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アート・テイタム『スタンダード・セッションズ』/「ラジオの時代」が磨き上げた天賦の才能

2017-05-21 20:27:12 | 地球おんがく一期一会


目が不自由なピアニストとして紹介される事が多いアート・テイタム。生まれつき両目が白内障で全盲に近い状態ではあったが、何度も手術を重ねて片目はかなり見えるようになっていたそうだ。しかし、のちに強盗に襲われてよい方の目を殴られて永久に視力を失ったという。そんなテイタムにとって、1920年代前半に米国で始まったラジオ放送は貴重な音楽情報の収集源だったに違いない。SPレコードからの音源入手には限界があっただろうし、ジャズクラブに通っても当時流行のポピュラー音楽はそんなに聴けなかったはず。

1930年代から1940年代にかけての米国で流行したポピュラー・ヒット・チューンを知ることができるのはテイタムが残した数多くの録音に依るところも大きい。類い希なる記憶力を持ち主だったテイタムは曲を一度聴いただけで覚えてしまうことができた。ラジオを通じて接した音楽はテイタムにとって格好の題材になったはずで、あとは腕によりをかけていかに美味しく仕上げるか。ここがテイタムの演奏を聴く最大の楽しみであり、日頃から指の鍛錬を怠らなかったのは、そんなリスナーの期待に応えるためだったと思われる。タイトルで「ラジオの時代が磨き上げた」と書いたのもそんな想いがあるから。

一方で、ラジオ放送をポピュラリティ獲得に役立てたのがカウント・ベイシー楽団。時は1936年、夜になるとカンザスシティーのラジオ局にダイヤルを合わせる音楽ファンが多かったそうだ。お目当ては当地の番組に出演していたカウント・ベイシー楽団の演奏。ラジオに夢中になったことがある方なら、夜に遠く離れた地域のラジオ局の番組を聴いたという経験があるはず。私自身も、BCLに熱中していた頃、30mくらいのロングワイヤーのアンテナを張って遠くは中東方面のラジオ放送から流れてくる音楽に耳を傾けていたことがあった。また、ごくごく普通のラジオだったが、深夜に突然スウェーデンの国際放送の番組が飛び込んできてビックリしたこともある。

カンザスシティーのラジオ局から深夜に発信されていたカウント・ベイシー楽団の演奏は、夜になると遠くまで電波が届くラジオ放送の特性により幅広い地域で聴かれていた。その後のカウント・ベイシー楽団の成功はラジオ番組に負うところが大きかったに違いない。ちなみに、ベイシー楽団のテーマ曲として名高い「ワン・オクロック・ジャンプ」は、件の深夜番組のエンディングに使われていた曲。カウント・ベイシーのカウント(伯爵)はラジオ番組のアナウンサーが命名したという逸話がある。



♪アート・テイタム『ザ・スタンダード・セッションズ』~1935-1943 Broadcast Transcriptions~(Music & Arts)

1930年代のアート・テイタムの演奏を纏めた作品集も『クラシック・アーリー・ソロズ』の他にいくつか出ている。その中で、私感ながらもっとも充実した演奏を聴くことができるのは『ザ・スタンダード・セッションズ』(CD2枚組)だと思う。1935年12月、1938年8月、1939年8月、1943年にラジオ放送用に録音された演奏を収めたもの。この作品の魅力は、切れ味鋭いテイタムのピアノタッチが聴ける事もさることながら、録音状態が他の同時期のものに比べてよい(聴きやすい)ことも挙げられる。

このアルバムでは、CD2枚(収録時間:合計157分)に65曲が収録されている。1曲当たり演奏時間は殆どの曲が2分半ばで、短いものだと59秒で終わるものまである。こう書くと、いくらSPの3分間が標準の時代とは言え、テイタムの演奏を聴く人は時間が短すぎると思われるかも知れない。しかし、超人的なテクニックを持ち曲の構成力にも長けたテイタムは2分余りですべてを言い切ることができた。むしろ、時間が短いことがより引き締まった濃密な演奏を可能にしたと言える。これぞ3分間芸術の極み。

65曲、どの演奏もそれぞれに聴き所があるのだが、「タイガーラグ」の他に「ザ・マン・アイ・ラブ」、「スターダスト」、「イン・ア・センチメンタル・ムード」、「スウィート・ロレイン」、「ボディ・アンド・ソウル」、「ビギン・ザ・ビギン」、「オーバー・ザ・レインボウ」、「インディアナ」、「ホワット・イズ・ディス・シング・コールド・ラブ」、「サムボディ・ラブズ・ミー」、「ティー・フォー・トゥ」、「イッツ・オンリー・ア・ペイパー・ムーン」、「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」といった不滅のスタンダードナンバーを新鮮な感覚で楽しむことができる。

また、全般的にブルース感覚の演奏が多いことも魅力のひとつ。テイタムがどんな人だったかを知るのにもっとも役に立つのは、デューク・エリントン楽団に在籍した事でも名高いレックス・スチュワート著の『ジャズ1930年代』(草思社刊)。その中で、テイタムは実はブルース歌手になりたかったのだというエピソードが紹介されている。「いい声」の持ち主ではなかったようだが、プライベートでときどき歌っていたそうだ。『ジャズ1930年代』はモダンジャズ期より前の時代に活躍したミュージシャンのことを詳しく紹介しているだけでなく、当時のジャズがどのように演奏され、また社会との関わりを持っていたかを知る上でも貴重な名著だと思う。

話をアルバムに戻す。取り上げられている素材は誰もが知っているポピュラー・ヒット・チューン。オリジナル曲が殆どないことがテイタムに関して聞かれる数少ない不満のひとつだが、だからといってテイタムの作曲の才能を疑うのは大きな間違いだと思う。素材こそ自身のものではないかも知れないが、曲を綿密に解釈(といっても瞬時だっただろうけど)した上で、即興演奏により独自の方法で展開・発展させていく手法を作曲と言わずして何と呼べばいいのだろうか。クラシック界の巨匠達も、このテイタム独自の曲へのアプローチ(解釈)が聴きたくてジャズクラブに足を運んだに違いない。

この『スタンダード・セッションズ』が素晴らしいのは、初期の約10年間のテイタムをしっかりと捉えていること。あと、私感ながら、他の作品集に比べるとテイタムが何の迷いもなく確信を持って演奏していることも挙げられる。ラジオ放送に耳を傾ける時間が長かったと思われるテイタムは、おそらく時代の流れにも敏感だったはず。スウィングからバップへとスタイルが変わっていくジャズに対して、自身のスタイルを押し通して行くべきかに対する迷いも多少はあったのではないだろうか。1950年代の演奏ではテイタムの成熟が聴ける反面、どこか焦りのような部分が見え隠れするような印象も受ける。テイタムの人間味を感じる部分と言い換えることも出来そうだが、まだそこまでは1950年代の演奏を聴き込めていない。



♪アート・テイタム『カリフォルニア・メロディーズ』(Memphis Archives)

テイタムの放送用録音をCD化したものとしてもう一つ挙げておきたいのがこの『カリフォルニア・メロディーズ』。1940年の4月から7月にかけて、ロサンゼルスのラジオ局のバラエティ番組の中で取り上げられたテイタムの演奏24曲が収められている。面白いのは、当時のラジオ番組そのままに、アナウンサーの紹介のあとにテイタムが演奏する形でプログラムが進んでいくこと。そんなリラックスしたムードとは裏腹にテイタムは精魂込めて演奏している。これは『スタンダード・セッションズ』も同じ。「ラジオ」に対する特別な想いが込められていると言ったら穿ち過ぎだろうか。

もし、『クラシック・アーリー・ソロズ』の次に何を聴けばいいですか?と問われたら、私は迷わず『ザ・スタンダード・セッションズ』と答える。理由は上で書いたとおり。初期のテイタムのテクニックとアイデアのシャワーをたっぷり浴びてから1950年以降の円熟の時代に入っていくのも悪くないと思うので。

Standard Transcriptions: 1935-43
アート・テイタム
Music & Arts Program
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