花も 嵐も

花鳥風月

日野原 重明

2017-07-19 01:55:33 | Weblog
日野原 重明、 1911年(M44)10月4日 - 2017年(H29)7月18日 満105歳没

京都帝国大学医学部第三内科副手、大日本帝国海軍軍医少尉等を経て、聖路加看護大学学長
7歳で受洗した。
ピアノを習い
赤面恐怖症克服のため弁論部に入る

1937年に京都帝国大学医学部を卒業
京都帝国大学医学部大学院博士課程(心臓病学専攻)、博士論文は「心音の研究」
1941年、に聖路加国際病院の内科医となる。

戦時中、『聖路加』は政府に「大東亜中央病院」

1999年、文化功労者に選ばれる。

★地下鉄サリン対応で病院「開放」、先頭で対応
★「生活習慣病」の名付け親
★人間ドック 日本で最初に
★よど号ハイジャック事件に遭遇し人質となった

食事は夕食をメインにしたものである。朝食はジュースにオリーブオイルをかけて飲み、
昼食は牛乳、胚芽クッキー、林檎だけで済ませる。夕食は週2回は肉、
他は魚と少し多めに食べ[27]、その日の体調に合わせて食べ物を変えるという。

3月下旬に消化機能の衰えにより食べることが難しくなったが、体に管を入れて栄養を取る
経管栄養や胃ろうなどの延命治療を「やらない」と拒否。数日後に退院し、
自宅で福井院長らの診察を受けながら療養していた。17日夜、福井院長が訪ねた際に
「つらいところはありませんか」と聞くと、顔を左右に振って応えた。
18日朝は次男夫婦ら家族が見守る中、徐々に呼吸機能が低下していったという


最新の画像もっと見る

コメントを投稿