◆書く/読む/喋る/考える◆

言葉の仕組みを暴きだす。ふるい言葉を葬り去り、あたらしい言葉を発見し、構成する。生涯の願いだ。

内田樹先生の過去ログを拝読しつづける(4)

2006-04-20 23:47:11 | 思想・哲学
4.穢れと葬礼(’04.03.15)

*このエントリーは、内田先生のゼミ生が、『女性と穢れ』についてのアドバイスを求めてきたことから始まったらしい。もともと「穢れ」は、毛枯れ、気枯れを語源とする言葉だったんだそうだ。

「少なくとも発生的には、『不潔である』とか『汚れている』という衛生状態についての形容ではなく、『生産力が低下している』状態を指称したもののようである。

*とお書きになり、現代の価値観から逆立ちしたようなフェミニズムの「穢れ」批判を、系譜学的に再批判されている。だけどこの『過去ログ読み』(4)では、その種のイズムには立ち入らないつもり。
 
「世界中ほとんどすべての社会集団で、服喪、産穢、月経などが「穢れ」に類別され、untouchable とされる。/これはいずれも「死と性」にかかわる人間的事象である。」

*こうして妊娠に関係するはずの「穢れ」の話は、旧石器時代の遺跡に見られるという葬礼に系譜的につなげられる。死者または死という概念が、誕生に関係する穢れ、そして向こう側の世界、つまり他者という概念を生み出したと考えられるからだ。
* 死者は、生きている人間にとってどのようなものか? 少し長いが、その関係を描写された部分を引用してみる。

「なぜ、死体を埋葬するのか?…『人間の死体は生きている』からである。…なぜ、葬礼を行うのか?…それは葬礼をしないと死者が『死なない』からだ。死者は生物学的に死んでも、私たちのまわりにとどまる。…私たちは、死者の使った道具にその『魂魄』が残っているのを感じ、死者のいた部屋に入ると、その気配を感じ、死者に祈ると、その声がきこえる。私たちは死者の祟りで苦しめられ、死者の気づかいで護られる。/人間というのはほんらいそういうふうに『死者の切迫を感知できる』生物なのである。/おそらく、そのきわだった能力によって人間はサルと分岐したのである。」

*何となく死者や死体との関係がわかりそうで、やっぱりピンとこなくて何回も読み直していた。こんなシーンが浮んできた。

*多少は湿っぽいんだが、愛が終わって訪れる彼や彼女との永遠の別れ。同じ職場や取引先で働いているのでもないかぎり、この都会で、一度別れた男女がふたたび出会うチャンスは、ゼロ。
にもかかわらず、一緒にいった場所、入った店、一緒に選んで買ったもの、交わした会話、指摘された欠点、声のトーンや喋るクセ、体温などがいまも蘇ってくる、ってやつ(笑)。ときどきは、昔と同じ微笑みをたたえて話しかけてきたりもするしね。

*そうだ! 別れを永遠に葬るためにはふさわしい「葬礼」がいる。最後のエッチ、これだ! お互い完全な死者、他者になるために。
こんな理解でいいのか、ちょっとは不安。まあいいさ。

「死者は『存在しない』。だから、私たちは死者と『対話する』ことも『理解しあう』こともできない。 /けれども、にもかかわらず『死者たち』は私たちの生き方に深く強く関与し、私たちのなかに『私たちは何のために生きているのか?』という存在論的な問いを起動させる。」

*な? 「死者」を別れた彼女や彼に置き換えてみろよ。完全に意味が通じる。
「私たちは何のために生きているのか?」ってのも、おれを何だと思ってたのか、とか、アイツなしでどうやって生きていけばいいんだ、とかに置き換える。けっこう存在論的な問題じゃないか?

「ヘーゲル的にいえば、『死者』という概念をもつことによって、人間ははじめて『自己意識』を有したのである。」

*ってことはだ。あの身を切るようなするどい寂しさを感じられて初めて、おれたちは自分意識をもてるってことじゃないか? わーきゃー言って、つるんでただけのときって、まだまだ自分がわかってなかったんだよ。子どもだったんだ。おれたちは恋をして、ヘーゲルを知る。ちょっとクサイな(笑)。

「『死者』という概念を私たちの祖先がつくりだしたのは、死んだ人間は『モノ』ではないという人間特有の幽かな感覚を基盤にして、『他者』という概念を導出するためである。私はそう考えている。」

*別れちゃったアイツは、確かにもういない。見えないし触れないし、臭いもしない。死んでるのか、元気で生きてるのかさえわからない。だから「モノ」じゃないけど、ある、いる。この感じは「幽(かす)か」どころか、もろに鋭いんじゃないか?

「『他者』は、私たちと『同じカテゴリー』に属さず、言葉も通じず、共感の基盤もなく、私たちの糧でも道具でもなく、『存在しないのだけれど、存在する』というねじれたかたちでしか私たちにかかわることがない。/人間はそのような「他者」を感知し、欲望する能力を賦与されている。」

*「存在しないのだけれど、存在する」は、存在しないのに関係する、と読んでみるのはどうかな?  そんなの記憶内部、海馬にたくわえられた過去ログの話だろ? みたいな人もいる? おれ嫌いだよ、実体論者って(笑)。
*実体論的にいえば、ネット網の端っこと端っこにある2個のパソコンとか、バタフライ効果かな? 実態的にはほとんど存在を感知しないはずのもの同士に劇的な関係があるっていうみたいな。
*自然科学的に実証されない存在ってある。いちいち科学者が研究しない存在とか、存在証明の手段もない「存在」。なのに関係している「存在」。そんなのは海馬の中にあるだけだ、なんてわかったふうに言うなら、個人的な暗黙知として、個人的な無意識として存在している、なんてのほうが気がきいてるんじゃないか? 

*じゃ、「社会」とか「世界」とか「愛」とか「憎しみ」とか「日本語」とかいう概念はどうか? その一端らしいもの以外は写メールで送れないじゃん。匂いはしないし姿も見えないんだ。でも、ちゃんと(?)頭の中にあるし関係している。「社会」や「世界」、「日本語」は、どういうわけだか研究されてるけど(笑)。 

「『他者』という概念をもつものだけが共同体を構築することができ、『他者』を感知できるものだけが交換や分業や欲望や言語を創出することができるからである。」

*他者という概念が、自分(たち)意識を生む。別れた後では、アイツとおれって意識が強烈で、つるんでたときみたいに、おれたち、なんて考えられない。自分(たち)が生きる目的や意味、生の価値というふうに、価値観まで生み出す。そのうえ他者とは、自分(たち)の過去の罪を暴き立てる審判者の役割をするかもしれない。そうじていえば、他者は自分(たち)に一種の運命意識を植え付けるんじゃないか。選民意識であれ呪われた民族意識であれ、トーテミズムであれ神話の民であれ。そして一番の共同体意識は、何といっても使用する言語だろう。

*この点でも、現在の政治家や官僚たちは間違っているんだな。もし本気で「愛国心」を国民に植え付けたければ、日本語教育をこそ最大限に称揚するべきなんだ。一時期に流行った妙に怪しい日本語ブーム、あれこそ最強の「愛国運動」だったんだ。アメリカとカナダ、イギリス、オーストラリアにまたがる英語圏と、日本の「愛国運動」のやり方は、違って当たり前だ。やっぱり国旗や『君が代』の押付けなんてブランドやファッションの押しつけ、押し売りと同じでまるで頭が悪い。

*しかし考えてみれば、この頭の悪さは、軍部支配を許した戦前が血飛沫と断末魔の絶叫で現代の日本人をいまも祟っているから。日本人が、日本語にもうひとつ自信がもてないんだ。とすると政治家や官僚たちの頭の悪さは、日本民族という共同体のコア、特長のひとつでもあるんだな。おれの頭の悪さは、恥じるほどのものではなかったんだ(笑)。

「女性の産穢や月経についての『穢れ』の感覚は『これから生まれてくるもの』の本源的他者性への畏敬を映し出すものであり、それは『すでに死んだ者』」対する畏怖の思いと鏡像的な関係になっているのではないか、私はそんなふうに考えている。」

*失恋や、思いっきりフッた経験を忘れる必要はないってことだ。あのときのムカつきや悲しみや気持ちよかった思い出を抱え込んでいたほうがいい。この「死者」=別れちゃった元恋人にたいする追悼の感情こそ、ピカピカ輝く新しい恋への思いや態度を準備してくれるのだから。

*ってことで、この記事読了(笑)。

《つづく》

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オーストラリア 日本語教育 トーテミズム バタフライ効果 旧石器時代
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