極楽のぶ

~酔生夢想~
中途失明を越えて

車輪を使わなかった人たちの話(3)

2017年03月06日 | 歴史
 前回、少し神がかりましたが、みなさん、どんびきしましたか? でも、人類躍進への技術革新が、火と車だったことを思うと、「回る火の玉」=「太陽」・・と、思わざるを得ません。神の領域に踏み込んだ・・

 技術革新は、個々の利便(幸福と呼べる)には違いない。が、あしたの私、あさっての子供、来週の孫たちへの、ほんとうの「恵み」になるのだろうか?

 ここで、車輪に絡み、明るい未来を感じさせてくれる一例を記してみる、笑、極楽が「懐疑主義者」ではない証です。
 以下は、きっと、もう知る人ぞ知る、なのでしょうが・

 今年2017年1月、TBSラジオ久米宏の「ラジオなんですけど」のスポットライト。
 某大手精密機器企業社員だった福岡宗明さん、週末は他社に行った元学友と「おもしろいもの」づくりに熱中していた。
 ある日、車いすのひとが「なかなか町に出て生きにくい」事情と心理をリサーチ、「かっこいい車いす」を創ろう!と動機したという。

こうしてできたのが「電動車いす WHILL(ウィル)」だそうだ。それは、そのまま福岡さんらが脱サラして立ち上げたベンチャー起業の社名になった。いまでは世界に工場を持つ・・

 それは、車いすの「使い手」の「出かけたくない理由」を、社会事情と当事者の心理にまで迫ることから始まった。この話は、たとえば医療に携わる者たちへの、ともすればつきまとう「上から目線」に対しての警鐘とも聞こえる。「車いすを『羨望の的』にしてやろう」なんて発想は「上から目線」からは出てこない。

 ここは脱線ではない。「車いす Whill」が、 a new Carだった証拠に、「発表」は福祉機器の展示会ではなく、「東京モーターショー2011」だったことだ。 もう5年以上前だ。

 Whillは、前輪に革新の仕掛けがある。8cmもの段差(障害物)もゆうゆう越えてゆける。従来の、ヨーヨーサイズのちいさな前輪を大きくした!
 が、革新は車輪のサイズではない、同じ場所で360度回転できるよう、「オムニホイール」を前輪に装備したことだ。
 オムニホイール、知ってました? 恥ずかしながら、極楽は知らなんだ。どうやら、大貨物を移送する業界では、オムニホイールは常識らしい。 極楽程度の世間知らずさん用に、説明すると、おそらく「数珠(じゅず)」か、つながったソーセージを想像したらよさそうである。
 ひとつぶが細長い数珠(ソーセージ様)で、数は24、それが全体でひとつの車輪になっている。かつ、荷重がかかった数珠のひとつひとつは、電動で駆動するのである。このため、進行方向と直角方向への移動が可能、つまり、前進しながら車線を替えられることになる。
 しかも、これら、すべてはスマホでも操縦できるのだ。なんと、現代的。つまり、同行者は並んで歩け、スマホは友人に預けてもいい。
 後輪も前輪と同サイズ、駆動は4WDだ。多少の溝でもスタックしないのだ。
 さらに、感動的なのだが、停車中は座席だけを前方・上方に移動できる。これで、レストランの高いテーブルにも対応し、おしゃれなテーブルマナーやデートも可能になった。普通に食事を楽しめる。そんなニーズがあったのだ。車いすを「福祉機器」として見ていたら思いつかない発想だ。

 こうして書いていると、やはり「技術革新」は、ずっと未来への「恵み」になることなのだ。メソアメリカの古代のひとびとも、これならOKするだろう。

 車輪から離れるが、これを書いている極楽も、この数年以内に急速に進化した、視覚障害向けのデジタルメカニクスに、どれほど生きがいを救われているかしれない・・極楽は弱い人間である、これが無ければ、間違いなく、自ら三途の河を渡っていただろう。

 メソアメリカのひとたちが、あえて車輪を使わなかった理由を、車輪が将来、軍事転用され、多くの惨禍を歴史に刻むことを予言し、あえて革新を封印した、などという仮説は、宮崎駿じゃあるまいし、このまま続けるのは無理そうだ(笑)

 そもそも、そうやって「原子の火」につながる技術革命の道を選ばなかったとしても、結局コルテスに滅ぼされてしまった。万が一、それが「賢者の選択」だったとしても、廃墟になっては意味がない。と、思っていた。

つづく
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