極楽のぶ

~酔生夢想~
中途失明を越えて

極楽のぶと『詩仙堂』(10)

2017年06月16日 | アート
 旧友から、空梅雨の下、詩仙堂を訪うの報を聞く。
凛とした庭には、紫陽花、花菖蒲、蛍袋が涼やかに咲く、と・・。ありがたし、本シリーズもあと、ひと息。

 徳川幕府黎明期、東・西の本願寺は別々にアプローチが為されていた。 東では、正信&丈山が、教如&宣如にそれぞれタイムリレーで拘った。
 一方、西本願寺には、あの春日局が・・

 正信と春日局については、江戸城内での「反目」の様子が、ごく他愛のない逸話として残されている。が、わざわざ残されていることが逆に不自然だ。恐らく、あえて記述された意味にこそ、誰が何のために残したのか? そう考えるべきだろう。歴史はいつも嘘をつく。

 「春日局」の呼称は、家光が三代将軍就任後、朝廷から賜ったもの。
 「詩仙堂」創建前の約10年、幕府政治を裏(奥?)で操った春日局は、西本願寺の監視も担当した。
 お西さんには、春日局が推挙した侍女が何人も送り込まれた。朝廷も一目置く春日の推挙とあっては、西本願寺も断れない。堂々と諜報活動ができた。よく言えば、風通しをよく保った、のである。

 春日局の素性は、みなさん十分にご存じだろうが、案外、稲葉一鉄の実の孫であることはあまり強調されていない。
 美濃三人衆と呼ばれた地方豪族の稲葉氏は、京の公家との婚姻を好み、春日(ふく)も稲葉家に戻った少女期、京に出て公家の作法を会得している。
 さらに明智光秀との深縁とあれば、一時は信長の前に存亡の危機を味わった朝廷としては、感謝してもし足りない春日であった。

 こうして、豊臣亡きあと、残る仮想敵組織を順調に掌握すると、家光の世は安泰で乗り切れた。詩仙堂完成の2年後、彼女は入寂する(1643年)享年64歳(また、極楽の今の歳、比較するのも失礼だが、こっちの人生はちっぽけだわ~笑)

 春日局 辞世の句・・
西に入る 月を誘い 法をへて 今日ぞ火宅を逃れけるかな 

 本句、本シリーズを読み解くと、辞世の句ではなく、関わっていた仕事、対西本願寺工作の謎掛け、配下の諜報員たちへのメッセージ(鼓舞)に聞こえてきてしまうから不思議。いやいや、皆さん信じてはいけません。専門家から笑止千万と無視されるだけです。
でも、「西」と「法」はひっかかります・・
 
 ちなみに、丈山出奔の翌年に家康と共に逝った本多正信の墓所は?といえば、なんと、西本願寺なのである。
 これは深い、家康と共に歩んだ「天下取り」の30余年よりも、対信長10年戦争を共に戦った11世本願寺顕如(けんにょ)の傍に眠るほうを選んだ。 太平を望んだ正信の妥協こそが、江戸260年の平和国家を創った。(肩持ち杉ですね・笑)
 詩仙堂の創建も、壮大な計画のひとつだった。どうでしょう?

 ところで、丈山は、詩仙堂の山号を、六六山と名付けた、しゃれている。詩仙堂がしゃれでいっぱいなことは本シリーズ(5)でも触れた。
 江戸初期は、なぜか庶民の間に「数学ブーム」が起きている。九九(くく)の知識も知識層には常識だった。六六山を、丈山は自署名にも使っている。

 彼はまた、ほかの署名も使っている。その中で、「烏麟」(これは「お東」の地名、烏丸の「隣」に居るとも読めるが、烏は次とも連関する)、「三足」(本シリーズ読者なら、カッパと千尋シリーズに書いたように、三足と言えば「三足烏」、石山合戦の雄者、雑賀党の旗紋)、他に「三弥」(これは、正信の実弟、武勇に優れた正重<政重とは別人>の幼名で、彼は成人してもずっと三弥で通した)、など、意味ありげなペンネームばかりだ。丈山の真意やいかに? 三にこだわるのは、林羅山・狩野探幽と自分のチーム詩仙堂トリオを意識したものか?

 なお、絵師、狩野探幽は、同時期、将軍 家光に請われ、祖父「家康」の肖像画を描いているくらい、チーム「詩仙堂」がただならぬ陣容であることがよくわかる。

 以上が、ここで話したい「詩仙堂ストーリー」であった。

 ある年、既に視力がおぼつかなくなった極楽は、庭石に足を取られながら、危うい歩みで詩仙堂の参道を進んだ。 
 まるで、今でも丈山が棲んでいるような庵、初冬の冷えた座敷に足を擦り入れた。 冷たい畳が惜しみなく懐かしさを運ぶ。
 座敷四方の書(三十六視線)、目を凝らしてみると、極楽はその書体に釘付けになった。

 こ、この書体、丈山の書体がこれなのか?!!

「隷書体」と呼ぶこと、このとき、極楽は知らなかったのではなかったか? 高校書道授業で習ったはずだがすっかり忘れていたか?

 固まっている私に、かみさんが、
「あら、これ、あなたの書体じゃないの?!!」

 答えず、極楽は息を止めていた。予想だにしなかった、たった1億分の1の確率で(笑、それ全国民だよ)わずかなDNAの相似を感じたいがためにやってきた。それが深い感動に変わっていた。笑止ですね(謝)

その書体は、「よく来た、よく来た、お前もそこでがんばれよ」 
と、極楽にささやくようだった。
 隷書体の特徴は、最後の筆が右上に軽く跳ねるのである・・風の如く・・さわやかに・・

つ・づ・く
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 極楽のぶと『詩仙堂』(9) | トップ | 極楽のぶと『詩仙堂』(終) »

コメントを投稿

アート」カテゴリの最新記事