとは決してならない事は10年共に暮らしているので、よく知っている。何なら先日も下見半分で実家に帰っており、既に目星は付けてあった。

日曜はそれをいよいよ取りに行く日であった。

思えば、『結婚させてください』、いや、『この人と結婚します』等とちょっとフレーズを変えてしまったが、2005年に婚前の挨拶に伺ったのはこの家であった。玄関からの間取りを書いてもらい、事前にお義父さん、お義母さんには何処に座ってもらい、こう言う切り口で話し始めるから合いの手を、なんて言っていたら、なんと軒先の芝生にお義父さんがいた、、、ハプニングがいきなりあったが、最初にお義父さんに挨拶をしたのは紛うことなきこの家であった。自分はそこまで奥さんとともに帰った訳ではないのだが、そんな気恥ずかしさがいつになっても実は残っていたのは内緒である。奥さんの実家に挙って帰りたがる男はそんなに居ない。マスオさんはある意味偉いと思うもの。。それでも尚、大切に思う気持ちに変わりはないのである。今回も奥さんの思い出たっぷりの物を運んだが、いくつかは奥さんに関係ないものであった。それがチャリ。

お義父さんが長野で単身赴任していた当時乗っていたチャリは大切に乗ります。

引越しは、手伝う気満々のあなた達の娘と共に参りますので頭数にしておいてください。8月の暑い時期に引越しは大変でしょうが、やる時はやりますので。

 

 



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