阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

「造反議員」自民復党問題

2006年11月30日 00時22分44秒 | 政治

 昨年の総選挙における自民党「造反」議員の多くが復党するようだ。

 彼らが郵政民営化に反対した理由は、民営化の中身に反対した民主党とは全く異なっている。しかし、断固として自分の主義主張を貫くのであれば、それは郵政民営化に反対の立場に投票した有権者への、筋の通った態度と評することもできるだろう。

 しかし、自民党に戻りたいがために、自らの政治的信念を簡単に曲げてしまう姿。そして、来年7月の参議院選挙で「造反議員」の支援票を得るために昨年の衆院解散→総選挙の前提を曲げてしまった自民党指導部の変節ぶり。ここには国民不在のまま利権を追求する姿だけが見え隠れする。全く茶番と言う他はない。

 「刺客」候補を立てながら造反議員を復党させるなら、衆議院を解散し、昨年の総選挙で貴重な一票を投じた有権者に、その是非を改めて聞くことが必要ではないのだろうか。

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民主党「足柄支部」創設

2006年11月26日 21時18分56秒 | 政治
 本日は、私が所属する民主党神奈川県第17区総支部の「足柄支部」創設準備を行いました。

 極真空手の上席師範で歯科医師でもある瀬戸利一氏(民主党・南柄市議会議員公認候補)の自宅&診療所の一角にある50坪ほどの倉庫が事務所です。10人以上の党員や支援者の方々と一緒に倉庫の整理・改造をしました。昨年9月の私の選挙を支援して下さった時の音響設備やポスターを貼る掲示板、さらに空手のサンドバッグ、趣味の日曜大工やアマチュア無線の備品が足の踏み場もないほど山積みで、大変な作業でしたが、丸一日かけて、ようやく事務所らしくなりました。この事務所は神奈川17区の中で、特に足柄上郡(松田町、大井町、開成町、山北町、中井町)および南足柄市における活動の拠点になります。

 事務所創設祝いの食事会には、瀬戸孝夫・山北町長も駆けつけて下さいました。今日は山北町で「丹沢湖マラソン」があり、瀬戸町長は入賞者を表彰した他、自分自身も5キロの部に出て、60歳以上の部で約90人の参加中24位に入る快走を披露しました。ただ、去年は24分台半ばで走ったのに、町長就任以来の忙しさもあって今年は約1分半タイムが落ちたと悔しそうでした。8位以内に入れば表彰されるので、ぜひ来年は「自分で自分を表彰する」快挙を見せてもらいたいものです。

 私も去年ハーフマラソンを走ったのですが、練習不足がたたって散々な出来(1時間46分01秒)でした。今年はリベンジを誓っていたのですが、神奈川16区補欠選挙の時に転んで捻挫した右足の状態が万全ではなく、参加できなかったのが残念です。


写真:民主党・足柄支部前にて

 
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統一地方選挙に向けて

2006年11月22日 20時25分53秒 | 政治
 昨日は、神奈川17区総支部事務所で会議を行い、安藤慶県会議員と、俵鋼太郎小田原市議会議員候補者と今後の活動の方向性について話し合いました。

 私が総支部代表として活動を開始した2003年時点では、民主党所属の地方議員は誰もいませんでした。しかし一昨年、現役の山北町会議員である茂木猛氏が最初の仲間として参加してくれました。さらに、幹事長としてサポートしてくれた俵鋼太郎氏が小田原市議会議員への出馬も決定。また、以前、このブログでも紹介した、極真空手の師範で歯科医師の瀬戸利一氏が南足柄市議会議員に立候補することになりました。

 さらに、現役の県会議員である安藤慶氏(秦野市選出)も民主党所属になり、来年4月には合計4人が民主党の旗を掲げて神奈川17区から立候補することになります。4人全員の当選を目指し、私も出来る限りのサポートを行うつもりです。

 地域での民主党のプレゼンスを高め、政権交代を実現するためには何と言っても民主党所属議員の数を増やすことが必要です。また、地域の政治を活性化するためにも、地方議員の数を増やしていかねばなりません。我こそはと思う方、興味のある方は、ぜひご連絡下さい。


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「ベルリンの秋」

2006年11月17日 23時37分30秒 | 日常
 今回はベルリンにも立ち寄りました。

 私が「民主化支援」という分野に関わるきっかけ、それは、1989年11月9日、共産党独裁政権の打倒と民主化を求める人々が起こしたうねりによって、ベルリンの壁が崩壊するプロセスでした。人生の大きな転機を生み出したベルリンという街を知っておきたいと思い、コソボでの制憲議会選挙監視(2001年11月)や、ドイツでの妹の結婚式(2002年11月9日)の後に、友人を訪ねて滞在しました。

 3度目の今回も11月。春江一也氏が書いた「ベルリンの秋」の舞台を巡って歩きました。私は、前作『プラハの春』以降、春江氏の作品に心酔し、どちらも3回ずつ繰り返し読みました。「プラハの春」は、筆者が在チェコスロバキア大使館に勤務した経験をもとに、「プラハの春」と言われた1967年の民主化運動に伴って展開する人間ドラマを描いた作品です。人々の希望がソ連軍の軍事介入によって無残につぶされる過程が、日本人外交官と旧東ドイツの反体制活動家の女性との禁断の恋を交えて綴られています。

 一方、「ベルリンの秋」は、1969年からベルリンの壁崩壊までの約20年間を、東西ベルリンを中心に、モスクワ、日本、さらにアフリカのアンゴラやモザンビークまでも舞台として壮大に描いた本です。社会主義が崩壊するまでのプロセスを、人々の熱い思いや権力の恐ろしさともに克明に描きながらも、資本主義社会の哀しい現実にも触れ、広い意味で考えさせられる作品です。

 マルクス・レーニン主義によって生まれた共産党一党独裁が、いかに独善的で人間性を奪うシステムであったか。しかし、そんな中でも、前作「プラハの春」のカテリーナをはじめ、自由と尊厳を守るための闘いに身を捧げた人たちが大勢いたことに、何よりも勇気づけられました。「マルクス・レーニン主義はペテンなのだ!」と看破し、ソ連の近い将来の崩壊を歴史的必然! と断定する秘密警察「シタージ」のベーナー次官の言葉は、日本における政権交代の必然とオーバーラップして私の心に響きました。

 このシリーズは、私にとっては、プラハとベルリンを歩く特別なガイドブックでもあります。幼いシルビアと亮介が待ち合わせをしたカレル橋のフランシスコ・ザビエル像、そしてカテリーナが悲劇の死を遂げた旧市街広場に、時代に翻弄された彼女たちの面影を感じました。また、ベルリンでは、シルビアと亮介が再会したアレクサンダー広場や、ベーナー次官が非情な体制に挑む孤独な闘いの拠点にもなったペルガモン博物館、さらにベルリンの象徴であるブランデンブルグ門周辺を歩きながら、現実の町並みと交錯する登場人物の鼓動に思いを馳せました。おかげで町を歩く楽しみは何倍にもなったように思います。

 私も、このような作品をいつか書いてみたいものです。

 
 写真:ベルリン・ブランデンブルグ門を背景に(ちょっと暗くてごめんなさい)

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ハーフの子供と日本の未来

2006年11月16日 11時59分59秒 | 日常
 ご無沙汰してしまいましたが、皆さん、如何お過ごしでしょうか。

 ドイツに住む妹が2人目の子供を出産したこともあり、10日ほど現地を訪ねていました。妹は環境工学の研究者で、ドイツ人のパイロットと結婚したこともあり、もう6年間、ドイツに住んでいるのです。

 3歳になる最初の子供には、会うたびに警戒されるのが大変なショックでした。また、母も下の妹も、さらに父まで名前に「ちゃん」を付けたニックネームで呼ばせているのに、私だけが「おじさん」と呼ばれることも納得できません。従って、今回はドイツでの家庭生活に密着して過ごしました。絵本などを買い込んで歓心を買い、一緒に遊んだり幼稚園の送り迎えに行ったりして、子供とも打ち解けることができました。

 それにしても、ハーフの子供が成長する過程はとても面白いですね。3歳になる最初の女の子は、70%ぐらいは白人の子供のような顔立ちで、最初に見た時は、妹が産んだ子供だとは信じられないほどでした。でも、日本について学ぶごとに、時おり見せる表情の中に日本的なものが増えていくようです。もっとも性格は、ドイツのお母さんに似ているようですが・・・。

 2人目の子供は、「アジアの美しさを知る」女性に育つこと、そして、たぶん、妹がもう少し自分に似た子供になることを願って、美亜という名前をつけたのですが、生まれた時の顔立ちは最初の子以上に白人的なようです。まだ性格はわかりませんが、奥ゆかしさを感じるところなど、何となく私に似てくるような予感もしています。

 今回、最初の子供が日本語とドイツ語を巧みに使い分けているのが印象的でした。妹夫婦は、将来、子供たちが日本、ドイツのどちらでも生きていくことができるように、かなり厳格に教育する方針のようなのです。大人になった時に、どちらを選択するのか。国政を目指す身としては、どうすれば、日本がより魅力的な国になれるのか、考えてしまいます。

 ドイツの田舎町は本当に美しく、環境や文化に配慮しながら、人々が健康的に生活できるような空間を大切にする精神が人々に根づいています。しかし、ナチス時代の教訓で差別ばかりか競争までも過度に排除した政策の影響か、経済のダイナミズムはあまり感じられず、ドイツ語が話せない移民の増加が社会問題する一方で、優秀な人材が外国に流出する事態も問題になっています。一方で「強いドイツ」復活への期待が、右翼的な政治行動へと飛躍する危険も秘められているようです。
 
 少ない若者が大勢の高齢者を支える社会構造が将来さらに進行する日本。移民政策の方向性が、この国の未来を決めると言っても過言ではありません。特に、知的労働に従事する、または目指しているアジアの人々にとって魅力的な国になれるかどうかは、日本社会のダイナミズムを生み出す最大の鍵だと思います。

 自由競争を促進し、経済の活性化を図りながら、生きる喜びを創造するにはどうすれば良いのか。成功例、失敗例も併せ、ドイツの政策は日本にとってのモデル、そしてライバルになることでしょう。子供たちの成長を見守ると共に、その良い点を学び日本の政策にも反映させることも、重要な目的になりそうです。  

  
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