阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

ラオスの母子保健について報告会を実施

2011年09月28日 16時08分46秒 | 政治

 8月31日から9月3日までラオスに行き、国連人口基金(UNFPA)の案内でラオスの乳幼児死亡率の削減と妊産婦の健康の改善に関する視察を行いました。一昨日、国会内で報告会を実施し、母子保健の環境改善について提案を行いました。


*報告会にて意見発表する私
 


*ユースセンターにて今回参加したメンバーの方々と。牧山ひろえ参議院議員を団長に6名の国会議員とUNFPA(国連人口基金)、CSOネットワーク、そして国際開発ジャーナルからそれぞれ参加しました。


 私は1992-1993年にかけてUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)で選挙監理要員として勤務しましたが、任地はラオスと隣接するラタナキリ州でした。同じ民族が国境を越えて交流する山岳少数民族の村に住み、独特の風習の中で生活しました。人々はカンボジアの公用語であるクメール語ではなく文字のない部族の言葉を話し、男性は褌姿、女性も上半身裸で生活するなど、クメール民族とは全く違う文化が色濃く残っていました。人々の生活は慣習法によって支配され、夜這いなどの風習も残っていました。

 牧山ひろえ参議院議員の紹介で「お母さんと子どもの命を守る勉強会」に参加した時、ラオスの山岳民族にも極めて近い風習があり、特に妊産婦には、様々な慣例によって行動が制約されていることを知りました。

「妊婦は出産の前後には囲炉裏の上で生活しなくてはならない」
「特定の色の食べ物は食べてはならない」
「森の中で出産しなくてはならない」


 カンボジアでの任務は、選挙を実施する上での現地責任者でしたが、選挙というものを経験したことがなく、また、文字もない人々に「選挙」という概念を浸透させ、実際に参加してもらうのは、大きなチャレンジでした。試行錯誤の末、コミカルな「劇」を演じ、山岳少数民族の方々にも参加してもらうことで、撃ち合い、殺し合いで物事を決める戦時の意志決定から、ひとりひとりが同じ価値を持つ一票を投じることで参加する「民主主義」の概念を伝える工夫をしました。結果的に選挙を無事実施できたこともあり、「妊産婦に対する衛生教育」についても、文化や風習を尊重しながらゴールに近づく有効な方法を考える上で、私自身も経験に基づいて貢献できる可能性があると考えて参加させて頂くことにしました。

 昨年、ラオス議連としても現地訪問をしています。メインテーマは日本からの投資の促進と中国などの投資や経済協力の実態を調べることでしたが、「妊産婦の囲炉裏の上での生活」に質問を絞り、母子保健についても会う人会う人に訊ねました。(私が唐突に質問するのでラオス語の通訳を務めて下さった石川書記官は大変だったと思いますが、とても上手に意図を伝えてくれました!)閣僚や国会議員を含む、影響力のあるポジションにいる方々全員が、伝統的な風習に賛成していることが非常に印象的でした。その多くが女性でした。
 
 日本政府はミレニアム開発目標の達成に向け、進捗が特に遅れている母子保健については、EMBRACE(エンブレイス:Ensure Mothers and Babies Regular Access to Care)という支援モデルをつくり、母子保健に取り組んでいます。私たちは現地の病院を視察し、妊産婦、妊産婦医療に関わる医者や助産婦からヒアリングを行った他、保健大臣、保健分野に知識の深い国会議員との対話を通して問題意識を構築し、何度かミーティングを行った上で、提案をまとめました。特に衛生教育に関しては、保健に関する正しい教育(家族計画の正しい知識、妊産婦健診の重要性、専門的技能者の立会いのもとでの出産の必要性、産後のケアや子どもの栄養など)の普及を目指すとして、下記のような提案をしました。私の問題意識を反映させた部分につき一部を紹介します。


*UNFPAラオス事務所にて薮田美恵子所長と


世代間交流を含めた教育プログラムの実施
古くからある規範や伝統を尊重する姿勢を保ちつつ、科学的根拠に基づく知識や情報の普及・共有に努める現代医療のレベルが格段に優れていないと、風習に基づく人間関係などをトータルで考えた時、「伝統的施術の方がマシ」と判断せざるを得ない。「科学的根拠」を認識できる医療がカバーできる範囲を広げ、少なくとも伝統的な施術との選択が可能な環境作りに寄与する。また、家庭や地域で権限を持つ年長者(特に妊産婦のお母さん)を参加者に含めたプログラムを実施する。


教育のツール
識字率が低いと言われる山岳民族や少数民族の女子や、ラオ語を話さない少数民族の人たちに配慮した紙芝居、漫画、あるいは、地域の方々による参加型の寸劇などのツールを活用する。

少数民族や山岳地域への教育
保健医療施設へのアクセスが難しいといわれている山岳地域を重点的にカバーする教育プログラムの開発、独自の文化や伝統を尊重しながら地域の特性を踏まえた上での教育を実施する。そのためには、住民やコミュニティとの関係が深く、少数民族や社会的弱者に対する活動の経験が豊富なNGOやローカルな組織を支援、またはそれらの組織と連携することにより、その地域特有の課題を踏まえて取り組む。

 報告会では、若者への性と生殖(SRH)に関する正しい知識の普及、保健医療人材育成、特に助産専門技能者育成プログラムの強化、設備支援などについても提案し、さらに、再生可能エネルギーを中心に、コミュニティ電源を提供するための経済協力の必要性についても提言しました。私自身、カンボジアやモザンビークなどで、電気がない地域で生活した経験から、母子保健の飛躍的な改善などhuman development(人間開発)を進める上で、電気の普及は不可欠と実感しています。

 今回の視察は、UNFPAや在ラオス日本大使館の方々、また現地の関係者の方々による大きな支援がなければ成り立ちませんでした。国会議員の視察をコーディネートするのは大変だと思いますが、皆さんには心から感謝を申し上げます。私自身も、山岳少数民族の村を訪問して調査を行うことも含め、今後とも、この問題に、そしてラオスに関わっていきます。



*病院で産科医師、助産婦との意見交換を終えて
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私のストーリーがマンガに!「漫画の新聞」に掲載

2011年09月24日 00時34分20秒 | 政治

 インターネットでニュースを漫画にして配信している「漫画の新聞」というページがあります。その中で「ようこそ先生たち」という政治家の人物リレーがあるのですが、私のストーリーが4回にわたって掲載されました。

阪口直人 第1話

阪口直人 第2話

阪口直人 第3話

阪口直人 第4話


 各県から党派を超えてひとりの議員を選び、生い立ちから政治家を志した理由、そして国会での活動などをマンガにしてまとめたものです。すでに掲載された議員が、別の議員にリレーしていくのですが、同僚の田中美絵子議員と三宅雪子議員がそれぞれに編集担当の方に私を推薦してくださり、和歌山からは私が代表で紹介されることになりました。驚きましたが、ありがたいことですね。私は同僚の「闘う脳外科医」石森久嗣議員を紹介しました。石森議員は慶応義塾大学が社会人チームを破ってラグビー日本一になった時のメンバーでもあります。党内における「ノーサイド」の意味も込めました。

 最初は8回にわたって連載される予定だったのですが、47都道府県の議員を全員紹介するには8回では到底時間が時間が足りません。したがって、私の前の議員の回から、4回の連載へと短縮されることになりました。最初は脚本を見て、明快なストーリーに仕上げて頂いていると思っていたのですが、量が半分になった分、ストーリーがあちこちに飛んで、ちょっとわかりにくくなったかもしれません。しかし、個人の半生をこんなに短いストーリーにまとめるのは至難の業。貴重な機会を頂いたことに感謝したいと思います。


阪口直人政治活動ホームページ
阪口直人国際協力活動ホームページ

阪口直人のつぶやき(ツイッター)

ブログ「もうひとりの阪口直人」




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地元では、ひたすら走る!

2011年09月19日 23時24分41秒 | 政治

 この3日間は、地元活動に専念しています。新しい国会報告を作ったので、民主党の広報カーでマイクを握り、また要所要所では街頭演説をしながら、支援者をまわり、その間は秘書がポスティングをする活動を続けています。

 昨日は紀の川市→かつらぎ町→紀の川市→岩出市と自転車で走りました。真夏の自転車活動に比べると気持ちいい走りでした。私は後ろから来る車、前から来る両方の車の運転手とアイコンタクトしながら走る術を身につけていますけど、昨日は真夏を感じさせる日差しのシャワーの中の活動で、とても眩しく、特にかつらぎ町からの帰りは目が痛くなるほどでした。「手ぇ振ったんやで。ワイのこと、忘れたんかぇ!」と、今日はお叱りも頂きましたが、太陽の眩しさのせいです。ごめんなさい!




 地元活動では、移動は小走り、人を見かけたらダッシュが基本です。短い時間を有効活用するために自然に身についた習慣です。走れなくなったら、私の政治活動は成り立ちませんが、当分は大丈夫でしょう。20代の頃よりも体力の数値は上がっていますからね!
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Global Volunteer Conference 2011 でのスピーチ

2011年09月16日 23時41分17秒 | ボランティア

 今日はハンガリーのブダペストで国連ボランティア計画が主催するGlobal Volunteer Conference 2011で基調講演をする予定でした。残念ながら国会日程が二転三転し、今日、衆議院本会議が開かれることになったので、招待を辞退。昨夜ビデオメッセージを作成し、私自身のスピーチに代えて、ビデオメッセージと原稿で参加することになりました。実際には会期延長手続きをしただけだったので本会議は30秒ほどで終了。拍子抜けでしたが、私の他にもうひとり日本から参加しスピーチをされた日本赤十字社の方が、今から数時間前に流された私のビデオメッセージの感想と写真を送って下さいました。本当にありがたく感激しました。

*ブダペストの会場に流れた私のビデオメッセージ



 会議のテーマはボランティアが紛争の解決や災害からの復興に果たすべき役割、また「現場」で活動する視点で、様々な危機を未然に防ぐため、どのように取り組み、成果を挙げてきたのかを議論することでした。私自身のスピーチの内容は、ボランティアとしての経験、特に国連カンボジア暫定統治機構において、選挙を実施する地域の責任者として山岳少数民族の村で生活・活動した経験をもとに、現地の人々の声を聞き、その心を自分の心とする努力が信頼醸成につながること、また、東日本大震災の後、被災者の方々の生の声を聞くため、身分を明かすことなく、一緒に汗を流すことで得た問題意識を政府につなぐことを目的として、民主党内に「震災ボランティア室」を立ち上げ活動していることなどを紹介した上で、ボランティアこそが、政策決定者と、弱い立場の方々をつなぐ重要な役割を果たし得ることを強調しました。

 原文は英語なのですが、そのまま掲載します。



Keynote Address
By Naoto Sakaguchi
Member of the House of Representatives, Japan
In Occasion of Global Volunteer Conference,
Budapest, Hungary
16th September 2011



Greetings to the organizers, panelists and participants of the Global Volunteer Conference 2011. My name is Naoto Sakaguchi. I am a member of the House of Representatives in Japan. Thank you very much for inviting me for this very important conference to define the future of volunteerism. Please accept my apologies for not being able to be there with you. However, as a life-time volunteer, it is my great pleasure that I am able to be a part of celebrating the 10th anniversary of International Year of Volunteer in 2011. Also taking this opportunity, I would like to express my heartfelt thanks to everybody who has offered support to the people affected by the massive earthquake and tsunami that struck eastern Japan and the accident of the Fukushima Daiichi nuclear power plant.



1. My activities as a UN volunteer, and trust building that only volunteers can achieve
 
My thought regarding volunteerism is based on my own experiences with UNV. It was June 1992, that I applied to join UNV and Mr. Kevin Gilroy interviewed me. Kevin recruited a candidate who speaks terrible English and it became a turning point of my life. Anyway, I started to serve as a UNV Electoral Supervisor under UN Transitional Authority in Cambodia (UNTAC) responsible for coordinating the electoral process with local people who had no experience of elections, since they had no democracy through their long civil war.

In UNTAC, I lived and worked for about a year in ethnic minority villages in Rattanak-Kiri province. Villagers were living deep in the rain forest without running water, electricity or even toilets. What they did have, however, was many landmines and unexploded shells. I lived in one villager’s bamboo house, and started my activities. It was very difficult to gain cooperation from the villagers who had suffered numerous invasions. My activities did not go well in a first place.

One day, I rescued a boy who had been injured in an animal trap, and carried him on my back to our village 20 kilometers away. The boy and his family didn’t express any appreciation directly to me. However, the atmosphere of the people in the village dramatically changed from the very next day. I learnt that the ethnic minority’s language doesn’t have a word to mean ‘Thank you’, since it’s taken for granted that people support each other in such hard living conditions. But the family visited all houses in my village to express their appreciation to me. People’s attitude toward UNTAC then became very cooperative, and our voter education activities went very smoothly after that. This is the experience that has brought me to the insights that I want to share with you today.

The region I was responsible for produced outstanding results in the election in May, with an almost 100 % voting rate. I believe that trust building with villagers was a key to achieve this result, and I believe that this experience shows that volunteering is one of the most valuable means of building trust.

Unfortunately, our success came with a painful cost. In April 1993 just one month before the election, Atsuhito Nakata, who had been my room-mate during the 2 month orientation in Phnom Penh, was shot and killed during his service.

I would like to let you know what happened after his death. People congregated at the place where he was killed, and a village was formed there. Atsuhito was known as Atsu, and the meaning of Atsu in Khmer is “a person who has overcome difficulty.” The village came to be called Atsu village.

Atsu’s father, Mr. Takehito Nakata decided to follow Atsu’s footstep and dedicated his life to promotion of global volunteerism. He established the Atsuhito Nakata Memorial Foundation, and was designated as one and only UNV Honorary Ambassador. He is the person who originally proposed marking International Year of Volunteer in 2001. His activity was supported by people from all over the world and, Atsu village had a school, a hospital and opportunities for self help. Atsu’s physical life was lost, but his spirit for peace is still alive and giving hope to the most vulnerable people.

I think that these experiences show something extremely important. They show that respect for others, especially respecting the small voices of the most vulnerable members of society, must lie at the very base of all that we do. We really have to try hard not to miss hearing voices especially from women, children, and minorities. Mutual respect must be on the basis of democracy in order to ensure that democracy reaches its full potential. It must also be the basis of trust building for conflict resolution and conflict prevention. And volunteers, sharing their lives with people, are in a better position that anyone can access the real voice of the people and build mutual respect and trust.

2. Volunteerism in Japan after the Great East Japan Earthquake

In response to the Great East Japan Earthquake and subsequent tsunami disaster on March 11th, most of the people in Japan and international community have expressed their volunteerism in many ways such as donation, provision of emergency items and disaster volunteering on the ground. Despite the remoteness of the disaster affected areas, some seven hundred thousand people in total have joined disaster volunteering so far, which is really impressive and inspiring. Comparing with the case of the great Hanshin Awaji Earthquake in 1995, while the total number of volunteers mobilized in Hanshin earthquake still exceeded over the case of March 11th disaster, the total number of volunteer mobilized during 4 and 5 months after the March 11th disaster exceeded over the case of Hanshin earthquake. Hundreds of wonderful individual volunteer stories have been introduced by media every day and some of them were introduced globally.

Apart from the total number of volunteers and individual volunteer stories, what has not yet been fully introduced to the people in the world are the government’s recognition of disaster volunteering, the volunteer coordination and management mechanism which has been developed after the Hanshin earthquake in 1995 and multi-sector collaboration.

First, in response to the disaster, Japanese government expressed the recognition of disaster volunteering and counted on the power of disaster volunteers. Prime Minister immediately appointed the special advisor on disaster volunteering and established the volunteer coordination office in the Cabinet secretariat. Also, I took an initiative to establish the Office for Volunteers in Response to the Earthquake within the Democratic Party of Japan with the members who thought volunteering is the best way to understand the actual situation by which the best recovery policy measure can be formulated. First, we collected the information necessary for emergency aid. This was followed by the provision of emergency aid, and then by activities to clear off mud and rubble. Now we actively deal with a variety of activities in order to help people recover their lives. At the same time, the Office for Volunteers has provided the members of the Diet and secretaries with an opportunity to volunteer at the disaster affected area without showing their positions.

Second, the coordination mechanism for volunteering which has been developed after the Hanshin earthquake in 1995 was put into practice in response to the March 11th disaster. Due to the total of some 1 million volunteers mobilized to respond to the Hanshin earthquake, the year of 1995 was regarded as a turning point in the emergence of volunteerism as a major form of civic engagement. On the other hand, Japan has learnt the importance of volunteer management for the effective emergency and recovery assistance.
In this regard, volunteerism has been well integrated into Disaster Measures Basic Law and Basic Disaster Prevention Plan, which spell out a framework for disaster-related volunteer activities. Based on this, government and local public authorities have collaborated with volunteer involving organizations and developed the capacity of disaster volunteering management through the experiences in response to the numerous natural disasters every year. This highly developed mechanism of disaster volunteer management was put into practice immediately after March 11th disaster. 80 disaster volunteer centers were immediately established by the local Council of Social Welfares supported by the Japan National Council of Social Welfare. Through those disaster volunteer centers, the needs were identified and matched with the total number of 700,000 volunteers.

Third, the damage caused by the earthquake and tsunami and wide-range of needs of assistance for emergency relief and recovery were actually beyond capacity of the planned operations of the disaster volunteer centers. To address this, variety of collaboration with different organizations, sectors and means have been witnessed. Several organizations including local authorities outside of disaster affected areas, labor union, international NGOs, Japan Red Cross society provided the disaster volunteer centers with human resources to support their expanded operations. Over 700 CSOs including domestic volunteer involving organizations and international NGO amazingly worked together to form a wide-ranged coordination network called “Japan Civil Network for Disaster Relief in East Japan (JCN).” JCN has organized the regular meeting with the Volunteer Coordination Office of the Cabinet secretariat and other related ministries and agencies. JCN also has promoted public-private collaboration.

Finally I would like to highlight some of the newly emerging disaster volunteers. Corporate volunteers have made the great contributions to the emergency and recovery assistance. A large number of corporations have deployed corporate volunteers in organized and sustainable manner, which helped the disaster volunteer centers tremendously in bridging the coordination gap derived from the unpredictable and unstable participation pattern of individual volunteers. They utilized their dormant volunteer holiday systems for the first time. Private corporations including travel agencies, academic institute and local authority provided the disaster volunteers with so called “volunteer bus” taking them to the disaster volunteer centers in an organized manner. New communication tools such as website and social media tremendously facilitated the information sharing and actual coordination between volunteers and assignments.

I would also like to mention the great success of multi-sector volunteer centers and CSR activities by lots of private corporations. Collaborating with different sectors, volunteer activities have moved forward. Japanese volunteer activities have played an important role in the response to this earthquake and have given hope and courage to those who were affected by this massive disaster.

3. Conclusion

Through our volunteer activities in Tohoku, we heard the voices of the most vulnerable people and gained much insight. Based on my disaster volunteer experience, I am now envisioning a future eco-city creation in Tohoku. The plan is to re-build the Tohoku region as a sustainable society with recyclable energy and new employment. Through the experience of the disasters including the accident of Fukushima power plant, I think a paradigm shift has been occurred in relationship between the people and society. Since the disaster, we Japanese have often used the word “Kizuna” which means a bond of friendship or a tie that binds people together. Volunteerism is in the heart of the new sustainable society which I envision.

Volunteer activities strengthen the trust and solidarity between volunteers and the people in the disaster area. Volunteering also inspires the people toward the recovery from the disaster and the reconstruction of the society. Volunteers can work with people in need closely, and contribute their own skill and knowledge in their own way. At the same time volunteers can learn and grow as persons who can contribute to the peace and development of the world. Focusing on people is what is most important for achieving a sustainable future.

If we stay only in the Diet building, or work only at UN HQ, we never reach the reality of the world that the most affected people are facing. To create a better future, we need to uphold social equity and justice. I believe, volunteers, specifically volunteers working in the field, can be the bridge to connect policy-makers to the reality of the world.

Today, I introduced how the mechanism to facilitate effective disaster volunteering has been developed in Japan and how it worked in responding to the March 11th disaster and what were the challenges and how Japan addressed and overcame them so that the volunteerism of the half millions of people have effectively delivered to the people in need. The knowledge and experience of Japan in this regard should be shared globally especially with the participants of the Global Volunteer Conference in order to achieve the priority of action spelled out in the Hyogo Framework of Action towards achieving sustainable and resilient society globally.

In this regard, as a policy maker who strongly believes the value of volunteerism in all level, I would like to strongly support the achievement of sustainable society of which volunteerism is in a heart and the initiative to support to develop an enabling environment to explore the full potential of volunteerism for the sustainable society.

Thank you very much.
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野田佳彦総理大臣の所信表明演説-日本人の精神の気高さ

2011年09月13日 23時18分10秒 | 政治

 今日、臨時国会が開幕。野田佳彦総理が所信表明演説を行いました。ひたすら「正心誠意」訴えた感動的な演説だったと思います。

 私の心に特に響いたのは、この国難の中を生きる私たちが、決して忘れてはならないものとして、大震災の絶望の中で示された日本人の気高き精神についてふれた箇所です。今月の初め、中国の南寧で「アジア政党会議」に参加したのですが、苦しい時にこそ支え合う日本人の精神の気高さ、困難の中で示された絆が、世界の人々を驚かせ、強い印象を残したことを改めて知り、誇りに体が震えました。


*写真上 アジア政党会議でモデレーターを務める私。最近あまり機会がなく、英語で議事進行をするのは大変でしたが、開発の成果の分配について、熱い議論が展開されました。



*写真上 日本への共感を熱く熱く語ってくれたメキシコ人参加者。「日本人と友達になれて嬉しい!」と握手を求めてくれました。


 今日の野田総理の演説でも、南三陸町の防災職員として、防災庁舎の無線機を通して住民に高台への避難を呼び掛け続けた遠藤未希さんの声に勇気づけられ、救われた命が数多くあったこと。恐怖に声を震わせながらも、最後まで呼び掛けをやめず、津波に飲まれ、帰らぬ人となった若い女性の勇気と使命感を讃える言葉がありました。危機の中で「公」に尽くす覚悟。そして、互いに助け合いながら、寡黙に困難を耐えた数多くの被災者の方々。日本人として生きていく「誇り」と明日への「希望」についての言葉に心が熱くなりました。

 今日は、和歌山県知事と共に藤村官房長官、樽床幹事長代理、川端総務大臣、平野防災担当大臣を訪ね、迅速な予算措置を含む国の支援をお願いしました。4日間にわたって被災地を訪問する中で、津波の被災地を思わせるような惨状の中で懸命に支え合う被災者、そして復旧活動に力を合わせる人々の姿を目に焼き付けましたが、その一人が、那智勝浦町の寺本真一町長です。結納の日に娘さんが濁流に飲まれ、今日は奥様が遺体で遺体で発見されました。家族を亡くされた痛みを抱きながら、豪雨対策の陣頭指揮を執り続ける寺本町長についても言及があったこと、一緒に寺本町長に面会した立場から、とりわけ嬉しく思いました。

 今月15日~17日にハンガリーのブダペストで国連ボランティア計画(UNV)が主催するグローバル・ボランティア会議があり、私は日本の代表としてスピーチをすることになっていました。残念ながら臨時国会が16日までなので、16日にスピーチを行う予定だった私は行けなくなってしまいましたが、その中では、私自身も様々な困難の中で示された日本人の気高い精神についてふれるつもりで原稿を書き上げていました。この会議はカンボジアで国連ボランティアの任務中に亡くなった中田厚仁氏のお父様、中田武仁氏が提唱した「国際ボランティア年2001年」の10周年を記念して行われるもので、UNV出身で、中田厚仁氏とはカンボジアでの活動仲間だったこともあって、私が基調講演を行う予定でした。寺本町長の姿は、息子・厚仁さんを亡くした悲しみを抱きながら、息子の意志を継ぐために自らボランティア活動を続けた中田武仁氏の記憶と重なります。このことも、原稿の中に入っていたのですが、こちらは幻になりそうです。

http://homepage2.nifty.com/naoto1016/garally/atsuhito.htm(中田厚仁さんと桜の思い出)



*写真上 今日はキルギス議連の総会も行いました。キルギスにおける「民主化支援」の意義について語る私 


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私の選挙区での被災状況を調査

2011年09月10日 23時14分45秒 | 政治

 今日は、私の選挙区(和歌山2区)の被災地を歩き、周辺の方々にお話を伺いました。


 写真①



 私の父が育った家の前で。子どもの頃、私自身もよく川遊びをした海南市野上新の貴志川の様子です。「山橋」の下の部分は護岸工事がされていましたが、コンクリートの部分が粉砕され、周辺はなぎ倒され流された木々が散乱していました。


 写真②



 紀の川市の市営住宅にて。かつて挨拶まわりで訪問したことがありますが、今回の台風では1メートル近くも浸水し、部屋の中は水であふれていたそうです。悲嘆にくれながらようやく片づけ終わったばかりとのこと。衛生状況への懸念から、扇風機を回して床下を乾かしていました。この後は避難所へ移動し、市への要望事項、また、国として可能な支援方法について話し合いました。


 写真③


 
 午後は自転車に乗って被災地をまわりました。自転車での訪問は誤解されることもありますが、こちらの身元が明らかなので、多くの方が要望や苦情、激励の声を掛けてくれます。紀の川市の桃源郷マラソンや消防出初式などで何度も使った河川敷の野球場はバックネットが傾き、流木や草がからみついていました。土が入り整備されていたグランドも、まるで川底のようになっていました。


 明日は再び和歌山南部、そして三重県の被災地を視察予定です。

 


  
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野田総理とともに台風12号の被災地を視察

2011年09月09日 21時54分44秒 | 政治

 今日は野田総理が和歌山県那智勝浦町の被災地を視察。私も同行させて頂きました。

 ペリコプターからの視察を終えた野田総理は、まず、那智勝浦町役場を訪れ、仁坂和歌山県知事や、台風12号で長女を亡くした寺本那智勝浦町長、さらに田岡新宮市長と面会。被害状況、その後の対応について報告を受けました。仁坂知事は「国は完璧な対応をしている」と評価。一方で、道路等については、完璧に直せと指示しているとし、その費用についてはできる限り国に支援を求めました。

 野田総理の訪問で印象的だったのは、寺本町長に対する言葉でした。「ご家族を失われ、深い悲しみを抱きながら、陣頭指揮を執る姿。心中を察し、深い感銘を覚えています。リーダーとしてあるべき姿として大変感動しています」このような温かい言葉で、悲しみをこらえ陣頭指揮を執る姿に尊敬の意を示しました。


那智勝浦町役場で説明を受ける(民主党HPから)

 その後、災害対策本部の置かれている那智勝浦町川関地区にマイクロバスで移動し、周辺を視察しました。本来は、大きな被害を受けた世界遺産地域にまで入り、住民との対話することも考えていたようですが、多くの関係者や報道陣が同行しての訪問が、一刻を争う捜索・救助活動を妨げる可能性を考え、今回は自粛したと聞いています。


災害対策本部から視察に向かう(民主党HPから)

 今日はもともとは大雨の予報で、土砂ダムが決壊する危険性も指摘されていました。幸い、日中は晴れましたが、まだまだ予断を許しません。私自身は、野田内閣への移行により、外務委員会、決算行政委員会に加え、災害対策特別委員会に所属することになりました。明日は地元で活動しますが、明後日にはさらに細部にわたって調査・政策提言を行うべく、再び被災地に入ります。
 

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台風12号の被災地への対応

2011年09月08日 10時22分57秒 | 政治

 紀伊半島を直撃した台風12号によって多くの被害が出ています。

 犠牲者のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族、被災された皆さまに心からお見舞い申し上げます。

 私は民主党からの派遣で「アジア政党会議」に出席するため中国の南寧にいたこともあり、私自身の動きは制約されてしまいましたが、できる限りの情報収集を行い、電話等で連絡を取りながら、和歌山2区としての対応を急いでいました。被災地の痛ましい様子は中国のテレビにも大きく報道されていました。一方、岸本周平和歌山県連代表、そして最も被害の大きな紀南地域を選挙区にする玉置公良衆議院議員が迅速な対応をしてくださり、平野防災担当大臣、阿久津内閣府大臣政務官に現地に入って頂いた他、平野防災担当大臣を団長とする政府視察団が和歌山県に入っています。また、9日には野田総理も和歌山県、奈良県の被災地に視察に入ります。

 すでに、和歌山県は災害救助法の適用対象になっており、(9月2日)、和歌山県知事の要請により、自衛隊が広範囲に展開しています。

 昨日、中国からの帰途、飛行機から見た景色は、川から流れ出した泥水が見たこともないほどの広範囲にわたって海を黄土色に染めていました。

 私自身も今日から被災地に入り、玉置代議士をサポートしながら、政策提言につながり状況把握とニーズ調査を行います。
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