アルバニトハルネ紀年図書館

アルバニトハルネ紀年図書館は、漫画を無限に所蔵できる夢の図書館です。司書のWrlzは切手収集が趣味です。

「自販機悪玉論」と「二重の基準論」

2011-04-17 | Weblog
 
再選された石原都知事が、飲料水の自動販売機の消費電力を抑制する条例案を出すと発言した時、私はなんとなく嫌な印象を受けた。だがそれは、私の無知故の誤解だったようだ。

「パチンコと自動販売機で合わせて1000万キロ・ワット近い電力が消費されている国は日本以外にない。こういう生活様式は改めたほうがいい。(節電のために)国は政令を出せばいい。パチンコする人は我慢なさい、自販機がなくても生きていける」
という発言内容からは、私も最初はファシズムを連想した。

あたかも、電気には「良い使い方」と「悪い使い方」があり、良くない、有意義ではない電力消費を条例や政令によって規制しようという動きは、やがて「今は『国難』なのだから、たかが漫画本を刷るために電力や石油を消費するな」という全体主義に発展するのではないかという、不吉な物をはじめは感じた。
これは戦時中の「贅沢は敵だ」「欲しがりません勝つまでは」と方向性が同じではないかと不安に思っていた私に、興味深い話を聞かせてくれた人がいるので、その内容を私がどう理解したかという形で記事にしてみたい。それに、せっかく聞かせてもらった話の内容を忘れてしまわない内に書き留めておきたいというのもある。

まず、最高裁の判例で、「経済的自由」は合理的な理由があれば「緩やかに規制」しても違憲ではないという物があるらしい。
対して「漫画を発行する」という行為は表現の自由、すなわち「精神的自由」に関わる物なので、私が危惧したような理由で規制されることは決してないようだ。
「経済的自由」と「精神的自由」を対比すると、後者は一度損なわれると回復が困難なので、相対的に、その規制に対して司法は厳格で慎重になる。これを専門用語で「二重の基準論」と呼ぶそうだ。

以上のような話を聞かされて、さすがに「なるほど!」と私は納得した。
素人なりに解釈すると、こういう事だと思う。
原発が壊れて電気が足りない。従って自販機の電気を節約しろと都知事は言う。これは「経済的自由」の合理的な「規制」である。
「電気を節約しろ」とお上から命令されることにより経済はある程度、萎縮(いしゅく)してしまうが、「日本は民主主義国である」という我々の精神的自由は損なわれない。そして再び電気が存分に使えるようになり、「もう節電しなくても良いですよ」と言われれば、経済的自由は簡単に以前の状態に回復させることが出来る。
ところが「日本は今日から独裁国家になります。言論の自由も表現の自由もありません」という状態に一度陥ってしまうと、独裁政治が終わったとしても、人々の精神は「表現の自由」が存在していた時と同様には回復しない危険がある。従って、よほどの事がない限り、「精神的自由」が規制されることはあり得ないし、規制してはならない。

「精神的自由」に関しては、日本とは逆の状態を想像することによっても、それが損なわれる危険性は理解できる。
例えば冷戦が終わりソ連が崩壊した直後、「もう共産党の独裁は終わりましたよ」と言われても、生まれた時から独裁国家で生きてきた大部分の「東側の人間」は「自由」が何なのかを理解できず、ソ連邦を構成していた多くの国々は今も独裁国家のままである。
また、私は三人の中国人と直接、知り合ったことがある。一人は高校生時代に交流した北京の姉妹校の学生で、あとの二人は切手収集の趣味を通じて知り合って上海で会った中年男性と彼の息子だ。北京の学生とは天安門事件の3年後の1992年に会い、上海に住む親子と会ったのは1998年のことだ。
彼らと交わした会話の内容は、割愛する。

そして彼らは既に交流のない方々であり、そもそも他国の人を悪く言うのは気が咎めるが、片言の英語で会話し何日か行動を共にし、私は「中国人には自分の意思がないのか」という失礼な驚きを抱いた。その違和感の正体は、「精神的自由」が保障されていないが故に、彼らにはそもそも「自分の意思」という概念がないという物だったのだと思う。
私が直接交わった数少ない「独裁国家の国民」から共通して受けた印象は、どこか「人権」や「自由」という物に対して「諦め」や「絶望」を抱いているという物だった。あれから十年以上が経過し、インターネットを通じて独裁国家の人々も世界に向けて己の意思を発信しているようにも見えるが、私はその様子を目にすると逆に、如何に我が国が自由な国なのかを改めて認識させられる。

私は1990年代の中国しか自分の目で見ていないが、あの国では建国以来、あらゆる自由が規制されてきたのだろう。


1959年に発行されたこの12種の中国切手は、一枚目の「人民公社はよい」から始まり、産業から生活、医療や老後に至るまで人の生き様の全てを題材にし、最後に「幸福」の定義まで国家がしているかのようだ。良く見ると背筋が寒くなるような切手だ。


横道に逸れたけど、何が書きたかったのかというと、「自販機の消費電力を政令で抑制することは必ずしもファシズムには直結しない」という事だ。


にほんブログ村 漫画ブログへにほんブログ村
にほんブログ村 トラコミュ 一般社会・社会全般へ一般社会・社会全般
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

3・11以降の漫画雑誌

2011-04-16 | daily
 
3月11日以降に、ほぼ普段通りに漫画雑誌を買うことができた、私自身のこのひと月あまりを振り返ってみる。

3月12日(土)。『別冊マーガレット』4月号。

忘れもしない大震災の翌朝。ろくに眠れずに、朝の5時頃に家の近くのいつものコンビニに行ったら、普段通り入荷していた。
「都内で刷った雑誌を都内の店に運ぶのだから影響は受けなかったんだな」などとのんきな思考も少しだけ心をよぎった。


3月19日(土)。『花とゆめ』8号。

発売日にいつものコンビニで、普段通り購入できた。
巻末の目次のページに、「東北地方太平洋沖大地震で被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。」の一文が挿入されていた。

その他、この間に漫画単行本を4冊購入する。
-音久無『花と悪魔』第10巻(完結)、伊沢玲/津山冬『執事様のお気に入り』第10巻、椿いづみ『俺様ティーチャー』第10巻、高橋留美子『境界のRINNE』第7巻-


3月25日(金)。『ビッグコミック』7号。
発売日にいつものコンビニで、普段通り購入できた。
原稿を、大震災以後に仕上げた作家さんもいたと思う。


3月26日(土)。『別冊花とゆめ』5月号。

近所の書店には入荷していなかった。amazonのサイトを見ても既に品切れ。セブンネットショッピングのサイトに在庫を見付けたので注文し、3月31日に近所のセブンイレブンに届いた物を受け取る。

その他、この間に漫画単行本を3冊購入する。
-河原和音『高校デビュー』第14巻、香魚子『シトラス』第1巻、南塔子『360°マテリアル』第3巻-


4月1日(金)。
この日に発売が予定されていた『別マsister』は、発売が4月18日(月)に延期となった。「中止」ではなく「延期」でひとまず安心する。


4月5日(火)。『花とゆめ』9号。

発売日にいつものコンビニで、普段通り購入できた。入荷していた冊数は普段より少ないような印象を受けた。
この号以降、雑誌に掲載されている原稿のほとんどは大震災以後に描かれた物のはずだが、いつもと変わらない面白さに「プロの漫画家はやはり凄い」と再認識した。


4月9日(土)。『ビッグコミック』8号。
近所のコンビニに入荷していなかった。翌日、駅前の書店に3冊だけ入荷していた物の一冊を購入できた。


4月13日(水)。『別冊マーガレット』5月号。

近所のコンビニに一冊だけ入荷していたのでそれを買った。

その他、この間に漫画単行本を3冊購入する。
-黒丸/夏原武『新クロサギ』第10巻、さいとう・たかを『ゴルゴ13』第160巻、咲坂伊緒『アオハライド』第1巻-


こうして振り返ってみると、ものすごく「いつも通り」の生活ができている自分自身に驚き、感謝せずにはいられない。
単純に計算すると、例えば発行部数が100万部の雑誌であれば、国民の「100人に一人」が買っていることになる。東日本大震災以来、「漫画どころではない」という状況の人が10万人増えるごとに、その雑誌は1000部が買われなくなってしまう。
紙が足りない、インクが足りない、電力も燃料も不足しているという中で、私は読みたい漫画を全て購入できている。

余談だけど、コンビニで「今日発売のビッグコミック8号ってもしかして発売延期になっちゃいましたか?」と店員さんに尋ねた時、どのビッグコミックでしょうか?というような反応をされてちょっと面白かった。
『ビッグコミック』『ビッグコミックオリジナル』『ビッグコミックスペリオール』『ビッグコミックスピリッツ』の中の、「『ゴルゴ13』の連載」が載っている奴です。…とは説明しなかったけど。


にほんブログ村 漫画ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 トラコミュ 漫画、マンガ、まんが、コミックへ
漫画、マンガ、まんが、コミック
コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加