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世界の覚書

道州制、易姓革命、外国人参政権には反対です。伝王仁墓に百済門を作るのは場違いであり、反対です。

問題は感情であり、分配ではなく、モラルでもない

2006年11月15日 | 経済・エネルギー・交通
404 Blog Not Found:経済成長は手段か目的か?
芋が本当に足りているかどうかは、検証の必要があります。また、仮に芋が現在足りていても種芋まで食いつぶしてしまっては元の木阿弥です。まだ芋が足りていないのに建前上全員に配って全員が飢えてしまったのが共産主義で、これは20世紀の貴重な教訓として有効活用すべきです。
かつて小泉信三は、問題は生産である、分配ではないと言い切った(『共産主義批判の常識』)。共産主義が何であったかは色々考える必要があろうけれども、共産主義で飢えてしまった要因をつらつらあげてみる。
  1. 政治抗争、政治的優位の獲得競争が最優先で、技術合理性や経済合理性が軽視された。
  2. 生産増強が単純に理解され、技術革新よりも、労働力投入に価値が置かれた。
  3. 経営上、事業上、仕事上のインセンティブが、モラルや名誉、あるいは私権に置かれた。
  4. 地位が特権として私権視され、富の分配が不公正に行われた。
こういう分析は難しいが、共通して思いつくのは「自然主義的誤謬」だ。敷衍して考えてほしいが、要するに認識の未熟なのだ。この種の誤謬は殆どのヒトが陥る。左派とか右派とかいうのも、そういうことじゃなかろうか。

モラル重視は左翼・右翼に共通する。ファシズムもモラル重視の点では同様だが、そもそもファシズムは国家社会主義の謂いだし、いわば右翼共産主義なのだから、トートロジー(同語反復)みたいなものだ。左翼は伝統破壊、右翼は伝統志向だが、かえって原始共産制志向まで行っちゃうところがある。

#近衛文麿が気づいたように、右翼も左翼も、突き詰めると同じことなのだ。共通するのは、ある種の「自然主義的誤謬」だ。

問題は分配ではなく、モラルでもあるまい。生産と言っても分かりにくいが、科学的、実効的アプローチ以外にあるまい。

#生産自体には、祭りの要素があるから、自己目的化する傾向があるのは否めない(浪費には快感、つまり安定化作用がある)。でもそれは、土俗的ないし古代的であって、近代的じゃない(と思いたい)。
#小型車で十分なのに、大きな車を欲しがるのも、ヒトの性質だ。この感情を御すのは難しい。

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1 コメント

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Unknown (経済成長)
2006-11-15 21:00:38
地方(富山)にいるけど賢くなりたい経済学教員
http://d.hatena.ne.jp/osakaeco/20061114/p2

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