イエスからマグダラのマリアへの手紙・私は本当にかつてマグダラのマリアだったのか?

十四  正すべきを知ると病は少なくなり、ついになくなるのもありえます

 

今日も病気についてです。

私たちは、うすうす、病気になるのは、自分の気持ちや考え方に何か関係があると気づいています。

思いや、考え方、価値観などが、どう反応するか、どんな行動に結びつくのか、を決めています。

つまり、結局、自分が自分で病気を作っているとも言えます。

ということは、病気を治すのも自分次第、ということになります。

でも、自分を振り返っても、病気になると、まず、お医者さんへ行って、所見を伺い、薬を処方してもらい、ほっとしたりします。
ああ、これで治る、大丈夫、などとお医者さんとお薬が治してくれる、みたいに勘違いしています。

今日の父の言葉には、考えさせられるものがあります。

どうぞ、ご参考になさって、健康で、気持ちの良い毎日をおすごしになりますように。


・正すべきを知ると病は少なくなり、ついになくなるのもありえます


すべては、自らの中に要因としてあることによって病が起こるのです。

起こること自体に意味はないのに、一人一人の心が意味づけをするのです。

この意味づけによって、心の有様が決まってくるのです。

この意味づけのプロセスや偏りは、普通では見えにくいものであるが故に、

病気として見ることでそれと気づくとも言えましょう。



ですから、病気は必ずしも、悪いことではないというのが、お分かりでしょう。

一つ一つ、あなたの波動の中の、そうさせているものに気づき、矯正する良いチャンスなのです。

これは身体を持って初めて経験可能なことであり、それでこそ矯正可能なものなので、それを求めて、あなたは地上に降りているとも言えます。

目的地に目的を持って在り、その目的を遂行できているのは、ある意味、幸いとも言えます。


しかし、もっと幸いなのは偏り、ひずみを知るだけでなく、矯正できることであり、その病気によって負けるのはそれなりの意味はあっても、

少なくとも表層意識にとっては望まれるところではありません。

自分の心の中で、正すべきは何かを知り、正すことで病は少なくなり、ついには、なくなるのもありえます。

それが転生の意義です。

魂を磨くことで、偏りを正し、美しく輝くものとして存在するためのプロセスであり、旅の途上での出来事であり、目的そのものでもあるのです。



しかし、健康と幸福は誰もの願いです。

健康で心幸せに毎日を送ることも可能です。

病気をしなければ、心を正せないわけでもありません。

自分の心を良く知り、正すことは、毎日の生活の中で注意深く観察することで可能になります。

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