worldNote
世界の覚書

道州制、易姓革命、外国人参政権には反対です。伝王仁墓に百済門を作るのは場違いであり、反対です。
 



macska dot orgさんとこで、

Congressional Report Services Memorandum
Japanese Military's "Comfort Women"
Larry Niksch

が紹介されている。macskaさんによれば、「米国議会図書館の調査部門である議会調査局のラリー・ニクシ調査員(アジア問題専門)が2006年4月10日に議会に提出した日本軍「慰安婦」問題についての報告書」だ。

読んでみると、吉田証言を慰安婦問題発覚の嚆矢としている。特に史料批判というものはなく、淡々としている。Larry Nikschは調べ方が足りないか、朝日新聞同様に、「工作」を図っているかのどちらかだろう。全体を眺めても(長い)、従来の宣伝文書のシナリオに乗っかった、質の低いものだ(でもNHK的というか、勉強はできる人なのだろう)。独自の視点というものは無い(情報をまとめているだけだから、それでいいのだけど)。まあ、欧米の「日本軍慰安婦」に関する捉え方の典型のままでもあるし、どうせこんなものだろう。それに、いかに捏造された神話とは申せ、日本政府も一度は乗っかったのは事実だから、困る。

勝ち負けを言うなら、日本の戦いは分が悪い。でもそういう問題なのか。まさに謀略の勝利だが、それを認めてしまうことは、歴史を政治に従属させることだ。日本以外では、それが常識なのだろう。そういう常識を認めるなら、歴史は政治なのだ(歴史は政治の一部なのだ)。歴史は、過去に関する事実ではなく、過去を人質にした(現在の)政治なのだ。

素朴な日本人は、過去の事実から出発したいと思う。しかし、「事実」は虹のようなものだから、視点を持たなければ見えてこない。視点は基本的には主観的なものだ。また、主観的であればこそ、信用できる。まずいのは、事実を見ようとしない主観主義なんだろう。

ちなみに本来は、政治は法であるべきだ。法的に扱えるレンジ(範囲)が、政治のレンジであるべきだ。法的基礎の下でこそ、合理的対応も可能だ。法的に決着がついた問題を蒸し返すのは、政治ではない。おそらく、革命理論だ(法的連続性を超越するのが革命だし)。ただ、法的に決着がつかない問題を扱うのが政治だということもある。そこが難しいところだ。法的に決着がつかないといえば、戦争もそうだ。戦争は政治の延長に違いない。

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