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『いっしょにねようよ』第5巻/高尾滋

2011-09-06 | 少女漫画
 
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"お祖母(ばあ)ちゃんに教わったわ
前身頃を南へ向けて"
"家族が元気で くらせます ように"

(宇佐見一子)


 最新の第5巻。最後の最後で大きなどんでん返しがあって、良い意味で裏切られそうな予感もする。「現時点での最新刊の感想」を書くと、後になって「私はこの時こんな勘違いをしていたのです!」と、己の読解力のなさが露呈する、恥さらしな文章になる可能性が高い(笑) それでも、感動を言葉にしないと私はもやもやしてしまうので、ブログに今の感想を書く。

 私の主観では、この漫画は「愛」の一つの「定義」を示そうとしている作品だ。それは言葉で表せば単純だが、実践に移すのは簡単ではない。
第5巻までを読む限りでは、「愛」を、相手を所有したり支配したいと欲するのではなく、相手を「己の生存を左右する存在だと肯定的に認識すること」だと描いているのだと私は思う。(言葉にすると情緒がなくなるな…)。一子は最初、欲望に忠実な子供の姿が見えなかった。そして今は彼女のことを欲しがる古白の気持ちが、どこまで本気なのかがわからない。
努の、一子を「家」と表した喩えは的を射ているし、「いっしょにねようよ」という題名は、「人が眠る場所」という意味に於いて「家」も指している。

 古白も春香も努も、住人の名字もバラバラで、婚姻や血縁関係にない者どうしまでが集う家に同居している。彼らは法的な意味での「家族」ではないが、この(健ではなく)直哉が家主であるお屋敷を「生活の基盤」としており、おそらくこの家がなくては生存が脅(おびや)かされる。状況を回避させることへの報酬を「衣・食・住」と最初に言葉にしたのは、住人の中で唯一「自分の子供」がいる健である。
 「あなたがいなくては私は生きていけない」というのは陳腐な愛の言葉の代表例だが、「住む家がなくては私は生きていけない」と言い換えると、ほぼ全ての人類に共通する普遍的な言葉となる。直哉は一子を「俺達のお母(っか)さん」と冗談めかして呼ぶが、無論それは本心ではない。努が一子に「母親みたく」ならなくとも良いと言えば、一子は自分は「他人」だから古白に踏み込み向き合えるのだと答える。
「本当の親兄弟のほうが ずっと複雑で 重すぎる絆だもの…」と。

 一子が古白の命を半分もつからと、自殺した女性の霊から古白を引き離した行いは、恋から来る物ではなかった。そして古白が一方的に一子に対する恋を自覚する。ところが一子の行いは、自分を「おうち」にかえしてくれた古白を自分にかえしてくれという、更に大きく深い想いから来る物だ。そして高尾滋は「恋」と「愛」とを、作中で区別していると私は感じる。
 以上が私の勝手な解釈。もちろんこの漫画はラブコメなので、「すごく面白かった」という最大の魅力が一番の価値だ。


第25話カラー扉(花とゆめ平成23年3号)


第28話カラー扉(9号)


1号ふろく(カレンダー)



お薦め度:★★★★★


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