酒鬼薔薇聖斗事件(事件日1997年)(3)東 慎一郎(2011現在29歳)の22歳当時の行動と広島県呉市

2009年09月02日 10時58分53秒 | Weblog

第1種=人体切断=酒鬼薔薇事件
第2種=人体解体=平岡都事件
第3種=人体αβ=γδω事件


■島根県立大1年生の平岡都(19歳)バラバラ解体人肉食い殺人鬼事件■

捜査筋が口にした【 酒鬼薔薇 】の名前
日刊ゲンダイ 2009年11月21日



●想像を絶する遺体の凄惨

島根県境の広島県の山中で、島根県立大1年生の平岡都さん(19)のバラバラ遺体が見つかった事件は、時間が経つにつれ、猟奇的な色合いが強まっている。見つかった遺体の状態が尋常ではないのだ。

「遺体は四肢が切断され、
乳房がえぐり取られた上、
性器部分も切り取られてグチャグチャになっていました。
そのため、
胴体が発見された当初は、すぐに性別が判断できなかった。
腹部が切られ、
内臓の大部分がなくなっています。
胴体の一部は焼けていて、
血を抜かれ、
皮膚もはいであった。
両腕と右足はまだ見つかっていません」(捜査事情通)

にわかには信じがたいが、犯人が肉片を食べた形跡もあるという。

「頭部と胴体の発見場所から約2キロ離れた地点で見つかった
左の大腿骨(だいたいこつ)は、肉がきれいにそぎ落とされていた。
捜査員は、てっきりイノシシかシカの骨が風化したものと思って拾ったそうです。
野犬の仕業では、こうはならない。明らかに人為的なものです。また、遺体の一部には、ミンチ状に切り刻まれた形跡もあった。
犯人が食べたとしか思えないのです。

『羊たちの沈黙』のレクター博士じゃありませんが、
血抜きをしたり、右腕の関節をはずしたあとがあることから、
犯人はある程度、医学的な知識があるとみられます」(社会部記者)


上智大名誉教授の福島章氏(犯罪心理学)は、犯人像をこう分析する。

「快楽殺人にしろストーカー殺人にしろ、性器やそれに準ずるものに執着していることから見て、犯人は98%の確率で男でしょう。殺して遺体を解体すること自体にサディスティックな喜びを感じる性的異常者です。平岡さんが夜遅くひとりで帰宅することを知って、狙いを定めていたのかもしれません。遺体を遺棄した場所から考えて、土地勘はあるはずです。首を切り落とすというのも、性的異常者によく見られる現象。神戸の酒鬼薔薇事件を彷彿(ほうふつ)とさせます」


実際、
酒鬼薔薇事件との関連性を疑う声もあったという。
前出の捜査事情通が「ここだけの話ですが……」と、こう打ち明ける。



■< 酒鬼薔薇聖斗の住所:広島県の呉市 >■
「更生した酒鬼薔薇が広島の呉市で働いているという情報があったため、
広島県警は一応、所在確認をするようです。
彼自身は無関係とは思いますが、模倣犯の可能性はある。
事件が思わぬところに飛び火してしまいました」



捜査本部としては、ワラをもつかむ思いなのかもしれないが、
正体不明の人食い殺人鬼が捕まらないかぎり、不安が広がる一方だ。


(日刊ゲンダイ2009年11月18日掲載)


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↓□酒鬼薔薇聖斗(14歳当時の写真)と 麻原彰晃の顔写真を対比して、
砂時計形状での幾何学的数値解析した内容のブログ記事□↓

↓■ygv123ブログ記事のタイトル■↓

(13000文字数のブログ記事)
【 酒鬼薔薇聖斗の顔は鼻央型であるが、【麻原彰晃のeyespanの2乗型】A3ではない/顔の三重点が怖さを与える 】

http://blog.goo.ne.jp/ygv123/e/77a6893bd76f02f18a76cc4d4173df18

↑■ブログ記事のURL■↑

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22歳当時の酒鬼薔薇聖斗

少年A=東慎一郎(あずま しんいちろう)
1982年7月7日午前6時15分生まれ
(2011年現在29歳)
14歳当時の顔写真=Google画像などで見れる


札幌市西区発寒での金属バット両親殺人事件の長男(犯人)も退院後は、
北海道新聞(夕刊)コラムで「 改名して生活している 」と書かれていた。

ので、
東慎一郎も【 改名 】していると思う。
14歳当時の顔も公開されているから整形もしているだろう。


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週刊新潮2005年1月20日号より

女医を襲った!「少年A=東慎一郎」

今年(2005年)1月1日、神戸児童連続殺傷事件の「少年A」こと東慎一郎(22)が、ついに関東医療少年院を正式に退院した。はたして病気は完治したのか。事件は昨年(2004年)12月下旬に起こった。東慎一郎が、カウンセラーの精神科の女医を暴行しようとしたというのだ。本来ならば、即刻、仮退院は取り消しのはず。だが、その事実は密かに闇に葬られ、東真一郎は社会に放たれた。

2004年12月24日、法務省は「少年Aの保護観察が31日で終了し、年明けに完全に社会復帰する」との見通しを発表した。

 はたして東慎一郎の病気は完治したのだろうか。被害者のみならず、一般の関心がその点に向かうのは当然である。しかし、法務省は、「被害者への贖罪の気持ちを持ち続けている。定職に就き、更生に向けた努力を重ね、精神的にも安定した生活を送っている」

と、そっけない説明を加えただけだ。加害者の人権に配慮するあまり、具体的な居住地や仕事の内容、生活ぶりなどには一切触れていない。事件の被害者にも納得できる説明はなかった。

「昨年12月中旬頃、神戸の保護観察所で、法務省の方から最終報告という形で少年の現状について一通りの説明を受けました」

と話すのは、東慎一郎にナイフで刺されて重傷を負った少女(当時9歳)の父親の堀川耕一郎さんである。

「精神的な面でも何ら問題がなく更生していると聞きました。ただし、法務省の人たちは絶対に具体的な話をしてくれないのです。我々が突っ込んだ質問をしても、それについてはお答えできませんと繰り返すばかりです」

 堀川さんは半信半疑で聞くしかなかった。

「法務省の説明では、関東医療少年院からずっと彼を担当している精神科のドクターが、定期的にカウンセリングを行ってきた。そのドクターが、今後、一切、薬物の投与も必要ない、本人がそういった形で更生しているので、再犯の恐れはない、とお墨付きを与えたということでした。我々としては法務省の言うことですから、100%信用せざるをえない」

だが、それで被害者の不安が払拭されたわけではなく、不信感が残っただけだ。

「法務省の方とは、昨年8月にも一度お会いして話を聞きました。その8月時点と12月では、相も変わらず同じ話を繰り返しているだけなんです。本人は更生しています、12月いっぱいで我々の手を離れます、と。こう言っては何ですが、野放し状態になるわけですよ。ですから我々は、8月のときにも、可能であれば、年が明けてからも監視のようなものを幾分でも継続できないかとお願いしてみたのです。が、それに関しては一切できない、と。代わりにボランティアの人たちがどういう状況で生活しているのかということを定期的に我々の方に報告いただけるということでした。本当にお役人というか、そうしたことを淡々と言うものですから、決められたことは仕方がないんだな、と感じただけでした」

少年犯罪としては異例の7年余にわたる入院期間だった。東慎一郎は、平成9年10月に東京都府中市にある関東医療少年院に収容された。平成13年11月から1年間、宮城県の東北少年院で職業訓練を受けた後、再び関東医療少年院に戻り、昨年3月にいよいよ社会復帰に向けて仮退院。法務省は、年明けの退院までの手続きを、滞りなく進めることだけに腐心していたかのような印象を受けるのだ。

事件はその最中に起こっていた。

東慎一郎が心を開いた相手

仮退院中の東真一郎の居住地について、法務省は 「近畿地方以外」としか発表していないが、彼は、首都圏近郊で生活している。


法務省関係者はいう。

「彼は、ひきこもりや不登校の子供たちを支援し、就労などの世話をする民間の団体の関係先にいます。その団体には協力企業が何社かある。その団体の自立支援プログラムに沿って、彼はそのうちの1社で働いています」

東慎一郎には、保護観察官が24時間体制で張り付いていた。また、関東医療少年院で担当だった精神科の女医のカウンセリングを、1週間に1度の割合で受けていた。退院に向けて、順調に回復しているように見えたのだろう。だが、それは彼を更生させたいという当局の希望的観測に過ぎなかった。

昨年12月のことである。

「実は、東慎一郎が、カウンセリングの最中に、その女医を押し倒して暴行を働こうとしたのです」

と、先の法務省関係者は打ち明けるのだ。

「それで大騒ぎになり、東慎一郎本人も精神的に非常に不安定になったので、急遽、精神病院に入院させた。とてもじゃないが、社会復帰させられる状態ではなかった」

東慎一郎は、居住地に比較的近い国立の精神病院にひとまず入院させられた。ところが、そこでまた問題が生じたという。

「東慎一郎を入院させた直後にわかったのですが、昨年秋に、その病院の井戸からヒ素が検出されて問題になり、新聞沙汰になったことがあった。ヒ素の件でまたマスコミが取材に来たら、東慎一郎が入院していることも漏れてしまうんじゃないか、という恐れがあり、法務省や警察庁の担当部局は転院先を探すので、一時、てんやわんやの騒ぎになった。結局、その病院は出て、別の病院に転院したのです」(同)


東慎一郎は、どうしてその女医を襲ったのか。

「彼は、その女医に心を開いており、医者と患者を超えた信頼関係があった」

と話すのは、関東医療少年院の関係者である。

「東慎一郎の性的サディズムなどの異常な性格は、母親との関係が大きく影響していた。彼は母親を憎んでおり、心を閉ざした彼を治療するためには、職員が擬似家族的な関係を作ってカウンセリングに当たる必要があったのです。そのために彼女がスタッフとして加わった。東慎一郎の母親より3歳年下ですが、細身で髪の長い面長の女性で、年齢よりずっと若く見える。松本零士のマンガに出てくる女性のような美人です。彼女が親身になって接したおかげで、彼は心を開くようになった」

別の関係者もこう話す。

「彼は最初は女医を母親のように思っていたが、やがて恋心に変わっていったようだ。院生の話によれば、その女医に『キスしてください』と頼んだことがあったし、院生の1人が東慎一郎の前で女医の悪口を言ったら、東慎一郎は本当に怒って、ボールペンでその院生を刺そうとしたこともあったのです」

東慎一郎の性的関心が、残虐行為からようやく異性に向けられるようになった。彼にとっては、閉ざされた医療少年院の生活の中で、深い触れ合いを持った唯一の女性だったのである。

攻撃性に性衝動が結びついた
だが、そうした性衝動は、必ずしも東慎一郎の病気が完治したことにはならない。


帝塚山学院大教授の小田晋教授は語る。

「カウンセリングの過程で、感情転移ということが起こる。精神分析的な療法をやる際に、心の絆を作るために母親のような愛憎を与えようとすると、相手は本当に好きになってしまうんですね。しかしその感情に母親役の女医は当然応えられなくなってしまう。東慎一郎にしてみれば、裏切られたという気持ちになって、そうした行動に出たのだと思う。彼は、東北少年院で、他の院生から、からかわれて、自分の性器を切断しようとした一件があった。これは衝動性に、性的なことが絡んでいる傾向が切れていないということです。攻撃性に性衝動が結びついている。女医に手を掛けたということは、まだ性と結びついた衝動性が治っていないということなのです」

精神科医の町澤静夫氏もいう。

「女医を襲ったという行為は、東慎一郎が性的な感情のコントロールを十分にできていないととらえることができる。仮に性的サディズムが克服されていても、それでは、私たちは安心することはできない。また、性的サディズムがある一方で、普通の性愛もあるということは非常によくあるケース。現在の状態は、性的サディズムが心の奥に隠れて表に出なくなっただけということも十分ありえます」

専門家は、現状での退院に疑問を呈するのである。
前出、被害者の堀川氏はこう話す。



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加害男性から謝罪の手紙 神戸児童連続殺傷事件

産経新聞 2009.3.21 11:52


神戸市須磨区で平成9年に発生した連続児童殺傷事件で殺害された小学4年、山下彩花ちゃん=当時(10)=の遺族に、4年前に医療少年院を退院した加害男性(26)から謝罪の手紙が届いていたことが21日、分かった。

23日の命日を前に手紙が送られるのは3年連続。

彩花ちゃんの母親、京子さん(53)によると、手紙は便箋3枚にペンで書かれており、19日夜に男性の両親を通じて手渡された。

「私信」ということもあり、内容は明らかにしていないが、謝罪の言葉はあったという。住所や具体的な生活状況は書かれていなかった。

京子さんは「これまでの無機質な言葉が並んでいた手紙と違い、感情表現がある内容だった。いかに自分が奪ったものが大きかったかに、ようやく気付いてきたようだ」と話している。


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神戸の児童殺傷事件11年 土師(はせ)淳君の父が手記

被害者=土師(はせ)淳=死亡
その父=土師(はせ)守

1997+11=2008年

産経新聞 2008.5.23 22:52

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「被害者支援を着実、迅速に」

神戸市須磨区で平成9年に起きた児童連続殺傷事件の被害者の1人、土師(はせ)淳君=当時(11)=が殺害されてから丸11年となる24日を前に、父親で医師の土師守さん(52)が、心境をつづった手記などを報道機関に寄せた。

「事件のことは今もつい先日のように思いだしますし、11年が過ぎたからといって子供への思いは変わりません」とする一方、来年から刑事裁判への被害者参加が実現するなど被害者側の権利獲得が進んできたことについて、「少年審判の傍聴や弁護士の育成など、被害者の本当のニーズにあった社会制度の整備を」と訴えている。

「(24日は)特別に変わったことはしません」という土師さんは、今も妻とともに月照寺(兵庫県明石市)にある淳君の墓に参り、月命日の供養を欠かさないという。

当時中学生だった加害男性の情報が、十分に寄せられていない状況は今も変わっていない。わずかな知らせとなるのは、毎年男性から送られてくる手紙だ。今年も弁護士を通じ、14日に土師さんのもとに届いた。

土師さんは、今まで通り手紙の公開はしないつもりだが、内容について「字の形や文章の雰囲気などから以前に受けとった手紙に比較すると、徐々にですが彼自身が変化しているように感じる」と話す。しかし、「(少年院を)本退院後の男性の状況については現在も十分な情報を得ることはできていません。今後も粘り強く交渉していきたい」という。

一方で、土師さんも参加する全国犯罪被害者の会(あすの会)などが強く求めてきた、刑事裁判への被害者参加を盛り込んだ刑事訴訟法改正案が昨年成立、来年からいよいよ被害者参加制度が始まる。

土師さんは「事件が起きた11年前と現在では、犯罪被害者が置かれている状況はかなり改善したと思いますが、まだ十分とはいえない」と指摘。今国会に提出された少年法改正案についても「少年審判の傍聴を認める少年法の改正はまだ実現していません。今国会中にはぜひとも成立させてほしいと願っています」とした。



神戸の連続児童殺傷事件で殺害された土師淳君の父、
土師守さんが寄せた手記全文は次の通り。

↓★★★★ーーーーーーー★★★★↓


この5月24日は、淳の11回目の命日です。11年という期間は、長いように思いますが、私たちにとって事件そのものは、昨日のように思い出します。11年という期間が過ぎたからといって子供への思いは今も変わることはありません。


今年も、井関(勇司)弁護士を通じて、5月14日に
加害男性からの手紙を受け取りました。
内容については公開することはできませんが、

以前に受け取った手紙に比較しますと、徐々にですが、彼自身が変化しているように感じます。また、本退院後の加害男性の状況については、現在も十分な情報を得ることはできていません。今後も、井関弁護士とともに粘り強く交渉していきたいと思います。

私たちの子供の事件が起きた11年前と現在では、犯罪被害者が置かれている状況はかなり改善したと思いますが、まだ十分とは言えない状況だと思います。犯罪被害者基本法が成立して以降、刑事訴訟法も改正され、私たち被害者が切望していた(刑事裁判の)被害者参加制度が来年には実施されることになりました。しかしながら、少年事件においては、少年審判の傍聴を認める少年法の改正は、まだ実現していません。迅速に審議し、今国会中にはぜひとも成立させてほしいと願っています。

補償関係についてもかなり改善されてきていますが、今回の改正でもまだ十分と言える状況ではありません。
最高額ではなく、通常の補償も自賠責保険に近づけるようにしてほしいと思います。また、犯罪被害者に対する支援もまだまだ十分とは言えません。実際に被害者支援を担当する地方自治体には、被害者支援に対する認識を深めていただき、被害者支援を着実にそして迅速に進めてほしいと思います。


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酒鬼薔薇事件の少年Aが通っていた友が丘中学校の岩田信義校長(当時)

日刊ゲンダイ;2010年12月13日(月)


●岩田信義のその後;;

1997年、日本中を震撼させた神戸の酒鬼薔薇事件。逮捕された少年Aが通っていた
「友が丘中学校」の岩田信義校長を覚えているだろうか。

卒業式当日、ストリップ劇場で観賞にいそしんでいる姿を写真誌にすっぱ抜かれて世の顰蹙(ひんしゅく)を買った。
事件から13年。少年Aはすでにシャバに出た今、
岩田校長はどうしているのか。

1997+13=2010年


●「正直、ほんまアイツが真犯人なのかな、って迷いは今でもあります」

「晩メシ食うた後やったかなあ。捜査本部から自宅に“お宅の学校の生徒を逮捕しました”って電話があって、“お手数かけます”とだけ答えたのを覚えてます」

記者が会ったのは神戸市東灘区の自宅。
居間の掘りごたつで記者と向き合った岩田、
やや甲高い声でこう言った。

「実は逮捕前から予感めいたもんがあったんです。生徒らの間で、“アイツとちゃうか”って噂が広まってましてね。“目が据わってて、ジロッとにらまれると、すくみ上がる感じがする。アイツならやりかねん”って話だった。根も葉もない噂でしたが、胸騒ぎがしてたのも事実です」

警察の一報を受けた際も、
「やっぱり、アイツやったか!!」とあまり驚きはなかったという。

「ただ、酒鬼薔薇の挑戦状や、ノートに書いてたという東西の古典を引用した『懲役13年』を読んでも、あの子に書けたとはとうてい思えんのですわ。
正直、ほんまにアイツが真犯人なのかな、って迷いは今でもあります」

少年Aの逮捕後、
朝日新聞が「動機は学校で教師から受けた体罰」と報じる。と、
全国から非難の声が学校に殺到した。
「時が経てば冷静に読めるもんです」と話す段ボールに入った当時のハガキを見せてもらうと、真っ赤なペンで「校長は腹を切れ」の文字も。

「内容は罵倒68通、脅迫6通、不幸の手紙13通、宗教宣伝・商業宣伝20通、激励22通、誤解しながらの激励11通、目的不明11通。ざっとこんな感じです。でも、体罰はまったくの誤報で、指導記録を見る限り、教師らに何らの落ち度もありませんでした」

68+6+13+20+22+11+11=151通


さて、事件翌年の1998年3月、
今度は岩田校長自身がクローズアップされた。
ストリップ劇場で大股開きの踊り子をポラロイド撮影、舞台上で野球拳に興じる姿をフォーカスされたのだ。

「周りがどう言おうと、“ワシは何も悪いことしてへんで”って心境でした。
だって、勤務時間ならいざ知らず、時間外のことでしたから。卒業式で早く仕事が済み、
“ほな、行こか”といつも通りに行動しただけです」

とはいえ、
■定年退職を目前に控えながら、
神戸市教育委員会から謹慎処分を受けるハメに。
再就職の道も閉ざされた。


「それでも懲りずにストリップ通いは続けた。
“あんなんでやめてたまるか”って男の意地ですわ。
なじみの踊り子にも“大変やったね”と励まされました」

退職後、、
事件について月刊誌に手記を寄せたのを機に、
「大勢の人に読んでもらえる面白さが病みつきになった」と小説を書き始め、
今も月2回、大阪の講座で若い小説家の卵たちと文章修業を重ねている。

「短長編合わせて40本以上書きましたか。長いこと観賞してきた知識を生かし、
『観客席からストリップ50年史』を書き出したこともあります。
しかし、
ストリップ自体が廃れてもうて、今さら誰も読まんかなあと思い、途中でやめました」

岩田信義は、
妻、次男の3人暮らし。

(日刊ゲンダイ2010年12月10日掲載)


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大須田勉
ジャンル:
事件
キーワード
医療少年院 酒鬼薔薇事件 犯罪被害者 日刊ゲンダイ 酒鬼薔薇聖斗 刑事訴訟法 ストリップ劇場 被害者参加制度 全国犯罪被害者の会 自賠責保険
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