声なきに聴き 形なきに視る~月に叢雲花に風~

目をとじれば 耳をすませば・・・・面白き こともなき世を 面白く~孤掌は鳴りがたし~

養うだけでは親孝行とはいわない~超訳 論語~考と養の区別を・・敬うというこころを・・親孝行 したいときには 親はなし・・・

2017年05月26日 | 歴史・人から学ぶ

 NHKの朝劇「ひよっこ」は、愚生と同じ年代の劇ですので観ています。
今日は、月給日で給料が1割カットになりましたね。1か月6千円弱でした。

 でも、東京と大阪ではずいぶんと違いますねえ。
先日は、丁稚が「ああ上野駅(井沢八郎)」を歌っていましたねえ。

 

それにしても、沢村一樹はどこへ行ってしまったのでしょうねえ。

 親孝行 したいときには 親はなし
養うだけでは親孝行とはいわない~超訳 論語~
 門人の子遊(しゆう)が「孝とは何か」と尋ねた。
「親孝行というと、ただ父母に衣食住の不自由をさせないことだと思いがちだが、これは養っているだけで充分に航行しているとはいえない。養うだけなら家畜にだってやっているし、父母も家畜も同じ待遇ということになる。
父母に対しては、敬うという心がなければ、考と養を区別することはできないし、そこに敬愛の心を忘れてはいけない」と孔子が答えた。

昔は、老人ホームを「養老院」と言った。関係者は「老人を集めて養ってやっている」という気だったんだね。
その当時の設置者も職員らもすべて退職しただろうが、まだ、老人を大切にするという気が合ったんだろう。
「養老院」と言わなくなった今のほうが「老人虐待」は個人・施設問わずに増えているような気がする。

「ちゃっちゃと入れ」などと怒って風呂に入らすんだ。時には穴を叩くんだね。
「ちゃっちゃと入れるようなら老人ホームなどに来ないだろう。

養ってやっている。介護してやっている。そんな気持ちでは介護に仕事はできないだろうが・・・・

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