水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

森絵都『みかづき』

2016年10月12日 | おすすめの本・CD

 

 宇佐美寛先生の『論理的思考』(メヂカルフレンド社)には、論理的に読み書きできるようになるために読むべき本のリストがついている。
 千葉大学教育学部でご教鞭をとっていらっしゃったとき、学生に渡して「今期中にこの中から20冊読め」「買うお金がないとか言うなら酒やたばこをやめなさい、それが学生だ」と、指導されていたものだ。150冊ぐらいあったかな。
 若いころ、このリストはほぼ網羅した。amazonがない時代なので、見つからない本は神保町を探しまわった。懐かしいなぁ … 。
 宇佐美先生が今大学で教えられているなら、間違いなくこの『みかづき』はリストに入れられることだろう。
 宇佐美先生のような影響力はもたない自分だが、このブログを読んで「それなら」と思ってくださる方がもしいれば、ぜひともお薦めする。とくに教員志望の方には「must」だと主張したい。

 時は昭和36年。大島吾郎は小学校の用務員として働いていた。あるとき、勉強がわからないと愚痴る児童の面倒をみているうちに、放課後の用務員室は毎日そんな子が集まるようになる。吾朗には教える才能があった。「教える」というより、わかるようにさしむけると言った方がいいかもしれない。
 「消しゴムを使っちゃだめだよ」というような細かい指導の描写を読むと、わかってるなあ、森絵都さんと思ってしまう。

 そんな勉強部屋に、どうみても優等生の女の子が混じっていた。吾朗は不思議だった。実はその子は、母親から偵察しておいでという命を受けていたのだ。
 おっと、こんな調子で書いていくと試験の印刷ができなくなる。
 それで、その母親の千秋にスカウトされて学校をやめて一緒に塾を始める。そこからの数十年が描かれた作品だ。
 今でこそ、塾業界は教育界で確固たる地位を築いているが、当時は日陰の存在だった。今思えばそうだったと思う。
 しかし、高度成長期を経て、「受験戦争」とまでよばれる時代が生まれ、一産業として瞬くまに巨大産業になっていく。「たかが塾」「しょせん塾」ではなく、塾が受験のイニシアチブをとる時代になっているが、たしかにそれはここ十数年の話だ。

 塾産業の黎明期から今にいたる歴史は、なんかおれの人生と重なるんだなあと思いながら読みつづけた。昭和から平成への日本の教育史を展望する本としても、これほどいきいきとそれを読み取れる本は今までなかった。
 塾同士のせめぎあい、講師の引き抜き合戦といった企業としての争い、文部省の方針の展開に翻弄されたり、塾が子供の時間を奪っていると言われなき批判をされたりした様子、 20年前の「業者テスト問題」も生々しく扱われていた。
 悔しい思いを重ねながら苦難を乗り越えていく吾朗夫妻のがんばりは、私立高校に30年身を奉じている自分にも実感として伝わってくることが多く、涙を禁じ得なかった。
 もちろん、家族のなかにもいろいろある。吾朗の女性問題、考え方の違いから袂を分かつことになる夫婦、子ども達から孫達へと受けつがれていく物語。小説読んだああああ~っという久しぶりの感覚だった。

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