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漢字の話(キラキラネームの秘密、十四)

2017年07月09日 17時03分14秒 | 日記
・音と意味の結びつき

漢字は、読み書き以外に、会話の時にも思索の時にも使われます。言語の本質が音と意味の結びつきにあるように、漢字もまた音と意味が深く結びついています。


既に述べましたが、漢字の造字の法則には六種類あり、これを六書(りくしょ)と言っています。後漢(25年~220年)の頃に生まれた説で、班固(はんこ)の『漢書芸文志(かんじょげいもんし)』や許慎(きょしん)の『説文解字(せつもんかいじ)』等の文献に出て来ます。

その項目や順序については各本に異同がありますが、例えば、許慎の『設文解字』では、指事・象形・形声・会意・転注・仮借を挙げています。指事・象形・形声・会意は漢字の成り立ちを示し、転注・仮借は、使用方法をしめすものです。ここでは、先ず、六書について触れておきたいと思います。


(1)象形文字。

象形とは「形に象(かたど)る」という意味で、物の形に似せて描いた文字です。現在使われている楷書からでは何の事なのか想像できませんが、篆書(てんしょ)にまで遡ると、何故、象形文字と言われているのかが分かります。

篆書とは、今をさること2200年以上前に、始めて統一された文字であり、また、現在、私達が使っている文字の基になった文字でもあります。


始皇帝の二十六年(前221年)、戦国の七雄(韓・魏・趙・燕・斉・楚・秦)の中で、陝西省の僻地にあった後進の秦が、天下を我が手に収めました。秦国が強力になる事ができたのは、孝公(在位、前361~338年)の時代に、商鞅(しょうおう)を登用して徹底した富国強兵政策を採用した事がその理由です。商鞅は、道端に灰を棄てただけでも死刑、それにともなう連座制をしき、農業を本務として、食料の蓄積と兵力の確保に努めました。

天下を統一すると、始皇帝は、度量衡・車の車輪の幅と共に、文字を統一します。秦で古くから使われていた籀文(ちゅうぶん=大篆)をもとに、丞相の李斯(りし)が簡略化して作った文字がこれで、それまで使われていた文字を大篆(だいてん)と言うのに対して、李斯が作った文字を小篆(しょうてん)と言います。『説文解字』に掲載されている文字は小篆です。

「篆(てん)」とは「引き書きする事」で、毛筆を上から下に引くようにして書く書体の事です。恐らくは、「ひら筆」のような物で書かれたのでしょう、一つの文字に太い細いの変化がありません。

中国では、何に刻まれているかによって、文字を分類しています。甲骨に刻まれていれば甲骨文字、殷・周時代の青銅器に鋳込まれた文字を金文、石刻に残された文字と青銅器の文字を合わせて金石文と言います。甲骨文字を含めて隷書以前の書体を総称して、篆書というのだ、という説もあります。


さて、文字が統一されたとは言え、政務繁多となり文字を書く機会が急増すると、金文の流れをくむ小篆は、曲線が多く実用には不便であると言う事になりました。※『漢書芸文志・注』によれば、その頃、罪を得て獄中にいた程邈(ていばく)という人物が、隷書(れいしょ)三千字を作って始皇帝に献上し、許されて御史の官に任命された、と言われています。

隷卒(れいそつ、下級役人)が書きやすいように、篆書(てんしょ)の筆画を省略し、実用に適するよう造られた文字なので隷書と言います。隷書は現在私達が使っている楷書につながる文字です。


『説文解字』に掲載されている「日」「月」「馬」「車」等が象形文字にあたります。









篆書は現在でも「篆刻(てんこく)」と言って、印章に使われています。

さて、『説文解字』に収められている文字は9353字、現代の『大漢和辞典』はおよそ五万字で、時代の流れと共に文字数は四万次以上も増えましたが、実は、象形文字は殆ど増えていません。最も基本的な文字であり古い時代の文字です。


(2)指事文字。

象形文字では表現のできない、抽象的な記号を含む物が指事文字です。例えば、横線一本で「ひとつ」。これは数の始めの意を表し、この字をもとに、二、三、百、千等の数を表す字ができました。他にも、一定の位置を示す横棒「一」に、その位置より高い場所を示す「|」を付けた文字が※「上」です。小篆では「⊥」と書きます。一定の位置を示す横棒「一」に、その位置より低い場所を示す「|」を付けた文字が「下」です。小篆では「T」と書きます。物をきるはものの形に象った「刀」に「、」を付けて、そこが刀のはの部分となる事を示した「刃」や、象形文字の「木」の根本にしるしを付けた「本」等々が、これにあたります。



「木」の下の「∩」の部分は、根を表しています。そこにしるしを付けて、「根本」を表します。




(3)会意文字。

会意とは「意を会する」という意味です。象形や指事の文字を二つ以上組み合わせて、一つの意味を表したものです。例えば「二」、指事文字の「一」を、二つ並べて「二」。一説に、上の一は天、下の一は地。万物の根本をなす天地の気が始めて分かれたとき、軽く清い物は天となり、重く濁った物は地となった。そこで、「一」は天の数、「二」は地の数、とも言います。「三」も会意文字です。「一」と「二」を合わせた文字で、『説文解字』には、「三」とは数の名、天地人の道、と説明されています。

では、「四」とは何でしょう。「四」は、会意文字でもあり指事文字でもあります。実は、大篆(だいてん)では、この字は、横棒四つで表現されており、「二」を二つ重ねた、会意文字でした。しかし、小篆で書かれた『説文解字』によれば、四方の形に象る「囗」と、これを分かつ意を表す「八」とからなり、四方や四隅をそれぞれ四つの部分に分けた形を表す指事文字である、と説明されています。

他にも、「鳥」と「口」を合わせて「鳴」く。この字の本義は鳥の声です。わかつという意味の「八」と「刀」で、刀で物を分別する意の「分」等々が、会意文字にあたります。


(4)形声文字

この文字は、諧声(かいせい)文字・象声(しょうせい)文字とも言います。二つを合わせて一文字とし、半分は形義(意味)を表し、半分は音声(音符)を表すので「形声」です。会意文字と同様に、二つの部分から成るのですが、音符のあるのが形声文字です。

※清の学者 朱駿声の『説文通訓定声』によれば、『説文解字』中に収められた9353文字中、7697字が形声文字です。同書によれば、象形文字は364文字、指事文字は125文字、会意文字は1167文字です。

※唐の学者 賈公彦(かこうげん)は『周礼疏(しゅらいそ)』の中で、形声文字を次の六つに分類しています。

①左形右声、江・河・銅・銀・狸 等々
②右形左声、鳩・鴎・歌・創 等々
③上形下声、草・藻・花・雲・羅・置 等々
④上声下形、娑・鷺・盛・怒 等々
⑤外形内声、圃・園・開・裏 等々
⑥外声内形、問・輿・聞 等々

要するに、氵(さんずい)・草冠(くさかんむり)・木偏(きへん)・虫偏(むしへん)等々の意味を表す部分と、音符によって作られた文字の事です。この方法によれば、幾らでも漢字を作る事ができるので、漢字の八・九割はこの方法で造られていると言えます。常用漢字では、約三分の二の1286文字が形声文字です。


(5)仮借文字

これは「かしゃもじ」と読みます。仮も借も「かりる」の意で、基本的には、他の字の音義を借りる用法です。例えば、「令」はもともと号令の意で、そこから号令するのは長官なので、長官の事を「令」と言うようになった。或いは、「北」。この文字は、『説文通訓定声』によれば、左を向いた人と右を向いた人が背中合わせに立っている指事文字で、もともとは「背く」の意。軍に背いて逃げる、という意もあります。二人が同じ方向を向いて前後に従う「从(従う)」に対して、背くのが「北」。人は座っている時も立っている時も、闇に背いて明るい方を向きます。そこで、明るい南側の反対側を「北」と言うようになりました。借用した「北側」が定着し「北」の「背く」という本義が失われると、「北」に「月(にくつき)」を加えて「背(く)」が造られました。








また、「其」は「箕」(音キ、訓み、穀物を乾かす道具)と同様の意味を表す象形文字でした。しかし「其」は、人又は物事の指示代名詞として「その」「それ」として借用されるようになったので、箕は竹で造るので「其」に「竹冠」が付いて「箕(み)」の字が生まれた等々。




「箕」の下にあるのは「机」の象形文字です。「其」とは箕が机の上に置いてあるという意味で、「其」・「箕」は同字とされています。

これらが仮借文字なのですが、「仮借」と「転注」は混同されていて、上記の「令」「北」の説明は、実は「転注」としての説明である、という研究もあります。

この他、「仮借」とは「当て字」の事でもあります。例えば、晉の陳寿(233~297年)の著した歴史書『三国志』に掲載される倭国のヒメコを「卑弥呼」、仏典の中の「南無阿弥陀仏」「菩薩」、国名の「埃及(エジプト)」「希臘(ギリシア)」、都市の「倫敦(ロンドン)」等々、枚挙にいとまありません。ほぼ音のみを写した物で、現在でも、中国では、漢字文化圏には含まれない地域の人名や地名・物事等々を表記するのに使われています。


(6)転注

転とは車輪の回転することであり、注とは水が器から器に注がれること。そこで、例えば、「駿」は、もともと「馬の良材」つまり「優れた馬」のことで、優れた馬は足が速いので「はやし」と訓じ、また優れた馬は大きいので「おおきい」と訓ずる様な、文字の意味が本義から転じて別な意味が生じる事を「転注」と言うらしいのですが、そもそも『説文解字』の著者 許慎の説明がはっきりしないので、古来定説がありません。

「駿」の他にも、蓮荷(れんか、蓮も荷もはすの意)の荷を負荷の荷(になう)に転用し、山がらすの意であった「雅」を風雅の「雅」に転用するように、「音」の関係での転用を説明する物や、意味の関係から解き明かす物もあます。

例えば、「樂(楽)」は、上部の白は鼓の形に象り、その両側は騎兵が馬上でならす攻めつづみに象り、下の木は、鍾磬(しょうけい、中国古代の打楽器)をつるす台の柱を表し、もともとは「楽器」の事で、音楽の意を表した文字です。音は音楽の時には「ガク」、そこから転じて「たのしむ」意となる場合は音は「ラク」となる。一文字で二つの語を表す同字異訓が転注であろうと言う物がこれです。




さて、漢字はよく表意文字であると言われますが、その根拠となる象形・指事・会意文字の、『説文』の中での文字数は1656文字で、それ以外は全て形声文字です。9353文字中、八割以上が形声文字であるからには、漢字は「表意文字」であり、また、「表音文字」であると言えます。そして、表音文字であるからには、デタラメの音を付ける事はできません。


更に、形声文字について少し説明を加えるならば、音符は無意味に選ばれているわけではなく、音の持つ意義が、その漢字の意味を決定づけています。つまり、言葉の本質は音と意味の結びつきにあり、漢字もまた音と意味が深く結びついています。

これは、※後漢の劉煕(りゅうき)の『釋名(しゃくみょう)』や北宋の王安石等が論じた説ですが、

例えば、
「戔(セン・サン)」には「小さい・少ない」の意があるので、この音符を含む文字は、すべて「小さい・少ない」というという意味を含んでいます。例えば、淺(浅、水が少ないので、浅い)・錢(銭、こぜに)・賤(賎、貝は財産、財産が少ないので、いやしい)・箋(小さな竹のふだ)・盞(小さな皿、小さな酒杯)等

或いは、「青(セイ・ショウ)」は、上の部分はもともとは「生」、下の部分は「丹」)です。「青」は、草木生成の色。草木始めて生じて、その色あおあおとするのを「青」と言います。「丹」とは丹砂(たんさ、硫黄と水銀の化合した朱色の鉱物)」で、赤の顔料のことです。一説に、青は丹の濃きより生ずるので、「生」と「丹」とで表した、と。しかし『説文通訓定声』には「丹」ではなく「井」であろうと書かれています。四角い井戸に清水のたまった姿です。そのため、「青(セイ・ショウ)」の音符を含む文字はすべて「きよくあきらか・汚れなく澄んでいる」という意味を含んでいます。清(澄んだ水)・晴(澄みきった空)・精(あら皮をはいで白くした米)・情(清く偽りない心)等です。





上記の説明は、全て日本語の音訓で紹介しました。音符が漢字の意味をも決定する要素であり、日本語として充分にこなれて使われているからには、音訓をいい加減に読む事など、してはいけない事なのです。


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かわゆす。

次回、「キラキラネームの秘密、十五」に続きます。

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