ヲノサトル責任編集・渋東ジャーナル 改

音楽家 ヲノサトル のブログ

ジョン・ゾーンズ・コブラ、それは人生の縮図。

2015年11月18日 | 音楽
rehearsal photo by Kunikazu Tanaka

ひっさびさに出演した『ジョン・ゾーンズ・コブラ』、楽しかったなあ。

『コブラ』の上演には、初参加した1994年の「窪田晴男部隊」以来、「長谷部信子部隊」「江草啓太部隊」「ヲノサトル部隊」「椹木野衣「殺す・な」部隊」と何度か出演してきた。けれど今回の「田中邦和部隊」は自分的に、ようやく最も"ちゃんとコブラできた"パフォーマンスだったと思う。

"ちゃんと"という意味は、今までなんとなく曖昧に捉えていたルールをきちんと得心できたというのもあるし、そのルールという制約を逆に生かして"生き生きとした音楽をつくる"という、おそらくは作曲者ジョン・ゾーンが目指している世界の、入り口にようやくたどりつけたかなということでもある。

もっとも『コブラ』には、違和感を唱える人もいるだろう。カードシステムとかハンドサインによる即興のコントールといった制約を設ける時点で、これはもはや「即興」とは言えない。と異議を唱える即興演奏家もいる。

けれども「即興すること」ではなく「即興という手段によって面白い音楽をその場で作ること」の方を目的と考えるなら、『コブラ』というシステムは、過不足なく絶妙な「制約」の加減だと、僕は思っている。

制約が全くないフリー・インプロヴィゼーションの「自由」はもちろん貴重だ。だが出自や背景の全く違う人間が同じステージに立つと、「とりあえず無難な会話で時間をつぶす」か「相手を無視してそれぞれ自分の好きなようにする」のどちらかになりがちで、あまり生産的な結果にならないことも多い。

それに対して『コブラ』という集団即興のシステムがよくできてると思うのは、あえてカードやサインによるシステムという一定の「縛り」を設けることで、出自や背景の全く違う人間が共存できる音楽空間を設定している点だ。

「皆さんご自由にどうぞ」と言われて生まれる「自由」の振り幅は、意外に狭い。制約があったほうが想像力は飛翔する。

『コブラ』の魅力は、即興演奏という自由な領域に、あえて一定のルールを設けることで、異質な人間が集まってこそ豊かで意外性あふれる音響が生まれる設計を作り出した点だと思う。「多様性」がポイントなのだ。

フリー・インプロビゼーションだからって、デレク・ベイリーが10人集まっても面白くならない。ジャズメン、ガチガチのクラシック奏者、邦楽の家元、ボサノバ歌手…みたいに全然ちがった人間が集まって、なおかつそれぞれが最大限「自分の音楽」を表現した時、その総和が最も面白くなる。そういうふうに仕組まれているのが『コブラ』だ。

もちろんその場限りの出たとこ勝負であるからには、トラブルも続出。

出したリクエストが通らない。サインを使ってこんな音楽を作ろうともくろんでも、誰かに邪魔されて思い通りにはならない。サインを読み間違って音楽が予期せぬ方向に進んでいってしまう…

けれども、そんなふうに『コブラ』内で起きるトラブルって、いわば人生そのもののようでもある。

次々に起こるトラブルを、まあしょうがないかと受け入れ、自分とは異質のいろんな人たちと折り合いをつけてつきあいながら、なんとかその中で、過ぎていく時間を精一杯楽しむこと。…なんのことはない、これって我々の毎日の生活そのものじゃないのかな?

というわけで、機会があればまたいつの日か、ぜひ参加させていただきたいものだ。『ジョン・ゾーンズ・コブラ』最高!



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