◎末松太平事務所  (二・二六事件関係者の談話室)

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

33.事件関係者の息子が見た二・二六事件:81年目の処刑日

2017年07月12日 | 今泉章利


2017年7月12日なった。15人の青年将校の処刑日、1936年(昭和11年)から81年目にあたる。
静かな夜更けである。今日は、港区元麻布の賢崇寺で、82回忌の法要が営まれる。 私には、このブログを書くことを通じて、彼らの思いが例年になく強く伝わってくるのである。

蒸し暑い。しかし、東京渋谷の宇田川町の衛戍刑務所では最後の数時間、どれほど湿気があっても暑苦しくても、この国を守れ、お前たちは、朕が股肱なるぞとの信念に燃え、天皇が世々伝えられた天壌無窮のご計画を守るべく立ち上がった青年将校たちは、逆賊の汚名のもと、死にゆくのである。
処刑に促されて牢屋を出る瞬間まで、天皇陛下をおもい、日本国の行く末をおもい、親をおもい、妻や子をおもい、、廊下を歩いて刑場に赴くのである。
小伝馬町の牢屋だから、廊下を挟んで、向こうが見える。中庭も見える。みんな大声で自分たちの上官の名を叫んだ。精一杯大きな声で叫んでいた。窓ガラスで見えない牢屋では、刑務官を怒鳴り散らし、窓を開けさせた。
宇田川町の衛戍刑務所は、大きな涙声が こだましていた。

以下は、私が大阪の朝日の人ともに、直接聞いた、北島軍曹の話である。
「安藤さーーん」「安藤大尉どのーー。」「中隊長殿ーーー」
すると、刑場に赴く廊下から、安藤大尉が、するりと、中庭に歩いてきた。
安藤大尉は、獄中の人たちに向かって、「この度は、皆様に大変ご迷惑をおかけしました。こころからお詫び申し上げます。安藤、心より感謝しております。」といわれたと。
そのときの図面も書いてくれた。(後日掲載します)
外では、空砲の演習が始まっている。
そして、天皇陛下万歳の声がして、実弾のピューンという発砲音が聞こえた。
5名ずつ、三組。

香田清貞陸軍歩兵大尉 34才   ひたすらに君と民とを思いつつ 今日永(とこ)えに 別れ行くなり、ますらおの猛き心も乱るなり いとしき妻の末を思えば

安藤輝三陸軍歩兵大尉  31才  君国ノタメ捧ゲ奉ル 我コソ不滅ナリ 心安ラカナリ  死ト共ニ  七月十二日朝 (処刑による血の付いた書)、 國体を護らんとして逆徒の名 万斛の恨 涙も涸れぬ ああ 天は 鬼神 輝三

對馬勝雄陸軍歩兵中尉 28才 日は上り国の姿も明るみて 昨日の夢を 笑う日も来ん  、 大君にささげし命うちきよめ いのりつづくる 時をもたなん

・・・・・・・

これから9時に宇田川町の慰霊像にお参りし、1時から賢崇寺で法要が営まれます。

本当にお世話になった関係者が鬼籍に入られてしまった。河野先生、池田さん、北島さん、、父、しかし、私には、今も生き生きと彼らの姿や聲が聞こえるのである。 慰霊像の横から、お寺の本堂で、ひょっこりとお目にかかれる気がするのである。

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