目覚め 悟り 非二元 だからなに?

悟りの「お話」はもういらない

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白いカラスの茶番劇

2017-04-28 01:16:27 | 日記
悟りについて何か書けば、その人がまるで悟っている人みたいじゃない?

悟りを探せば、あなたがまるで悟ってない人みたいじゃない?

悟ってる人や悟ってない人が、まるで存在してるみたいじゃない?

それがもう茶番なのねw






―白いカラスについて―

乱暴に言ってしまえば「白いカラスは存在しない。」

もう少し厳密な言い方をするなら「白いカラスは今のところ、その存在を確認されてない。」


―悟りについて―


乱暴に言ってしまえば「悟りなんて現象も体験も存在しない。」

もう少し厳密な言い方をするなら「悟りという何かは今のところ、その存在を確認されてない。」






そんなもん無いのと同じこと

今見える、聞こえる、感じられる、それ以外何もありません。

それで全部です。

むしろそれ以外に何かが存在した事が、生まれてこのかた一度たりともなかったはずですよね。


それで全部っしょ?

それをなんと呼ぼうとあなたの自由です。

それで納得できますか?


…え?

まだなんか探す?

もちろんそれも自由ですけど…。

探すからこそ、あなたは探す人であり続けるのです。








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光か闇か?

2017-04-26 23:03:15 | 日記
…あちこち探し倒して…あなたはこんな場末のブログにまで辿り着いてしまったのですね?

ようこそw



幸せとは「幸せな状態についてあれこれ考えなくてよい状態」

とは上手い説明だと思う。

逆に言えばあれこれ考えてる状態が不幸な状態な訳だ。



↑コレを踏まえて

↓よかったら以下の問いに「光か・闇か」の二択で答えてみてください。




Q1

「言い訳」」「理由」それらが必要な状態は光か闇か?





Q2

悟りとは何かを求める前提は光か闇か?





Q3

悟りとは何かをあれこれ説明する意図は光か闇か?




Q4

幸福論やスピリチュアル全般、それらが必要となる前提は光か闇か?



問いは以上で~す。

もしもあなたの答えが全て「闇」だった場合…


スピリチュアル難民

悟りたいけど悟れない人達

引き寄せたいけど引寄せられないピーポー


…などが生み出される事が当然の成り行きだと理解されるのではないでしょうか?


きっと伝わ、、、

りませんよね、たぶんw


(しかもそれでいて光が善いもの、闇が悪いものと言うつもりはないんですけどねw)

まあ一言で言うなら


そんな話は全てどうでもいい

ということになるかとw
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美人は三日で

2017-04-14 00:19:01 | 日記

美人は三日で飽きると言われて、鵜呑みにする人。

納得、実感する人。

疑う人、否定する人。

飽きるか飽きないか議論する人もいるでしょう。

でも

そんなものに真実とか答えなんてありません。







言葉の背景を考えたり想像する事も大切ですね。

つまり誰がなんの目的で「美人は三日で飽きる」と言ったのか?

そこを考えると飽きるか飽きないか、なんて議論がいかにアホらしいか気づいてもらえるのではないでしょうか?

またその言葉の背景に何を見るかも人によって違う事でしょう。

あなたはどんな人がなぜこう言ったと想像しますか?





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目覚めている、気付いている

2017-02-13 00:22:53 | 日記
前回の話では、私達が受けた教育も社会の常識もスピリチュアルも一種の洗脳だと言いました

そして洗脳が解けることが目覚め と表現しました

今回はここを深く掘り下げてみましょう

よーく考えてみると全く洗脳されてない状態ってどんなん?って、思いませんか?


(洗脳という言葉の指すところを広い目で見ての話ですが)

一般常識、学問、宗教、スピリチュアルなどなど…

何かの影響を全く受けてなくて、それ自体が単独で成立している完全オリジナルの観念や価値観や考え方なんてあるわけないですよね

「私の」だと思っていた考えや価値観もいつかどこかで植え付けられたり影響を受けたりあるいは選択したりしながら変化してきた「厳密にはオリジナルではないもの」です

完全独立型のオリジナルがないってのは私はいないということでもあります

逆に「私はいない」というのは

「関係性」で成り立っているということですね


関係性ってのは因果や縁起とも言えますし、感謝にも繋がっていく話なのですが今回はそこまで話を広げないでおきます

とりあえず「私はいない」というそれ単体のメッセージは人に伝える意味も実用性も薄いと思うのでこのような解釈がいいんじゃないかと思います



で、本題の方に戻りますと

つまり洗脳から目覚めるとは言っても完全独立型のオリジナルはないわけですから、何らかの観念をまとっている事に違いはないんですね

目覚めていても何らかの概念や価値観や考えをもってはいるわけです

では目覚めているかそうでないかの決定的な違いとはなんでしょう?

それはつまり

なぜ自分がそう考えてるか

なぜ自分はそうしているのか

「気付いてない」こと

無意識的でロボット的であること

それが眠りであり洗脳であり

無明であり無知でありエゴであるわけです




自分がなんのために何を考えてるのか

なぜそうしているのか

「気付いている」

意識的であること

それが目覚めているということ



大して難しい話じゃないでしょ?

これがわかれば玉石混じったスピ情報に混乱することもないはずです

例えば「エゴを落とせ」とかその手の話にも惑わされなくて済むでしょう

エゴの動きに気付いていればいいだけ

「気付いて取り込まれなければ、その時点もうエゴ(無意識的、無知、無明、ロボット)ではないから」

シンプルで無理がないでしょ?


エゴと戦っても勝ち目なんてあるわけないし、エゴを落とそうという意図がすでにエゴですからね

だから「エゴがエゴが」と騒いでる人が結局は一番エゴいんすよね





「あ、今ちょっぴり見栄張っちゃったな」

「あ、今ちょっとムキになっちゃったな」

「あ、これが私のキャラなんだな」

とか

そんな風に気付いて

それらに呑まれないでいれば

とりあえずはそれでOK


呑まれたら負け、呑まれたらエゴ、無意識的、ロボット的ということ

エゴや苦しみに関してはそのように気付いて

結局は「受け入れる」より他ないです

この場合「受け入れる=乗り越える」なんですよ

「こういうもんなんだな」と受け入れられれば

無駄な葛藤はなくなるでしょ?

苦痛や悲しみ、それ自体消えてなくなるわけありません

それにまつわる余計な葛藤、心のきしみが無くなる

これが「楽になる」って言われてるヤツです

ですのでこれは「エゴを落とすな、怠惰になっていい」という話ではないですよ

あなたのキャパシティ次第ということです

(あなたが自分のキャパシティをどう認識しているか?によります)

キャパシティのない人ほど「エゴだ、落とさなきゃ」と強い拒否反応(反応=無意識的、エゴ)を起こすという訳なのです

(ほんとは誰でもキャパもってんだけどね、気付いてないだけ。キャパを大きくしようと力む必要もない、やたら力むのもエゴ)



さて、エゴに関する話が長くなりましたが、これは目覚めている、気付いていることの実用的な部分ですね

特にややこしいところはなく、当たり前っぽい話じゃなかったでしょうか?

深く気づいていくほどにシンプルで当たり前の話になる、そのように私は実感してます

あなたの情報整理のお役に立ててたら嬉しく思います

今日はこれでおしまい

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なぜ「悟りの話はもういらない」のか?

2017-02-10 17:38:10 | 日記
なぜ悟りの話はもういらないのか?

悟りオタクになってもしゃあないからです

そうなると目覚めるというより新しい夢の世界へ没入するようなもの

そうなりたくないし、読む人にもそういう影響を与えたくない




私達は国が定めた教育方針や社会の常識の中で、ある意味で洗脳を受けてきたと言えるでしょう

スピリチュアルの功績のひとつはそれが洗脳だと気づくきっかけを作ったところだと私は思ってます

その反面、罪なのは新たな洗脳を蔓延させてしまうところではないかと思います

洗脳に気づく、そういう目覚めでなければ

何をしているのやら訳がわかりません




「いまここ、ただ在る、何もおこってない、私はいない、ワンネス、全てはひとつ」

脱スピ派の人なら「地に足つけよう」とか

導きの言葉は単なる情報として受け売りのように横流しされ



すでにスローガン化され陳腐化してます





そもそもなぜそのようになってしまうのか考えたことありますか?

それはおそらく




答えだけを知ろうとするから




例えばあの世や死後の世界、生まれ変わりに興味を持つ人がいます

誰かの話を信じる人は結構いますけど

そもそもなんでそれを知りたいのか?

知りたがっている自分を疑ってみる人は少ない

それを知ってどうするの?


ちょっと幼稚な例えになりますが↓

「こうしたら天国に行きます、こうしたら地獄に行きます」

みたいな事が明確になった、検証され確認されたとします

まあ仮にねw

先にそれを知ってから

生き方や姿勢を決めようという打算がない?




魂を磨くとかそういう話にしても

今回の人生を努力に費やしても「あの世と来世で二度オイシイ」的な打算が隠れてないかい?

悟りにしても、それが得られれば苦しみとかチャラにできて

億万長者にはなれなかったけど、きっと絶対不変の幸福が手に入るんだ

そっちのが得なんだ

そのほうが素晴らしいんだ

楽になれるんだ、楽になりたい

みたいな打算ありません?





こういう言葉がありました

「朝に道を聞かば、夕べに死すも可なり」

簡単に言うと真理さえ得られれば死んでもかまわない、そんなような意味らしい

それくらい真理が崇高なもので、それを知らずに生きる意味などないと思っていたんでしょう


甘えてんじゃねーよw

なーにが孔子だ、アホか




「この道を行けばどうなるか?



迷わず行けよ、行けばわかるさ」

そんなアントニオ猪木さんの言葉の方がはるかに立派だし、心に響くものがあるじゃないか…と思うのです




さて、なんだか話がとっ散らかってきた気もしますが

そもそもなんで?

それを知ってどうするの?


という問いを自分に向けることが今回のポイントです

いまこことかただ在るとかそんなもんどーでもいい

今読んでるこのブログもどーでもいい

あなたがそのように自問しなければ答えなんてどこにもないからです

悟り体験なんてないですし、あろうがなかろうがどーでもいい


今日はこれでおしまい





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