よっちゃんは、おそらく僕より2歳年上の友達だった。
「ゆーちゃん、あそぼ!」と、いがぐり坊主頭で色黒のよっちゃんは、よく僕の家の前から僕を呼んだ。 よっちゃんは、僕の小学校入学を最も喜んだ人達のなかの一人であった。というのは僕より2年前から小学校に通う彼にとっては、僕の入学によって彼の退屈な学校生活に一つの楽しみができたのだろう。
彼は授業中にもかかわらず、自分の教室を抜け出しては、
「ゆーちゃん、なにしてんのん、あそぼ!」と、廊下の窓から授業中の僕の教室にそのいがぐり頭をのぞかせた。 僕の担任は、その年初めて教職にいた優しい女先生だった。
「よっちゃん、自分の教室からでてきたらあかんやないの」と言いながらも、そんな彼のために僕の席のすぐ横に机と椅子を用意し、一日中彼をそこに座らせて授業を続けた。
本来彼のいるべき場所は、当時特殊学級と呼ばれる障害をもった子供たちを集めたクラスであった。しかし、厳密に言えば障害をもつ子供もいたが、その何人かは複雑な家庭環境に育ったゆえに何がしらのハンディーを背負った子供たちであった。彼はそのような環境の一人で、他の一般の子供達にとっては、アウトロー的な存在の一人でもあった。
彼は僕と遊ばない時は、いつも一人で遊んでいたようだ。彼は、高度経済成長初期の当時まだ完成したばかりの名神高速道路の高架下に彼の隠れ家をもっていた。そこで彼が一人でする遊びといえば、拾った煙草を吸うなど、あまり子供らしい遊びではなかったが、人を傷つけるような遊びでもなかった。 当時まだ僕も小学校の1-2年生であったが、何度か彼に誘われるままに煙草を吸ったことがあった。彼にとっての煙草は、同じような環境にいる多くの子供達のように、煙草を吸う今の自分に、その環境から自立し抜け出した自分の姿を、重ねる手段であったのであろう。見よう見まねで煙草を吸った僕に、彼はとても嬉しそうにしていたことを思いだす。
僕は、やがて成長するにしたがい、よっちゃんと二人で遊ぶより、他の多くの子供たちと野球などのゲームをして遊ぶことを好むようになった。時々よっちゃんはそんな僕に付き合い、他の子供たちと共に遊んだが、彼は野球などのゲームがあまり上手くなかった。次第に僕は、そんな不器用な彼に苛だちを感じるようになっていった。それでも彼は、そのいびつで人懐っこい笑顔を僕に向けることを忘れなかった。
やがて僕達も時とともに成長した。そして、よっちゃんは小学校卒業と同時にに寄宿生活の施設に入れられてしまった。 しかし、彼は何度かその施設を逃げ出しては街に戻ってきた。僕は一度だけ覚えている。その日が僕がよっちゃんに逢った最後の日だ。
施設から逃げ出した彼が最初に訪れた場所は、僕の家であった。彼の家は僕家のすぐ前であったにもかかわらず、家によらず直接僕の家に来て、
「ゆーちゃん、あそぼ」といって以前とか変わらぬ声で僕を呼ぶのだった。
「よっちゃん、どうやって帰ってきたんやあ?」という僕の質問に、彼は
「線路ぞいに歩いて 帰ってきてん。」
「家に帰ったんかあ…あかんやないか…おこられるでえ…あほちゃうかあ…どこにおるんや今。」 僕はそんな彼にいらいらして聞いた。
どうやら近くの神社の軒下で寝泊まりをしていたらしいことや、施設から線路沿いに何キロも歩いて帰ってきたことは、のちに彼が施設に引き戻されたことを、大人たちが話している時に聞いた。その日を最後に僕はよっちゃんに逢っていない。
色々な友達がいたが、彼の存在は僕に何か大きなものを残していった。当時の彼は、僕の好きな友達ではあったが、少年時代の成長過程にあって、次第に色々な友人との付き合いを覚えてゆく僕にとって、なにかうざったく重荷な存在になっていった。しかしそれにもかかわらず彼はひたすら僕を慕い続けてくれた。
ずっと後になって、僕が高校生になったとき、よっちゃんの家庭の複雑さを知ることができた。彼の母親はよっちゃんが生まれるずっと前、娼妓であったらしいことも。
長い時の流れを経た今になっても、彼の事を時折思い出す。よっちゃんがなぜ僕のことをあんなに慕ってくれたのかは僕にはわからない。ただ、彼はどういう態度を示す僕であっても、すべての側面において受けとめてくれた。
今になって想うことは、彼が私に教えてくれたこと、与えてくれたことの多さである。それは、「ゆーちゃん、あそぼ」という、彼の人懐っこい声といがぐり頭の笑顔の記憶とともに、鮮やかな記憶として残っている。
「最高の贈り物は、あなたの一部を分け与え ること」
ラルフ・ウォルド・エマーソン
by yan...xxxyanxxx@mail.goo.ne.jp
「ゆーちゃん、あそぼ!」と、いがぐり坊主頭で色黒のよっちゃんは、よく僕の家の前から僕を呼んだ。 よっちゃんは、僕の小学校入学を最も喜んだ人達のなかの一人であった。というのは僕より2年前から小学校に通う彼にとっては、僕の入学によって彼の退屈な学校生活に一つの楽しみができたのだろう。
彼は授業中にもかかわらず、自分の教室を抜け出しては、
「ゆーちゃん、なにしてんのん、あそぼ!」と、廊下の窓から授業中の僕の教室にそのいがぐり頭をのぞかせた。 僕の担任は、その年初めて教職にいた優しい女先生だった。
「よっちゃん、自分の教室からでてきたらあかんやないの」と言いながらも、そんな彼のために僕の席のすぐ横に机と椅子を用意し、一日中彼をそこに座らせて授業を続けた。
本来彼のいるべき場所は、当時特殊学級と呼ばれる障害をもった子供たちを集めたクラスであった。しかし、厳密に言えば障害をもつ子供もいたが、その何人かは複雑な家庭環境に育ったゆえに何がしらのハンディーを背負った子供たちであった。彼はそのような環境の一人で、他の一般の子供達にとっては、アウトロー的な存在の一人でもあった。
彼は僕と遊ばない時は、いつも一人で遊んでいたようだ。彼は、高度経済成長初期の当時まだ完成したばかりの名神高速道路の高架下に彼の隠れ家をもっていた。そこで彼が一人でする遊びといえば、拾った煙草を吸うなど、あまり子供らしい遊びではなかったが、人を傷つけるような遊びでもなかった。 当時まだ僕も小学校の1-2年生であったが、何度か彼に誘われるままに煙草を吸ったことがあった。彼にとっての煙草は、同じような環境にいる多くの子供達のように、煙草を吸う今の自分に、その環境から自立し抜け出した自分の姿を、重ねる手段であったのであろう。見よう見まねで煙草を吸った僕に、彼はとても嬉しそうにしていたことを思いだす。
僕は、やがて成長するにしたがい、よっちゃんと二人で遊ぶより、他の多くの子供たちと野球などのゲームをして遊ぶことを好むようになった。時々よっちゃんはそんな僕に付き合い、他の子供たちと共に遊んだが、彼は野球などのゲームがあまり上手くなかった。次第に僕は、そんな不器用な彼に苛だちを感じるようになっていった。それでも彼は、そのいびつで人懐っこい笑顔を僕に向けることを忘れなかった。
やがて僕達も時とともに成長した。そして、よっちゃんは小学校卒業と同時にに寄宿生活の施設に入れられてしまった。 しかし、彼は何度かその施設を逃げ出しては街に戻ってきた。僕は一度だけ覚えている。その日が僕がよっちゃんに逢った最後の日だ。
施設から逃げ出した彼が最初に訪れた場所は、僕の家であった。彼の家は僕家のすぐ前であったにもかかわらず、家によらず直接僕の家に来て、
「ゆーちゃん、あそぼ」といって以前とか変わらぬ声で僕を呼ぶのだった。
「よっちゃん、どうやって帰ってきたんやあ?」という僕の質問に、彼は
「線路ぞいに歩いて 帰ってきてん。」
「家に帰ったんかあ…あかんやないか…おこられるでえ…あほちゃうかあ…どこにおるんや今。」 僕はそんな彼にいらいらして聞いた。
どうやら近くの神社の軒下で寝泊まりをしていたらしいことや、施設から線路沿いに何キロも歩いて帰ってきたことは、のちに彼が施設に引き戻されたことを、大人たちが話している時に聞いた。その日を最後に僕はよっちゃんに逢っていない。
色々な友達がいたが、彼の存在は僕に何か大きなものを残していった。当時の彼は、僕の好きな友達ではあったが、少年時代の成長過程にあって、次第に色々な友人との付き合いを覚えてゆく僕にとって、なにかうざったく重荷な存在になっていった。しかしそれにもかかわらず彼はひたすら僕を慕い続けてくれた。
ずっと後になって、僕が高校生になったとき、よっちゃんの家庭の複雑さを知ることができた。彼の母親はよっちゃんが生まれるずっと前、娼妓であったらしいことも。
長い時の流れを経た今になっても、彼の事を時折思い出す。よっちゃんがなぜ僕のことをあんなに慕ってくれたのかは僕にはわからない。ただ、彼はどういう態度を示す僕であっても、すべての側面において受けとめてくれた。
今になって想うことは、彼が私に教えてくれたこと、与えてくれたことの多さである。それは、「ゆーちゃん、あそぼ」という、彼の人懐っこい声といがぐり頭の笑顔の記憶とともに、鮮やかな記憶として残っている。
「最高の贈り物は、あなたの一部を分け与え ること」
ラルフ・ウォルド・エマーソン
by yan...xxxyanxxx@mail.goo.ne.jp