風塵社的業務日誌

日本で下から258番目に大きな出版社の日常業務案内(風塵社非公認ブログ)

湯河原行(01)

2017年03月21日 | 出版
妻の勤め先の会社で入らされている、ある福利厚生の制度がある。そのポイントが年度末で更新となるので(消えちゃうので)、それまでに(つまりは3月中に)どこかへ行きたいと言い始めていた。じゃあ、どうするよと、候補地が挙がっては消えていく。曰く、名古屋に行ってから浜名湖によってうなぎを食べたい。曰く、仙台に行って松島を回ってきたい。曰く、もう観光客も少なくなったことだろうから、信州上田在の小生のいとこにあいさつし、近くの温泉に寄りたい。云々かんぬん。
それがどこだろうが、小生にとってはどうでもいいのであるが(要するに行き先への希望はまったくない)、阻害されたくない唯一絶対の条件は、本年度も押し迫ってきた囲碁のNHK杯の試合をゆっくり鑑賞したい、それだけである。一方で、これは妻の側の問題となるが、少し長距離の移動となると疲れてしまうので、せいぜいが電車でゆられて2時間くらいのところが望ましい。そうすると、新幹線で移動しても、西は関西ぐらいまでの範囲に狭められる。
こうして数日か十数日のことだったかは覚えていないけれど、行く先もなかなか決まらず、時間ばかりが経っていった。小生の場合、若いころあちこちに出張ばかり行かされていたせいか、どこかの離れた観光地に行こうという意欲が、そもそも希薄なのである。どこかに行くことよりも、妻と離れて近くのドトールにでも入って本を読んでいる方が、よっぽどリフレッシュできるというものだ。
しかし、それなりにたまっているポイントをムダになくしてしまうのももったいない。その点は妻に賛同する。じゃあ、どこがいいかなあと思案はするけれど、行きたいところがこの広い地球上にあるわけでもない。そんなある日、妻が「箱根はどうかしら?」とのたまうことになった。「ああ、そりゃ、いいねえ」と即答。噴火騒ぎも収まったことだし、ロープウェイで早雲山にでも登れば、旅行者気分を満喫できることだろう(行ったことないけど)。
早速妻が箱根の宿をスマホで検索してみると、どこのお宿も満員で予約できないそうだ。フーン、さすがは箱根、年度末ともなるとそんなものかと感心する。「だったら、伊豆の踊り子号で伊豆か熱海に行こう」と妻がめげずに言い出す。「どうせ行ったことないし、伊豆でも、熱海でも、湯河原でもよかよ」と答えると、「湯河原ってどこ?」と妻にたずねられた。「あれっ?どっちだっけ?東海道線で、小田原の手前か向こうかの昔から有名な温泉地。大逆事件のとき、幸徳秋水と菅野すがが逮捕されたところだよ」「なにそれ?(と言いながらスマホで検索しつつ)あったあった熱海の一つ手前ね」「そこでいいじゃん」と述べると、「ああ、ここなら空いている宿がある。じゃあ、予約入れちゃうよ」「はいどうぞ」「ねえ、チェックインタイムはどうする?」「そんなもん、日曜の囲碁を観終えたら14:00だろ。それから準備して15:00にここ(自宅)を出たとして、3時間もかかれば着くだろうから、サバを読んで19:00くらいにしとけばいいんじゃないの?」「うん、わかった」
ということで、湯河原行きの旅行計画が決まった。ところが、その湯河原行きの1週間前、かぶりつきでNHK杯を見ていたら、「次週の決勝戦は放送時間が変更になります」げな。こちとら、なにぃっ!てなもんだ。つまりは、サルのようにオナニーをやめられない歳ごろの高校生の玉遊びがあり、その放映のために囲碁の時間は1時間繰り下げになるというわけだ。これにはクソ腹が立った。ガキの玉遊びなんかを、国営放送がなんで優先的に放映しなければならないのだろうか。
慌てて妻と相談し、チェックインは14:00からとなっているので、早めに宿に入って小生はしばらくテレビを堪能させてもらい、あとのことはそこから考えましょうという作戦に変更する。それならば、早めに湯河原に入ろうと、某日曜日、10:30には家を出ることとなる。JR池袋駅に着いて直近の発車となる、10:53(だったのか)湘南ライナーは特別快速小田原行き。オオッ、こりゃ便利だとすぐに乗り込む。幸いなことに、車内もさほど混んではいない。
座席に着いてから、最近某氏が上梓された児童文学書をぱらぱら読んでいたら、すぐに飽きてしまった。近日中にその某氏と会う予定なのである。この本の感想を聞かれたらどう答えようかなあと、読みながら、困ったなあと考えてしまう。某氏なり、その某書なりがつまらないと言いたいのではなく、そもそもが、児童文学という形態が小生は苦手なのである。さらに、もっと枠を広げてしまえば、文学という形態そのものが、苦手である。所詮は嘘っぱちのたわごとであるというのが文学の本質なのに、それに感動しろと感動を強要してくるのに耐えられない。しかも、その強要度は児童文学の方が高いのである。
あの(!)(ここでの「!」はあくまでも楽屋落ち)原一男監督の映画『全身小説家』で、埴谷雄高がウソツキ光っちゃんこと井上光晴を評して「作家なんてものはたかが嘘つきであり、だから、井上光晴という嘘つきは真の作家である」旨の発言をしていた。その、嘘つきであることに、なんらのてらいも感じない世界が児童文学の世界であると、小生は理解している(このうすっぺらな理解に反論のある場合は、どうか忌憚のないご批判・ご意見をお寄せください)。
こうして湯河原にたどり着く前に予定の字数となっているので、話を一度締めておく。
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