目覚め 悟り 非二元 だからなに?

悟りの「お話」はもういらない

美人は三日で

2017-04-14 00:19:01 | 日記

美人は三日で飽きると言われて、鵜呑みにする人。

納得、実感する人。

疑う人、否定する人。

飽きるか飽きないか議論する人もいるでしょう。

でも

そんなものに真実とか答えなんてありません。







言葉の背景を考えたり想像する事も大切ですね。

つまり誰がなんの目的で「美人は三日で飽きる」と言ったのか?

そこを考えると飽きるか飽きないか、なんて議論がいかにアホらしいか気づいてもらえるのではないでしょうか?

またその言葉の背景に何を見るかも人によって違う事でしょう。

あなたはどんな人がなぜこう言ったと想像しますか?





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目覚めている、気付いている

2017-02-13 00:22:53 | 日記
前回の話では、私達が受けた教育も社会の常識もスピリチュアルも一種の洗脳だと言いました

そして洗脳が解けることが目覚め と表現しました

今回はここを深く掘り下げてみましょう

よーく考えてみると全く洗脳されてない状態ってどんなん?って、思いませんか?


(洗脳という言葉の指すところを広い目で見ての話ですが)

一般常識、学問、宗教、スピリチュアルなどなど…

何かの影響を全く受けてなくて、それ自体が単独で成立している完全オリジナルの観念や価値観や考え方なんてあるわけないですよね

「私の」だと思っていた考えや価値観もいつかどこかで植え付けられたり影響を受けたりあるいは選択したりしながら変化してきた「厳密にはオリジナルではないもの」です

完全独立型のオリジナルがないってのは私はいないということでもあります

逆に「私はいない」というのは

「関係性」で成り立っているということですね


関係性ってのは因果や縁起とも言えますし、感謝にも繋がっていく話なのですが今回はそこまで話を広げないでおきます

とりあえず「私はいない」というそれ単体のメッセージは人に伝える意味も実用性も薄いと思うのでこのような解釈がいいんじゃないかと思います



で、本題の方に戻りますと

つまり洗脳から目覚めるとは言っても完全独立型のオリジナルはないわけですから、何らかの観念をまとっている事に違いはないんですね

目覚めていても何らかの概念や価値観や考えをもってはいるわけです

では目覚めているかそうでないかの決定的な違いとはなんでしょう?

それはつまり

なぜ自分がそう考えてるか

なぜ自分はそうしているのか

「気付いてない」こと

無意識的でロボット的であること

それが眠りであり洗脳であり

無明であり無知でありエゴであるわけです




自分がなんのために何を考えてるのか

なぜそうしているのか

「気付いている」

意識的であること

それが目覚めているということ



大して難しい話じゃないでしょ?

これがわかれば玉石混じったスピ情報に混乱することもないはずです

例えば「エゴを落とせ」とかその手の話にも惑わされなくて済むでしょう

エゴの動きに気付いていればいいだけ

「気付いて取り込まれなければ、その時点もうエゴ(無意識的、無知、無明、ロボット)ではないから」

シンプルで無理がないでしょ?


エゴと戦っても勝ち目なんてあるわけないし、エゴを落とそうという意図がすでにエゴですからね

だから「エゴがエゴが」と騒いでる人が結局は一番エゴいんすよね





「あ、今ちょっぴり見栄張っちゃったな」

「あ、今ちょっとムキになっちゃったな」

「あ、これが私のキャラなんだな」

とか

そんな風に気付いて

それらに呑まれないでいれば

とりあえずはそれでOK


呑まれたら負け、呑まれたらエゴ、無意識的、ロボット的ということ

エゴや苦しみに関してはそのように気付いて

結局は「受け入れる」より他ないです

この場合「受け入れる=乗り越える」なんですよ

「こういうもんなんだな」と受け入れられれば

無駄な葛藤はなくなるでしょ?

苦痛や悲しみ、それ自体消えてなくなるわけありません

それにまつわる余計な葛藤、心のきしみが無くなる

これが「楽になる」って言われてるヤツです

ですのでこれは「エゴを落とすな、怠惰になっていい」という話ではないですよ

あなたのキャパシティ次第ということです

(あなたが自分のキャパシティをどう認識しているか?によります)

キャパシティのない人ほど「エゴだ、落とさなきゃ」と強い拒否反応(反応=無意識的、エゴ)を起こすという訳なのです

(ほんとは誰でもキャパもってんだけどね、気付いてないだけ。キャパを大きくしようと力む必要もない、やたら力むのもエゴ)



さて、エゴに関する話が長くなりましたが、これは目覚めている、気付いていることの実用的な部分ですね

特にややこしいところはなく、当たり前っぽい話じゃなかったでしょうか?

深く気づいていくほどにシンプルで当たり前の話になる、そのように私は実感してます

あなたの情報整理のお役に立ててたら嬉しく思います

今日はこれでおしまい

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なぜ「悟りの話はもういらない」のか?

2017-02-10 17:38:10 | 日記
なぜ悟りの話はもういらないのか?

悟りオタクになってもしゃあないからです

そうなると目覚めるというより新しい夢の世界へ没入するようなもの

そうなりたくないし、読む人にもそういう影響を与えたくない




私達は国が定めた教育方針や社会の常識の中で、ある意味で洗脳を受けてきたと言えるでしょう

スピリチュアルの功績のひとつはそれが洗脳だと気づくきっかけを作ったところだと私は思ってます

その反面、罪なのは新たな洗脳を蔓延させてしまうところではないかと思います

洗脳に気づく、そういう目覚めでなければ

何をしているのやら訳がわかりません




「いまここ、ただ在る、何もおこってない、私はいない、ワンネス、全てはひとつ」

脱スピ派の人なら「地に足つけよう」とか

導きの言葉は単なる情報として受け売りのように横流しされ



すでにスローガン化され陳腐化してます





そもそもなぜそのようになってしまうのか考えたことありますか?

それはおそらく




答えだけを知ろうとするから




例えばあの世や死後の世界、生まれ変わりに興味を持つ人がいます

誰かの話を信じる人は結構いますけど

そもそもなんでそれを知りたいのか?

知りたがっている自分を疑ってみる人は少ない

それを知ってどうするの?


ちょっと幼稚な例えになりますが↓

「こうしたら天国に行きます、こうしたら地獄に行きます」

みたいな事が明確になった、検証され確認されたとします

まあ仮にねw

先にそれを知ってから

生き方や姿勢を決めようという打算がない?




魂を磨くとかそういう話にしても

今回の人生を努力に費やしても「あの世と来世で二度オイシイ」的な打算が隠れてないかい?

悟りにしても、それが得られれば苦しみとかチャラにできて

億万長者にはなれなかったけど、きっと絶対不変の幸福が手に入るんだ

そっちのが得なんだ

そのほうが素晴らしいんだ

楽になれるんだ、楽になりたい

みたいな打算ありません?





こういう言葉がありました

「朝に道を聞かば、夕べに死すも可なり」

簡単に言うと真理さえ得られれば死んでもかまわない、そんなような意味らしい

それくらい真理が崇高なもので、それを知らずに生きる意味などないと思っていたんでしょう


甘えてんじゃねーよw

なーにが孔子だ、アホか




「この道を行けばどうなるか?



迷わず行けよ、行けばわかるさ」

そんなアントニオ猪木さんの言葉の方がはるかに立派だし、心に響くものがあるじゃないか…と思うのです




さて、なんだか話がとっ散らかってきた気もしますが

そもそもなんで?

それを知ってどうするの?


という問いを自分に向けることが今回のポイントです

いまこことかただ在るとかそんなもんどーでもいい

今読んでるこのブログもどーでもいい

あなたがそのように自問しなければ答えなんてどこにもないからです

悟り体験なんてないですし、あろうがなかろうがどーでもいい


今日はこれでおしまい





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それを体に取り戻せ!

2017-01-23 21:08:07 | 日記
目覚めとは…悟りとは…真の自己とは…真理とは…

それらを探求する事

考え続けたり、語り続けたりする事


早い話、これ全部エゴ

全部ひっくるめて頭の中の

仮想空間の中で起こっている事

その中で体験的な理解が起こらないのは当然の事なんですね


頭に偏りすぎた意識の重心を体に取り戻す必要があると思います

その為の実践的な手法はまず呼吸に意識を向ける事です

呼吸が肺からお腹、さらには体の内側の隅々まで染み渡っていく「感触」をリアルに感じとるのです

インナーボディーという表現がそれの事だろうと私は実感しています

そうした体感を研ぎ澄まし、意識の重心をハラの方に取り戻していくのです

今はちょうど寒い季節なので体を冷やさないように注意が必要です

あなたの体の中に「命のぬくもり」をしっかり感じとる事がとても大切です

呼吸と血流が体の内側を巡ってゆくような「感触」

この感触は研ぎ澄ましていくうちに気が少しわかるようになったりする人もいるかも知れません

これに関して役立ちそうなサイト→気功の穴 象気功

ブログ主は2、3ヵ月実践してホントに気がわかるようになりました(少しだけね)

他にもラジオ体操やヨガ、散歩やストレッチなどでもよいので、体をほぐし体を感じる事をやってみるのもよいと思います

まあ今回の話の要点は



体験的な理解を求める段階にきたのなら


もう頭の中の仮想空間から出てきて


感じとる為のツールとしてのその体を


内側からしっかりと感じとる


その体感、感触、ぬくもり、が薄れた状態では


体験的な理解の起こりようもない、という話です


この際に誤解してはいけないのは、このブログで繰り返し伝えてきた事ですが

神秘体験など求めないこと

それは夢や幻覚と変わらないものである

そこを勘違いして自らを覚醒者だの悟り人と認識して

舞い上がってしまう人にはならないで欲しい



体得したもの、体験したものを

再び頭の中の仮想空間に持ち帰り

自我の装飾品にしてはいけない


こういう落とし穴がある、とおぼえておいて損はありません

正直なとこ、ブログ主はそんな失敗経験があったりするんですねwだから少しも偉そうなこと言えた立場ではないんですが…


とにかく頭の中の仮想空間から

あなたの生命力の重心を奪い返しましょう

不安や恐れから体がまいってしまう(鬱病などは最たる例)

これは仮想空間がリアル空間(いまこことカラダ)を図々しくも支配してしまっている構図です(厳密には支配できてはいませんが)

この話がピンときた人は

頭の中の仮想空間へ

反撃の狼煙をあげようぜw



いや…冗談ですからねw

実際にはもちろん戦いなんて起こりませんし

仮想空間のシュミレーション能力はこれからも活用していきますが


あえて戦いに例えるならば

その戦いは「いまこの瞬間」

という一瞬にして終わると表現できます




なんか思いついてダダダっと書いたので上手くまとまってないかもしれませんが

呼吸、血流、体の内側、ぬくもり

これらが今回の最も大切なキーワードですよ

今日はこれでおしまいにします

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目覚めてますか?

2017-01-20 22:19:56 | 日記
目覚め、という言葉からは色んな意味の話が出来ます。

今回は普遍的な意味での目覚めの話です。

シンプルに言うなら

何かに目覚めるのではなく

迷妄から覚める

洗脳が解ける



ような方向の目覚め。

そうした目覚めからは以下のような事がチェックできるようになるかと思います。

この考え方をどうして採用したんだろう?

この価値観はどうして採用してたんだろう?

なぜこれを信じてたんだろう?

なぜそうだと結論づけれるんだろう?

確かな情報もないまま、どうして私の世界観はこのように出来上がっていたんだろう?




1から自分の頭で考えただろうか?

1から自分で選択して行動しただろうか?


目から鱗が落ちてスピに目覚めた、その場合の目覚めは新しい鱗に覆われる事になりがちです

いつまでも悟り、いまここ、ただ在る、全ては夢、とか同じような事ばかり言い続けていたらそれは危険信号です

目覚めというよりはループ的な思考の停止状態に近いかも知れない

覚めたその目をどこに向けるか?

覚めた意識をどこに向けるか?

どこにも向けずに目覚めや意識それ自体を語らっていても仕方がありません



まあそれもいいけど、それでですね…


そのような見地に立って私たちの世界で起こっている様々な出来事(これらを夢や幻とする方向のお話は今回は扱いません。シンプルにこの現実のお話です)

よーく見渡してみるとですね。


なんだかとっても変なんです

無数に作り上げられた茶番劇で正しい現実が覆われているように見えるのです

アメリカが変だし

トランプも変だし

日本もだいぶ変です


例えば…これは昔っから疑問に思ってた事なんですけどね

ウチらは民主主義国家に暮らしているつもりだったりすると思うのですが

そもそも選挙権=参政権でホントに合ってますか?参政できてますか?

そもそも投票できる選択肢からして用意されたものなのに、ホントにそれで選べてると言えるのか…?

なんか騙されてませんか、当たりの入ってないくじ引きさせられてるみたいな

急に話の方向性が変わった?と思われるかも知れませんが…

「いまここ」において

もうとっくに悟りだのスピだの言ってる場合じゃないと感じてます

すごく矛盾した話にも聞こえるだろうけどw


また気が向いたら書きます

唐突ですが今日はここまで










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