水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

才能とは

2017年05月18日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「才能とは」


 全国レベルで自分の位置を認識したとき、トップと自分との差のあまりの大きさに愕然とする。
 勉強しかり、部活動しかり。習い事をしている人はなおさらだろう。
 埼玉で優勝する、日本のトップレベルになる、といったレベルに達したところで、さらに大きな視界が目の前に広がっていることに気づく(そんなレベルに達したことがないので想像)。
 自分のはるか高みに達した人を見て、私たちは「才能がすごいね」と評する。
 「あのレベルに達するのは、努力だけでは無理だね、天賦の才能がないと」とふつうに言う。
 本当だろうか。本当かもしれない。では「才能」とはどういうものだろう。
 精神科医の樺島紫苑氏は、われわれがイメージするような「先天的才能」というものは、実は存在しないという。


 ~ 例えば、ピアニストの辻井伸行さん。「辻井さんには、ピアノの才能がある」と思う人は多いと思います。では辻井さんには、ヴァイオリンの才能はあったのでしょうか? もし、辻井さんが、ピアノではなくヴァイオリンを志していたとしたら、今のように世界的に活躍できる音楽家になっていたでしょうか? それは、誰にもわかりません。
 では、なぜ「辻井さんには、ピアノの才能がある」とわかるのでしょうか? 演奏が素晴らしいから。ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールにおいて日本人として初優勝したから。そして、世界的に活躍して多くのフアンの心をつかんでいるから……。
 これらは、単なる「結果」です。素晴らしい「結果」を出しているので、「ピアノの才能を持っていたに違いない」と思い込んでいるだけです。逆にお尋ねします。類い稀なピアノの才能を持っていながら、成功できなかったという人はいるのでしょうか?
 「才能」というのは、大きな成功を成し得た人に対して与えられる「称号」のようなものです。生まれつき持っている素質とは無関係であり、「この人は世界的ピアニストになる」と予測することも不可能なのです。
 「才能」というものは存在しない。「才能」というものは、単なる結果であり、結果を出せなかった人間が自己を正当化し、自分を慰めるために使う言い訳が「才能」です。 (樺島紫苑『ムダにならない勉強法』サンマーク出版) ~


 才能とはいかなるものか。もちろん、科学の分野でも研究が進んでいる。
 明らかになってきているのは、「○○の才能」というものはないが、「○○する能力を自分で作る才能」は皆持っているということだ。
 サッカーが異常に上手な人は、もともとサッカーの才能があったわけではない。
 幼いころから練習を積むことによって、サッカーをするのに必要な脳内の領域がどんどん拡大していった。脳の構造と機能を自らが変えたということを表す。
 生まれ持った能力ではなく、いつ、どんな練習を積んだかによって、すべては決まるという。

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