極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

日々感じること・・・

いじめと人間愛

2017-05-18 13:33:03 | 道徳等

以下文は、主に藤原正彦氏の「国家の品格」、新渡戸稲造「武士道:Bushido The soul of Japan」、ウィキペディア等々を参考にしています。

 

アメリカの独立宣言には「我々は次の事実を自明と信じる。すべての人間は平等であり、神により生存、自由、そして幸福の希求など、侵すべからざる権利を与えられている。」とあります。すべての人間は平等であり・・・素晴らしい言葉ですね。

幕末時代、勝海舟ら先人がアメリカの視察旅行をしました。アメリカは、一般の庶民であっても選挙で勝つなら大統領になれる国だと聞いて、たいへんびっくりしたと言う話があります。しかしこの独立宣言には、大きな偽善があります。

独立宣言を書いたのは、トマス・ジェファーソンで、後に第三代大統領になったひとです。ジェファーソンは、アメリカ先住民インディアンを大々的に迫害、黒人奴隷を100人以上所有してたそうです。

「すべての人間は平等であり・・・」と宣言しましたが、その「人間」には有色人種は含まれていませんでした。そういうことを知りますと、「すべての人間は平等であり・・・」、人間と言う言葉には、黒人は含まれていません。当然、先住民インディアン達も含まれていません。平等な「人間」とは、単に白人だけを意味していたようです。

キリスト教国といわれる国において・・・「すべての人間は平等であり、神により生存、自由、そして幸福の希求など、侵すべからざる権利を与えられている。」 と言いながら、大規模な黒人奴隷制を維持し、人種差別を行なってきた歴史があります。

約500年前、日本にカトリックの宣教師ザビエルがやって来ました。

教皇庁に出した手紙の中で、「日本人は私が出会った国、民族の中で、最も優れています。日本人は一般的に良い素質を持ち、悪意がなく等々・・・」と書いています。ザビエルは、日本の文化、伝統等を愛しました。

1570年にザビエルの後に来日した宣教師カブラル、教皇庁に出した手紙には「私は日本人ほど傲慢、貪欲、不安定で偽善的な国民等々・・・」宣教師カブラルは、日本人そのものも風習も文化も嫌悪していたと考えられます。日本で伝道したこの2人が、なぜこれほどに違うことを書いているでしょうか? 
 
藤原正彦氏が書いた「国家の品格」の中に、小学校で生徒が「先生、どうして人を殺しちゃいけないの?」 と質問しました。あなたは何と答えますか・・・その時先生たちは、なぜか一生懸命に、論理的な答えを探そうとし、そして考え込みました・・・でも誰も、論理的な答えなんて出せませんでした。

今の先生たちは、生徒の質問に論理で答えるように習慣がついてしまっていると言われています。こういうことは論理の問題ではないと思われ、なぜ人を殺してはいけないのか・・・答えは簡単です、ダメだからダメ、これは論理のことではありません。

人間愛の問題で、頭で考えることではありません、心で感じることです。そういう心の教育をやってこなかったから、今教育現場で、いろいろなひずみが出てきてしまっていると見るべきでしょう。
 
学校ではいじめ問題が後を絶ちません。いじめを受けた生徒たちのためにカウンセラーを学校に常駐させたり、相談所を設けたりしてるようですが、教育現場では対症療法をやっていると思います。

対症療法前に、どうして弱い者いじめは人間として卑怯(ひきょう)な行為だと教えないでしょうか・・・卑怯なことはしてはいけないのです。論理で答えの出る問題ではなく、理屈ではない、武士道で言う「正義」と「あわれみ」と「誠実」の問題と思います。

藤原氏は、小さい頃に父から、弱い者いじめの現場を見たら、自分の身を挺してでも、弱い者を助けろ」と教えられていたそうです。父は、弱い者がいじめられているのを見て見ぬふりをするのは卑怯だと言ったそうです。だから藤原さんにとって、卑怯だと言われることは、お前は生きている価値がないと言われることと同じ位だったそうです。
今は、弱い者いじめは卑怯だと教えることが、少なくなってしまいました。しかし、そう教えることが大切と思います。

昔、日本で武士道が生きていた頃は、弱い者いじめは卑怯だとは誰もが思っていることでした。
倫理は頭で考えることじゃありません、心の奥底に感じ取ること、卑怯だと言うのも、理屈ではありません。

花が美しいというのも理屈ではありません・・・おそらく心で感じることでしょう。

満天にきらめく星空が綺麗なのも、理屈ではありません、心で感じると思います。

同様に、卑怯なことをしてはいけないというのも理屈ではなく、心の底で知ることだと思います。

 

すべての人間は平等でありといいながら、有色人種を迫害するのは卑怯であるということに尽きます。我々が学ばなければならないのは、理屈ではなく心だと思います。
正義、哀れみ、誠実・・・人間の生き方の根本でもあると思います。それは頭に覚え込ませるものではなく、体で覚えること、人間の心の奥底に植えつけなければならないものと思います。それがないと、たとえ美辞麗句を並べても、人間は偽善になってしまうでしょう。

この正義、哀れみ、誠実は、古来、日本に伝わる武士道の根本精神と同じであることがわかります。

 

新渡戸稲造が書いた名著、武士道には、「武士道の根本精神」として幾つかのものがあげられていますが、中でも「義」「惻隠(そくいん)の心」「誠」はその中心と考えられます。
 「義」は、正しい行ない、正義を行ない、悪事をこらしめる、人の道に反することをせず、筋の通ったことをする、道理にかなうことです。

「惻隠の心」とは、あわれみ、思いやり、武士の情けです。弱い者や、負けた者、苦しんでいる者などを痛めつけない、同じはかない命を持つ者として、はかない命に対して同情を寄せる心と言えます。

「誠」は、誠実なこと、やましさのない、うそのないこと、二心でない、清き明き心(神道の心)をいいます。

卑怯なことをしない、卑劣な行動をとらない。武士達、多くの日本人は昔から、「至誠天に通ず」 と信じました。

新渡戸稲造の武士道「Bushido:The soul of Japan」は、100年も前の本なのに、現代でも世界中の多くのリーダー達にも読まれてるそうです。

戦後、多くの諸策により日本人が持っていた人間愛さえ薄れてしまい、日本社会は薄れた道徳社会で混沌としています。いつの日か、惻隠の心を持つ日本人が多く生まれ、いじめ等が無くなることを信じています。

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